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しろがねの葉 読書感想文

しろがねの葉 千早茜さんの作品

前の記事であんまり良さが分からないと書いたけど良かった。ので感想を書いておく。読書家でないなりに深く読んだつもり



安っぽくない、と感じた原因を探った。

匂いや色を表現する技術とそもそもの筆力はもちろんのことだけど、

マスメディアっぽくないのが大きいと結論づけた。


マスメディアはよく二項対立を使って私達視聴者に概念を侵略させてくる。


Aという悪と、Bという善。

本来なら正確な理解に努めなければいけない諸問題も、

そのまま報道するとほとんどの人がちんぷんかんぷんになるので、単純化して圧縮され、A or B という形に変換。結局Bを推すしかないという感想をぶら下げさせる。



一方でこの作品はそれを嫌う節がある。生=善 死=悪

もちろんこれはひっくり返せないほど絶対的かもしれない。

けれど本作はこれに留まらない。なぜなら、テーマの中心には石見銀山の間歩(坑道)

が据えられているからだ。

主人公は間歩に対して畏怖を抱きつつも、夜目が効くこともあり親しみを持って入り込もうとする場面が多々ある。そして間歩というのは単に坑道そのものを指す以外にも、闇、不安、絶望、その他もろもろの概念を表す語として用いられている。


光と闇

間歩とそこから出る銀

生と死

繁栄と衰退


この作品には上記をはじめとした二元的な見方が多数登場するが、必ずしも前者をポジティブに扱っていない。もしくは後者をネガティブにも扱っていないと言える。


主人公は人間として、光を望むときもあれば闇を必要とする瞬間も持ち合わせている。

銀にも間歩にも惹かれている。

どんな人間にもついて回る、浮き沈み、揺らぎのようなものがこの作品の主題である石見銀山を取り囲む営みにより演出されていると感じた。

生きることは必ずしも光を追うことだけではない。逆に言えば、光と闇とを行き来して、疲れ果てながらも生きていこうとする主人公の姿は、リアリティと覚悟を読者に届けてくれる。



恐らくこの本を読んでいる人は後半からは光の描写が増えれば恐れが増大するのを覚えていくだろう。(笑)

「こんなことが起きてつらいけど、私達は生きていくしかないよね」という平面な展開よりも3次元的なストーリーであると言える。それが特に自分の気に入った部分だ。




山に真っ暗な間歩を穿ち、掘り進めて闇を拡大させていく。

闇を増やすほどに、それに濾されたように真っ白な銀が産出されていく。


生き抜くという主題を持ってこの例えを使おうとした筆者の慧眼には感服いたしました。石見銀山の話そのものも大変面白く読ませていただきました。



書きながら気づいたけれど。

この作品には少々不自然なほどに間歩と銀という言葉がでてくる。あえてそれをするのはこの対立を強調させてきって、立体的に俯瞰させるためなのかもしれない。


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