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仏教と現代について考えさせる、 二つの映画上映会(2017)※ネタバレあり

『チベット文化研究会報』2017年5月号(通巻161号)掲載

「チベットを知り祈ろう~映画上映会」(3月5日。於、應典院)

 3月に大阪で、仏教と現代について深く考えさせる、二つの映画上映会がありました。
 ひとつは、宗派を超えてチベットの平和を祈念し行動する僧侶・在家の会(略称スーパーサンガ)関西による、「チベットを知り祈ろう~映画上映会」で、チベットの現状に関するドキュメンタリー『ルンタ』『ジグデル:恐怖を乗り越えて』と、中国政府によって逮捕された『ジグデル』の監督ドンドゥプ・ワンチェンの妻を追ったドキュメンタリーを準備中(今秋公開予定)の小川真利枝監督のトークと過去作『ダラムサラヒストリー』が上映されました。

 『ルンタ』(池谷薫監督)はチベットにおける百数十名名を超える焼身自殺と、それを発信しつづけるダラムサラ在住の中原一博さんを取り上げたドキュメンタリーで、話題になり、新聞などでも取り上げられたので、ご覧になった方も多いと思います(DVD発売中)。


 チベットで焼身自殺があったという情報を得ると、それを確認して、ブログ「チベットNOW:ルンタ」で発信しつづける中原さん。焼身したのはどういう人なのか、何を考えて焼身という手段を選んだのか、同郷の亡命者に話を聞くなどして、焼身の背景を探ろうとする中原さんを、カメラが追います。
 周囲の人が異口同音に語るのは、その人がおだやかで思いやりのある人だったこと、チベットに自由が戻り、自分が最後の焼身者となることを願っていたこと。焼身するのは若い世代が多いですが、ある信心深い老人は、将来のある若い人が焼身すべきではない、と自身が焼身を選びます。
 一切衆生を利益することを願う大乗の教え、釈尊も前世において何度も衆生のために体を捧げたこと、自分の体に火を放ち灯明となす菩薩の物語、そういった仏教の考えが行動の背景にあります。かつて、ベトナムにおいても、ゴ・ディン・ジエム政権に対する抗議として、焼身がおこなわれ、世界に衝撃を与えました。
 それにしても、百数十名という数は、多すぎます・・・。その一件一件に、その人その人の人生と、考えと、かけがえのない命がかけられています。映画は、政治的に中国政府を非難したり、数の多さを問題とするのではなく、一人一人の背景に迫ろうとします。
 映画の後半は、前半で中原さんがこだわっていた焼身者の一人の故郷、東チベット・アムド地方の風景。馬に乗って広い草原を駆ける姿は、この重いテーマの作品のなかで、解放感を与える数少ないシーンですが、中国政府がそこにも柵をめぐらし、遊牧民が自由に移動できないようにしていることが語られます。
 当たり前のこととして昔からおこなってきたことができなくなること、それはチベット人にとっては耐え難いことで、いくら政府が定住のための小奇麗な新しい住宅を用意しても、それを恩恵とは感じられません。ダライ・ラマ法王の問題も、政治的な理由というよりも、自分たちが当たり前のように信仰してきたものが禁じられること、そこに憤り、耐え難さの根源があるようです。

『ジグデル:恐怖を乗り越えて』

 『ジグデル』は、人権弾圧を理由に世界中で抗議運動がおこなわれた北京オリンピック開催について、チベット本土から生のチベット人の声を発信したドキュメンタリーです。監督が助手と共に、撮影直後に逮捕され、祖国分裂罪で懲役8年の判決をうけました。二〇一二年には監督に対して、迫害を受けたジャーナリストに対する国際報道の自由賞が授与されました。

 映画では、チベット人が顔出しで口々に、チベット人が置かれた状況について訴えます。政治的状況を考えるならば、顔出しでこのようなことをおこなうことはかなりの危険を伴いますが、彼らは「顔出ししなければ意味がない」「ダライ・法王にこのドキュメンタリーを見ていただけるなら」と、本当の思いを語っています。その信仰心の強さは、狂信的にすら見えるかもしれませんが、一方ではそこに冷静な計算も働いているようです。
 撮影したフィルムを送った直後、監督は逮捕され、映画はスイスに住む親族の手によって編纂、公開されました。監督の妻子はインド・ダラムサラを訪れていて、夫の逮捕により、故郷に戻ることが不可能になりました。その妻を追ったのが、今秋公開予定のドキュメンタリー『ラモツォの亡命ノート』。『ジグデル』では、監督が必要以上に映っていますが、小川監督によれば、それは自分が目立ち、自分が取締りを受けることによって、他の登場人物に累が及ぶのを防ごうという、自分が焼身することによって他の人が焼身しないですむように、という焼身者に通じる発想があるのでは、ということでした。
 といって、何も計算していないわけではなく、映画が公開され、世界で注目されることによって、中国政府もむごたらしい拷問その他ができなくなるのでは、という見通しがあってのことでは、というお話しでした。監督の奥さんに尋ねたところ、ドキュメンタリー撮影についてまったく知らず、撮影直後、監督が逮捕されたときに国外にいたのも、偶然だということだったそうですが・・・。
 何も知らないで話を聞くと、抑圧下で自暴自棄になって、とか狂信のように見えるかもしれませんが、そこには冷静な計算も働いています。
 どうして、彼らは圧倒的に困難な状況に、ひるむことなく立ち向かうことができるのか。『ルンタ』のなかで監督が中原さんに問いかけた「チベット人にとって、仏教ってなんだろう」ということを深く考えさせられました。

