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私が影響を受けた・人生の転機になった本(7日間ブックカバーチャレンジ)

吉村均

去年、新型コロナの流行で外出自粛が求められ、インターネットでバトンを渡され、1週間、毎日本のブックカバーを紹介して、次の人にバトンを渡していく、7日間ブックカバーチャレンジが盛り上がりました。
私はどんな本を紹介していこうか、これまで読んできた沢山の本から7冊を選ぶと、と考えていくうちに、子供の頃からの成長過程で強い影響を受けた本、人生の転機になった本が思い出されてきました。
本当は、ブックカバーのみの紹介で、本の内容は説明しない、というのがルールでしたが、なぜその本かという思い出話を書き添えているうちに、日に日にそれが長くなってしまいました。
いくつか手に入りにくいものもありますが、何かで関心を持った人が増えれば、再販ということもあるかもしれないので、今の時点で入手可能かどうかは考慮していません。

1日目・藤田圭雄/文、大橋正/画『うたのないきゅうかんちょう』フレーベル館

禅僧の藤田一照師から。
1日目は、
藤田圭雄/文、大橋正/画『うたのないきゅうかんちょう』フレーベル館
記憶に残る最も古い愛読書。今思い返すと、一番影響を受けた本かもしれません。(いきなり、手に入りにくい本で、すみません。。)

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2日目・バージニア・リー・バートン文・絵『ちいさいおうち』岩波書店

2日目も、子供の頃に夢中になって読んだ本。
バージニア・リー・バートン文・絵『ちいさいおうち』岩波書店

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同じ作者の『せいめいのれきし』も大好きでした。
同じ本を繰り返し繰り返し読んだからなのか、この頃に読んだ本の印象は強く残っています。
他にも、『だるまちゃんとてんぐちゃん』とか、『ぐりとぐら』とか、『ももいろのきりん』とか。
『スーホの白い馬』はモンゴルを舞台にした作品でした。
正確な題名を忘れて本も手元になく、紹介できないのですが、「世界のほんとうにあった不思議な話」を紹介した本のなかに、大雨で棺が流されて、死者の生まれ故郷にたどりついた、といった話と一緒に、
砂漠を探検隊が歩いていると、はるか遠くから、僧がものすごい速さで飛ぶように走って来て、たちまち去って行った、
という話があり、強く印象に残りました。
この話の元ネタが、中国侵攻以前にチベットを訪れたフランス人アレクサンドラ・デビット・ニールの著書で、チベットの瞑想歩行の話だと知るのは、何十年も後のことです。

3日目・森浩一『古墳の発掘』中公新書

3日目は、
森浩一『古墳の発掘』中公新書
小学校高学年頃の愛読書です。

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 宅地開発で破壊されそうになった いたすけ古墳 の保存運動とか、
発掘した頭蓋骨を警察に届けて怒られた話(出土品は拾得した遺失物として届ける必要があり、それに従ったところ、そのことを知らなかったお巡りさんから「どこに、私は自分の頭蓋骨を落としました、と申し出る人がいるか?」と怒られた)とか、
著者の熱い思いが伝わってきて、
本気で将来 考古学者になりたい、と思っていました。
あとで、考古学というのは、発掘よりも、出土品の整理分類が中心ということがわかってきて、整理整頓の苦手な自分には到底無理、とあきらめましたが。

4日目・村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社

遅くなりましたが、4日目は、
村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社

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中学高校に入り、一転して文学青年(少年?)になりました。
中高一貫教育の男子校だったのですが、広い図書室に沢山の本があり、自分の知らない、これまでは手に取らなかったような本が並んでいて、図書カードを見ると、沢山その本を読んだ人がいる。
まったく新しい世界に触れた気がして、江戸川乱歩、夢野久作から、ドストエフスキー、野間宏、片っ端から読んでいきました。
気分としては、図書室に行くために学校に行き、ついでに授業にもでる、という感じでした。

