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つまらない大人になった子供たち

上記の記事にスキの通知が来ていて、改めて読み返して思い出したのは、星の王子様。「私は、くだらない大人になってしまった」と書いた。まさに、星の王子様が残念に思う大人になってしまっていることに気づく。

星の王子様を知らない人に、少しあらすじを説明をすると、星の王子様はいわゆる宇宙人で、バラの花と二人暮らししていたが、ケンカをして地球にやってくる。主人公の男性が操縦する飛行機が砂漠に墜落し、そこで二人は出逢う。

操縦士が書いた「ゾウを飲み込んだウワバミの絵」を星の王子様に見せると、周りの大人たちとは違い、それと言いあてる。

「ものわかりのよさそうな人に会うたびに僕は持ち歩いている初めて描いた絵をみせました。本当にものわかりがよいのかを知りたかったのです。でも、その人の返事はきまって「それは帽子だね」でした。だから、僕はウワバミの話も、星の話もやめて、その人にわかりそうな話題にかえました。ブリッジ遊び、ゴルフ、政治、ネクタイなどの話です。そうすると、大人は僕のことを『ものわかりのよい人間だ』と言って満足するのでした」(Sea_jp社「星の王子さま」より)

今の私なら、確実に「帽子かな?」と愛想笑いをしながら、答えるでしょう。そして、がっかりする操縦士を見て、ああ、なりたくない大人に成り下がってしまったと、後悔するのだろう。
ブリッジ遊び、ゴルフ、政治、ネクタイ…私は女性だから全く当てはまるわけじゃないけど、似たようなつまらない話をして、その場その場を愛想笑いと共に取り繕ってきた。

私が過ごしにくくなったのは、中学校に入ってからだった。思春期にあたる年齢だと思う。
それまでは、楽しいからとか、面白いからとか、興味あるからとか、好きだからとか、とても単純だけど透き通っていた。

それから受験のために塾に入り勉強をしだした。点数が高いと優秀クラスに入れたから、優越感のために点数を頑張ってとった。

高校に入ると、勉強をしなくなった。高校にも受かったし、いいやと思うようになった。勉強でのコミュニケーションに飽き飽きしていた。大人から見れば幼稚なのだと思う。私は幼稚な自分がいることを恥じていたから、大人になろうともがいていた。でも、どこかで拒否している自分がいた。

社会人になっても同じだった。社会人としての常識に違和感を感じていた。面白くない、楽しくない!こんなことがたくさんあって、私は周りの大人に比べてなんて幼稚なのだろうと悲しくなった。同時に、人生のつまらなさに絶望感すらあった。そのつまらないことを押し付ける社会に怒りすら感じていた。「うっせぇわ」が流行る理由もわかる。同時に、私がその押しつけをする立場になる時は本当に嫌だった。無責任と言えば無責任かもしれないけど、マジで楽しくないことをチームメイトに指示出すのは腹が立った。とにかく、私は自分勝手で幼稚なのだ。

しばらくして、小学生の子供たちと遊ぶ機会があった。私は彼女たち、彼らの純粋さが本当に大好きだ。裏表がなくて、素直で。親御さんからは、面倒見てくれてありがとうと言われるけど、むしろこっちが一緒にいられて嬉しかった。それは、正直な気持ちだ。

大人にとって大切なことは、お金と世間体かなと思う。世間体は、どう思われるかとか、見栄みたいなもの。そして、「物分かりのいい分別のある大人という証明」をすること。これがすなわち「常識人」「社会人」ていうやつだと思う。変なやつだとはみ出し物になって、ハブられてしまう。そうすると違った意味で生きにくい。

たぶん、私は受験勉強に疲れたように、「物分かりのいい分別のある大人という証明」に疲れてしまったんだと思う。優越感を保つために勉強をしてきた。優越感や見栄をはるために、この「証明」をしてきたと思う。中身は子どものままなのに、無理に大人に背伸びをして、もう、くたくたなんだと思う。

本来の私なら、「ゾウを飲み込んだウワバミの絵」を見て、「帽子」なんてつまらない答えはしないだろう。クッキーをこねているカバおばさんのケツとか、多少マシな答えを出せるはずだ。

勉強の中で、最も記憶に残っているのは、父に教えてもらった日本地理だ。父のお陰で満点をとることができた。満点を取ったのも嬉しいが、父親と勝ち取ったという誇らしさと嬉しさが一番記憶に残っている。こういう目に見えないものが本当の大切さなのかもしれない。

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