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繋がっているもんだな。

先日、電話で姉と話をしていてちょっとしたビックリな出来事がありました。

とても個人的な狭い話なのですが、
"思いを外に出してみたら、また何か見つかるかな。"
と、ほのかな期待が湧いてきたので書いています。

姉とわたしは10歳はなれていて、姉の子どもたちは①社会人②大学生③高校生…と、わが家の子どもたちよりもグンと年上です。

3人の姪&甥は、見事に性格も得意な事もそれぞれ。
姉は悩んだり笑ったりクルクルと忙しそうだけれど、わたしみたいに側から彼らを見ている分には本当におもしろくて、エピソードを聞くのが毎回楽しみです。

"わが子たちもそのうち通る道なんだろうな…"と思うとわくわくドキドキ…ドキドキ、、わたし自身の胆力が心配になるような話もちらほら混ざりながら。。😂

真ん中は姪っ子で、いま就活真っ最中です。
これまで学んだことを生かして教諭として働く道に踏み出すか、企業での就職を選ぶか…
氣持ちが揺れたまま就活を進めているとのこと。

その迷いを、ピアノの習い事で10年以上お世話になっている先生に相談してアドバイスをもらっているんだと聞きました。

その先生の話は、今までに何度か姉から聞いたことがありました。
ピアノと声楽を教室で教えていて、すごく情熱を持った優しくほんわかな雰囲氣の先生。
そして姪は先生の事が大好きだと。

心を開きたくなるような信頼できる先生と出会えてるって、とてもとても姪にとって幸運でしあわせなことだなと思いながら話を聞いていました。

姪のこれまでをよく知っている先生は、
"教職はきっと向いているよ"
と言ってくださっていて。
でも、実習を繰り返してきた中で
"本当に自分にできるのだろうか…"
と、迷っている姪の氣持ちにも寄り添ってくれているのだそう。

習いごとを少し超えた、姪の居場所になってくれている先生。姉も本当に有難いみたいです。
最近のピアノのレッスンの時間は
(レッスン)2:(相談)8くらいの配分なのだとか😅

そして、本題がここからなので…
また長くなりそうな予感です。。

結論から言えば、その先生はわたしが小学校高学年の時の、音楽の専科の先生でした。

話の流れから「もしかして…」とわたしが切り出すとビンゴ!
今さらながら、わたしも姉もビックリしました。

確か、5年生の時から6年生の途中まで。
他の女性の先生が産休(か何かの事情)の間、臨時で担当してくれていたと記憶していて。
大学を出たての若くて可愛らしい先生に男の子たちがざわついていたものでした^^

"とにかく音楽の楽しさをみんなで味わおう!"
という感じを前面に発信されていて、
"曲を聴いて、絵を描いてみよう"
とか、全員参加型の正解が無いような授業を沢山してくれるのでおもしろくて。
わたしはその時間をとても楽しみにしていました。

個人的にちょうど学校があんまり楽しくない時期でしたが、自分の感じたままを絵や文章で表せる(そして、先生から「いいねー!!」と、楽しそうにコメントをしてもらえる!)事は、当時のわたしを支えるひとつになってくれていました。

その先生と30年の時を経てまた繋がれたことは嬉しい驚きでしたが…その奥に、もうひとつ。。

その先生の旦那さんは、わたしの中学1年の時の担任の先生でした。
(中1当時、それを知ってまたみんなでざわついたものです。10ほどの歳の差&美女と野獣的な😂)
生活指導を担当されていて、熱量がすごくて声が大きい。廊下を歩くときはいつも竹刀を持っていたし、口ごたえする生徒には柔道技をかけるような先生でした。

当時、俗に言うファザコンだったわたしは、"おじさん"と話をするのは結構慣れていたのと(と言っても32、33歳くらい。今思えば若いなぁ🤭)、単純に同級生たちと話をするよりも氣が楽だと感じていて。
その先生との面談の時は、毎回雑談話で長くなりました。
「お前、意外によく喋るんだな〜。おもしろかったわ!時間が足りんな!」
とか言われて、ちょっと嬉しくもあり。