いろいろ読んでいくうちに、なかでも強く惹かれたのが、大江健三郎の雨の木(レイン・ツリー)の連作と、初期の村上春樹の作品でした。
文芸誌の広告で新作の発表を知ると、単行本になる前に、すぐ買って読んでいました。
作品と同時進行的に生きている気持ちになっていたので、雨の木(レイン・ツリー)の連作が終わり、村上春樹の初期三部作が『羊をめぐる冒険』で完結したときは、「終わりがきた」という思いに襲われました。
そのあと村上春樹が書いたのが『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』。
小説の世界に浸り、その中で生きる、そういう時間の過ごし方から離れる時が来たのだ、と感じました。

村上春樹は、その後も『ノルウェーの森』『海辺のカフカ』など、話題作を書きつづけるのですが、もう手に取ることはありませんでした。

5日目・真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房

5日目は、
真木悠介『気流の鳴る音』筑摩書房(現在はちくま学芸文庫)

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私が入学した当時は、大学は一般教養と専門に分かれていて(私のはいった大学は今でもそうです)、教養学部は狭い学問の枠組みを超えた、自由な雰囲気にあふれていました。
少し上の世代に、野田秀樹率いる夢の遊眠社がいたり、教授陣も、独自の哲学を構築する廣松渉先生、科学史の村上陽一郎先生、フランス劇文学研究者でご自身も演出家として観世寿夫との共同作業もある渡辺守章先生、シェークスピアの全訳をされた小田島雄志先生など、多彩な先生方が活躍されていました。
なかでも、私が深入りしたのが社会学の見田宗介(筆名・真木悠介)先生の「見田ゼミ」でした。

この本は、あちこちで多くの方が勧められているので、どうしようかと思いましたが、見田先生との出会いがなければ、今のようなことはやっていないので、紹介することに。

私たちが動かしがたい現実と思っていることが、他の世界から見ればきわめて特殊な考え方で、普遍でも何でもない。それに気づいて、体に染み込んだ常識から自分を解放していく道を探る。
何しろ、最初のゼミ合宿で、活元運動とか、ラジニーシのダイナミック・メディテーションとか、竹内レッスンとか、常識を打ち壊す体験をするところから始まります。
他大学から見田先生を慕ってやってくる学生もいて、当時の教養学部の自由な雰囲気の象徴のようなゼミでした。

6日目・湯浅泰雄『古代人の精神世界』ミネルヴァ書房

6日目は、湯浅泰雄『古代人の精神世界』ミネルヴァ書房。

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自由な知的探究を満喫した教養学部時代から、どの専門分野に進学しようか悩んでいる時、
私が興味あるのは心理学と日本史だったのですが、私の通っていた大学では、当時、前者は行動心理学、後者は政治経済史が主流で、私の関心とは大きく異なっていました。
私にとって、歴史とは、自分の心の内を覗き込むことで、そこに縄文時代の私や、平安時代の私を見出す(縄文時代や平安時代は、私とは別の、私の外にある世界ではない!!)ことが、私のやりたかったことでした。

東京・八王子の大学セミナーハウスで開かれたユング心理学のセミナーで、湯浅泰雄先生の講義に接する機会を得て、
ユングの考えを教条的に押しつけるのではなく、日本人には日本人の心があるという柔軟な取り組み方、ユングの禅や曼荼羅、『チベットの死者の書』への関心の紹介、心と体を分けるデカルト的な心身二元論への根本的な懐疑、
私のやりたかったのはこれだ!!と、和辻哲郎の最後の弟子で、ご自身もクンダリーニ・ヨーガの実修者でもあった、湯浅先生の卒業された、倫理学科に進学することを決めました。
はいってからわかったのですが、そんなことをなさっているのは、湯浅先生だけだったのですが。。。

7日目・中村元『学問の開拓』佼成出版社

最後の7日目は、
中村元『学問の開拓』佼成出版社(ハーベスト出版より復刊)
お世話になっている公益財団法人中村元東方研究所(当時は東方研究会)の設立者、中村元先生の自伝です。

