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「主体としての身体や自然、その声を聞く」『東方だより』令和3年度後期号(2022)

 新型コロナの流行で生活のあり方が大きく変わり、二年近くになります。
 何十年も前、研究者となることを考えていた頃、ある授業で「西洋のデカルト的な心身二元論は、心を主体、身体を客体と捉えていて、心と体が別々なのではなく、捉える視点がそもそも違う」ということを聞き、なるほど、と思いました。
 心が身体や自然を道具として使うことは、社会の飛躍的な発展、便利さをもたらしました。しかしその一方で、身心の不調や自然破壊、地球温暖化によって地球を私たちが住むことのできない場所にしかねないところまできています。
 ユングは、無意識を発見したフロイトの弟子でしたが、師が無意識を抑圧されたものとしてのみ捉えることに不満をおぼえ、無意識の奥底には個を超えた創造性に連なる領域があると、決別しました。精神的な孤立のなかで、東洋の思想には、自分の考える個を超えた無意識を重視し、生かす技法があると、東洋思想への関心を深めていきました(『東洋的瞑想の心理学』創元社)。
 東洋の思想では、修行や聖地巡礼などによって、体や、体を通じてつながっている自然の声を聞き、心を変容させていくことが重視されます。
 私が研究によって明らかにしえたことは微々たるものですが、勉強を始めた頃は宗教としての未発達さとして捉えられがちだったそれらの要素は、私たちが直面しているさまざまな問題について、選択すべき道を考える鍵となると思います。

『東洋だより』令和3年度後期号(通号第39号)(公財)中村元東方研究所/東方学院

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