ケンツェ・ノルブ監督『ヘマヘマ:待っている時に歌を』(3月7日。於、阪急うめだホール)

 チベット仏教の高僧でもあるケンツェ・ノルブ監督(ゾンサル・ケンツェ・リンポチェ)の最新作『ヘマヘマ:待っている時に歌を HEMA HEMA: SING ME A SONG WHILE I WAIT』が大阪アジアン映画祭で上映されました(以下、ネタバレあり)。

 男は、仮面をつけ、誰であるか、性別など、一切を隠して加わる十二年に一度の秘密の祭りに参加するが、そこで、ある事件を起こしてしまう。二十四年後、再び祭りに参加した男は・・・
 映画上映後、ゲストのプロデューサーのトークがあり、発想のもとが、インターネットのチャットでのハンドルネームでのやりとりで、現代社会では仮面をつけることで、はじめて自分を出すことができる、しかしそこでは怒りや欲望の噴出もおこる、という興味深いお話しがありました。
 タイトルのHEMA HEMAは、昔々、という意味の言葉だそうです。副題のWHILE I WAITは、仏教の死と再生の間の時間、中有(バルド)のことだそうです。チベットには、中有にある死者の意識に説き聞かせる『チベットの死者の書』があり、この映画でも重要な意味を持っています。チベット仏教本来の意味でも、私たちの生から死までもひとつのバルドなのですが、映画では、死者がアイデンティティを失って彷徨い、ふたたび新しい生のアイデンティを獲得するまでを、アイデンティティを喪失した現代社会に重ねているようでした。この映画は、ブータンで撮影されたにも関わらず、ブータンでの上映を禁止されてしまったそうですが、ブータンの若い人たちにこそ見てもらいたい、と思いました。
 ブータン政府は伝統を維持する政策をとっていますが、まったく形を変えずに暮らしを続けることは不可能です。しかし、伝統を捨てたからといって、すべてから解放され、自由になるわけではありません。仏教の信仰を捨てることはできますが、信仰しないからといって、免れることができないものもあります。
 どこか日本の風景に似た、ブータンの自然とまつり、深く考えさせる内容、とても魅力的な映画でした。

変わるものと変わらないもの

 ゾンサル・ケンツェ・リンポチェは、仏教の叡智を後世に伝えるため、チベット大蔵経をすべて英語などに翻訳し、完成したものをインターネットでつないで世界同時に唱えるというGlobal Resoundingの試みもなさっています。
 映画でも、なにが変わるもので、なにが変わらないものか、がもっとも重要なテーマであるように感じられました。
 映画の冒頭と終わりには、ブータンの首都ティンプーで撮影されたという、ディスコのシーンが登場します。
 映画では、最初の秘密のまつりでは、伝統的なチャム(僧侶による宗教舞踊)の仮面などを使って、『死者の書』の内容が演じられていましたが、二十四年後、再び訪れた際には、仮面はタイガーマスクのような覆面に、舞踊はトランスに変わっていました。自然のなか、秘密のまつりに参加する際、いきなり携帯が鳴ってしまう、というシーンは、笑えると同時に、伝統が失われ、変質していくことの象徴です。
 それは残念なことではありますが、他ならぬ仏教が、無常、すべてのものは移り変わることを説く教えでもあります。いつか仏教の教え自体も、この世から失われる日が来る―それが末法の教えです。
しかし、仏教の教えが失われたとしても、変わらず残りつづけるものがあります。それは、業(カルマ)と因果です。
 私には、映画はそのことを観客に示し、考えさせるものであるように感じられました。

行基の土塔

 上映前、時間があったので、前から一度見たかった、奈良時代に行基によって作られたという土塔を訪れました。

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 行基は人々ために橋を架け、港をつくり、聖武天皇の大仏造営にも協力した高僧で、文殊菩薩の化身として信仰されていました。十三重の土段が築かれ、瓦で覆われており、現在は創建当初の姿に復元されています。行基は単に旅人の便宜のために橋や港を作っただけでなく、そこを拠点として仏教の教えが説かれました。その際、旅する人たちが耳にした新しい教えが、因果応報でした(『日本霊異記』)。
 土地の神々に祈っていた人が、生まれ故郷を遠く離れ、旅に出る。自分を守ってくれる存在を見失い、不安のなかにある人々が耳にした新しい教え、それが因果の法則でした。そうやって、仏教は日本に根を下ろしました。
 今、過疎や少子化で、日本の仏教のあり方も大きく変わりつつあります。その時、何をあきらめ、何を残すべきか、今回の大阪行きは、そのことを深く考えさせられる、よい機会になりました。

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