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文化勲章受章者、学会の権威という世間のイメージとは異なり、中村先生は既存の学問の枠組みと戦いつづけた方でした。
東京大学を定年退官された後、他の大学に移らず、自前で東方学院・東方研究所を設立され、比較思想学会での活動を中心にされたのも、そのことと関わっているのでしょう。

私が東方研究会の研究員に採用していただいた際、まだ中村先生がご存命で、先生から面接を受けました。
はじめてお話しする世界的権威の前で緊張する私が、
自分は倫理学科の出身で印度哲学科の出身ではないことをお話ししたところ、
「うちは学閥は一切ありません。やる気のある人は大歓迎です」とおっしゃってくださり、ご自分が大学院の学生時代に倫理学科の和辻哲郎先生の授業に出たことを話してくださいました。

自伝を読まれて関心をもたれた方がいらっしゃったら、東京大学の最終講義も読まれることをおすすめします。
「インド思想文化への視角」
『日本の最終講義』KADOKAWAに収録されています。
ご自分のお仕事を振り返り、その方法論(西洋的な文献学)を根本から否定されています。既存の学問の枠組みに対する厳しい批判の目は、なによりもまずご自身に向けられていて、その厳しい姿勢に身の引き締まる思いがします。

7日間、お付き合いいただき、ありがとうございました。

番外編・吉本隆明『共同幻想論』角川文庫

(2020年6月23日 )
NHKの100分de名著で、吉本隆明の『共同幻想論』が取り上げられるそうです。

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昔々、苦労してなんとか大学にはいり、はいったばかりの時、ある授業の冒頭で
「大学にはいるために、いろいろ苦労して勉強して、合格おめでとう。でも、君たちが頑張って勉強してきたことは、何の役にも立たないから、全部捨てなさい」と言われ、
実際、はいった大学の授業は、これまで自分が考えもしていなかったことが、次々展開され、驚愕の連続でした。
冒頭の話をされた井上忠先生、村上陽一郎、見田宗介(真木悠介)、義江彰夫、小田島雄志、渡辺守章、そうそうたる先生方がいらっしゃいました。私は直接教えを受ける機会がなかったのですが、独自の廣松哲学を展開された廣松渉先生や、当時、新進気鋭の政治学者だった舛添要一先生もおられました。

それまで、小説にはハマりまくっていたのですが、周りの学友がいろいろ読んでいる人文系の著作は何も読んでいない、何も知らないことを恥じ、何か読まないと、と手に取ったのが、ちょうど文庫化され、大学生協に並んでいたこの本でした。
読んでも何が何だかまったくわからず、繰り返し繰り返し読みました。手元にある本にはびっしり線がひかれまくっています。
私のなんとか理解しえた範囲で紹介すると、この本は、なぜ国家が生まれたのかを解き明かした本です。

私たちは国家に抑圧され(戦後の反戦、反安保、反成田の時代)、それに従わされているが、その強大な国家は最初から存在していたわけではない。その正体を解き明かす、というのが著者の問題意識のようでした。
共同幻想と自己幻想は逆立する、その成立の手がかり(秘密)を、著者は対幻想に見いだします。
性的な一体感への幻想、それが一方では共同幻想(国家)を生み、他方ではそれから疎外される自己幻想(自己意識)を生む、それを柳田國男の民俗学を手がかりに論じていて、当時の私にとってきわめて刺激的な読書体験でした。

これをきっかけに、一方ではフロイト、ユングへと心理学への関心が生じ、他方では古代中世の日本の歴史への関心を深め、その両方を学ぶことができるであろうジャンルとして、日本倫理思想史というものを選んで、今に至っています。
私が、近代の知への違和感、近代の知とは別のものを示し、それらを相対化するものとして、柳田國男や折口信夫の民俗学、さらにはそれらを超えた道を示すものとして、仏教に深入りしてきたのも、この本に出会ったからかもしれません。
七日間のブックカバーチャレンジではとりあげませんでしたが、思い出したので、番外編として。

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