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思考を阻む「虹」 —吉原幸子の詩「虹」について—

今回は、詩人・吉原幸子の「虹」という詩について見ていきます。
  


   虹 吉原幸子

  どうしたことか 雨のあとの
  立てかけたやうな原っぱの斜面に
  ぶたが一匹 草を食べてゐる
  電車の速さですぐに遠ざかった
  (うしでもやぎでもうさぎでもなく)
  あれは たしかにぶただったらうか

  気づかずにすごす 奇妙なけしきが
  きっとたくさんあるのだ
  <間違ひさがし>の絵のやうに
  とさかのないにはとりだとか
  足のあるへび 足のない机
  こころのない人間
  抱擁のない愛——

  いま わたしの前に
  一枚のまぶしい絵があって
  どこかに 大きな間違ひがあることは
  わかってゐるのに
  それがどこなのか どうしてもわからない

  消えろ 虹

 

 この詩の中で最も難解なのは、末尾の「消えろ 虹」という一行です。この一行は、突然現れるため、前の連から内容が飛躍しているように感じられます。この「消えろ 虹」を含めた作品全体への解釈を、以下に綴ります。
 この詩の語り手は、電車に乗って窓の外を見ていたところ、一匹のぶたが原っぱで草を食べている様子を目撃したのだと言います。その風景が、通常ではあり得ないものであることから、語り手は、「世の中には『奇妙なけしき』というものがあちこちにあるのだ」と考えます。そして、その「奇妙なけしき」について、まるで<間違ひさがし>の絵のようだと考えた上で、その具体例として、「足のあるへび 足のない机」、「こころのない人間」、「抱擁のない愛」を挙げます。
 「こころのない人間」、「抱擁のない愛」という表現からは、単に風景の中のおかしい点を探すというだけではなくて、人間の矛盾した生き方に首を傾げてみせる語り手の姿勢が窺えます。その上で、語り手は、自分自身の人生にも、矛盾がないかどうか思案し始めるのです。

  いま わたしの前に
  一枚のまぶしい絵があって
  どこかに 大きな間違ひがあることは
  わかってゐるのに
  それがどこなのか どうしてもわからない

 この「一枚のまぶしい絵」については、二通りの読みができます。
 一つ目は、語り手の目の前に広がる景色であると考える読みです。より正確に言えば、「まぶしい」とあることから、語り手の頭上に広がる空を含めた景色を指しているのだと考えられます。そして、この景色が、「絵」と表現される以上、そこには「間違ひ」が隠されているはずなのです。その「間違ひ」は、絶対にあるはずなのに、語り手はそれを見つけることができません。
 二つ目は、語り手自身の人生を象徴するものとして捉える読みです。「大きな間違ひ」があると分かっているのに、どうしてもその間違っている箇所が見つからない、というのは、一見謎のようですが、探しているものが自分自身にまつわる矛盾なのだと考えると、容易に理解できます。人は、他人の矛盾については容易に気づくことができますが、自分自身の矛盾についてはなかなか気づくことができません。だから、「間違ひ」が潜んでいるはずの「一枚のまぶしい絵」とは、語り手自身の人生を表していると読むこともできるでしょう。
 そして、この二通りの読みは、同時に成立することが可能です。「一枚のまぶしい絵」とは、語り手の人生の象徴でもあり、同時に、語り手の目の前の景色を表してもいるのです。
 ここで、末尾の一行を見てみましょう。

  消えろ 虹

 とありますが、ここで突然登場する「虹」は、これまでの話と一体どう関係しているのでしょうか。
 それについては、作品の一行目を見ると分かります。「雨のあと」とあり、作中で描かれる場所は、雨が降った後であることが示されています。「虹」というものは、雨の降った後に出ることが多いため、この「虹」は、実際に語り手の目の前に広がっている景色の中に存在するものなのであると理解できます。ここで、「虹」という自然現象の性質を考えてみましょう。「虹」というのは、雨の後だからと言って、必ず現れるわけではありません。現れることもあれば、現れないこともある、それが「虹」という現象です。つまり、「虹」は、雨上がりの景色の中に、あったとしても、無かったとしても、どちらでもおかしくないものなのです。しかし、語り手が今、必死になって探しているのは、「間違ひ」です。「間違ひ」とは、景色の中の奇妙な点であり、「あったらおかしいもの」、もしくは「無かったらおかしいもの」です。それらを探している語り手にとって、「あっても無くてもおかしくない」、「虹」という存在は、探す対象とは全く異なる、余計な要素です。したがって、語り手は、「虹」を邪魔に感じて、「消えろ 虹」と呟いているのでしょう。
 ここまで見てきたように、語り手は、自分の人生の中に、「間違ひ」を見つけようと躍起になっています。その試みを阻んだのは、語り手の目の前の空に掛かっている「虹」でした。語り手の人生は、「一枚のまぶしい絵」という表現を介在して、語り手の目の前の空とイコールで結ばれると、先ほど説明しました。そうすると、空に掛かっている「虹」が、<間違ひさがし>の余計な要素として機能するのなら、それは自分自身の矛盾探しにおける余計な要素という役割も担っているはずです。自分の矛盾を探すという抽象的な試みを阻んだのが、「虹」という具象のものであるというところに、この詩の面白さはあると言えるでしょう。
 このように、この詩は、自分自身の矛盾を探そうとする語り手の抽象的な思考を、「虹」という具象のものが阻むという作品でした。

 






 

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