その担任だった先生と再会したのは、わたしが短大生の時期。
派遣でサービス業のバイトをしていた時でした。

お互いに認識をして、「わー、懐かしいですね。お元気ですか?」の挨拶が済んですぐに、

「そうだ!お前といい時に会えたわ!バイトせんか?お前なら適役だわ。」

と唐突に言われました。

前年度に先生が関わってきた生徒さんで(春から先生が異動だったらしく)不登校の中2の女の子がいて、今もお母さんから相談の電話がくるんだ、と。

"勉強の分からないところを教えたり、その子の話し相手をしてもらえないか?"
そんな話でした。

今から思えば、当時のわたしは"周りから認められたい"という欲求が強くて強くて…
先生から頼りにされた事をとても嬉しく感じていたのを覚えています。

先生の連絡先と、その女の子のお家の連絡先を聞き、後日そのお母さんから連絡が来て、週に2回程予定が合う日にお家に訪問して一緒に勉強を進めることになりました。

ショートカットでボーイッシュな雰囲気のその女の子とは、勉強をしたり音楽の話をしたり学校の話をしたり、お母さんに許可をもらってわたしから誘って休日に一緒に電車に乗って映画を見に行ったこともありました。

彼女は、

"中学になってから女子の友だち付き合いが嫌になって学校に行きたくなくなった"

と、ポロッと言葉をこぼしていました。

確か、わたしはたいして何も言えなくて、"なんか氣持ちはわかるなぁ"と、ただ話を聞くばかりでした。

数ヶ月間それは続きましたが、彼女が夜に年上の男の子の友だちと遊びに出かける事が増えて、お母さんと話をした結果、訪問は終わることになりました。
終わることが決まってから一度先生から連絡があり、
「なんか、悪かったな。色々してくれたみたいでありがとう。」
と言われました。

もともと何が出来るわけでも無かったわたしが、悩んでいるお母さんから時給を貰いながら、自分なりに無い知恵を絞ったところで、結局彼女に何も出来なかったんだ…
無力感と罪悪感と、恥ずかしさが残りました。

しばらく経ってからもその思い出はヒリヒリと痛く感じて、そのうちに思い出す事が無くなりました。



思わぬ展開で今回繋がった先生たちとの細い糸。

姉からピアノの先生へ、そして旦那さんにもわたしの話が伝わり、お2人ともわたしの事を覚えていてくれていました。
30年程も前なのに…先生って本当にすごい。

わたしが先生たちを好きだった事。
音楽の授業で絵を描いた時にもらえた花丸が嬉しかった事。
あと…、先生から紹介してもらったアルバイトがうまくできなかった事。

姉はカラッとした性格だからか、ざっくり全部を伝えてくれていました😂(えーー💦)

すると、先生たちから当時のわたしについてとても温かい言葉をたくさん頂けました。

"穏やか、優しい、品があって真面目、良い生徒さんだった。"
…"結婚式の上司のスピーチ並みに盛った言葉をくださっているぞ😳"と分かりながらもそれでも単純に、あの頃のわたしに向けられた優しさが沁みて嬉しかったです。


"あの頃の、悩みながら無我夢中でやっていた自分をそんな風に思ってもらえていたなんて嬉しいです!
最近、指導のことで少し悩んでいたからとても元気を貰えました。
あれから30年もたったのですね!
こんな形でまたご縁を繋ぐ事ができて、改めて音楽に「感謝」です。
くれぐれも妹さんによろしくお伝えください。
これからの人生に幸せがたくさん訪れますようにお祈りしています、と✨"

姉が転送してくれた、ピアノの先生からのメールにはそう綴ってありました。

可愛らしくて情熱的で。
みんなに好かれて無敵に見えていた先生が、当時は学校に向かうのが苦痛なくらいにたくさん悩まれていたという話も、今回聞きました。

考えてみれば当たり前のことだけれど、輝いて見えていた先生も"ひとりの人間"で。
わたしが家のことや友だち関係で苦い思いをしていた時期、辛かったのは自分だけじゃ無かったんだ。
先生も生徒も胸の中に色んなものがあっても、それでも前に進みたい氣持ちを心に湧かせながら、ふとした時の喜びや感動を一緒に味わっていたのかもしれない。

当時のわたしはきっと、1人じゃなかった。
そう思えました。

訪問していた女の子の、その後の話は出てきませんでしたが。
きれいな目をした、笑うと可愛かった彼女もきっと、元気でいてくれていると思います。

今から思えば、自分の意思を持ったとても素敵な女の子でした。
わたしが同級生だったら友だちになりたかった。

何もできなかったことに変わりはないけれど、忘れていたなんてもったいなかったな。
彼女が笑っていたところを、これからはもっと自由に思い出そうと思います。


*noriyukikawanakaさんのお写真をお借りしました。ありがとうございます。
これはもしや…ジャズとようかん!
わたしもいただいた事がありますが、素敵でおいしかったです^^
お写真を見つけて嬉しくなりました。

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