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「人生で一番のオムライス」。

「あんたって子は本当に食べさせがいのない…」。

そう母に嘆かれたのは一度や二度ではない。

食べることが大好きな姉と比べると、私の食への情熱のなさは余計際立っていたのだろう。どんなに具合が悪い時でも、姉はしっかり食べる。私はといえば、具合が悪くなると食欲までなくしてしまう始末。ゼリーや果物を食べるのがやっとというありさま。

一方の姉はお菓子や甘いものも大好きだ。姉が楽しみにしていたポテトチップスを父が勝手に食べてしまった時の嘆きと怒りたるや、我が家の歴史上、最大級の災禍といっても過言ではない。まだ十代だった姉の壮絶な怒りを前に、父はひたすら恐縮していた。「食べ物の恨みはおそろしい」。幼い私がそのことを身をもって理解した瞬間だった。

かたや、私は、ショートケーキ1切れすら食べ切ることができない子どもだった。生クリームやカスタードクリームにはどうも胸焼けしてしまうのだ。ポテトチップスのようなスナック菓子を自分から食べたいと思うこともなかった。一人暮らしを始めてからもそれは相変わらずで、友人が家に遊びに来たときなどスナック菓子をおみやげにもらうと、結局賞味期限を過ぎても食べずに終わる…なんてこともよくある。

一人暮らしであれば、よくあることかもしれないが、1日1食なんてこともたまにはある。その1食もヨーグルトとバナナ、あるいはレトルトのカレーというごくごく質素なメニュー。時には、食べること自体を忘れていた、なんてことも。

とまあ、食に関してはかようにも淡白な私なので、「思い出深い食事」というのもあまりない。大切な人たちとの「思い出深い時間」はたくさんあって、そのかたわらには、きっとおいしい食事やお酒もあったはずだし、人によってはそのときのメニュー1つ1つを事細かに思い出せる人もいるだろう。「○○屋さんの春限定の和菓子」「○○県にある、△△のかまぼこ」「○○産のクラフトビール」などなど。姉を含め、食への愛が深い方々のその情熱や記憶力は、もはや才能だ。

* * *

そんな私にも、「思い出深い食事」はある。それは、母が専門店でテイクアウトしてくれたオムライスだ。「母が作った」のではなく、「母が買ってきてくれた」オムライス。

私は滅多に風邪をひかない子どもだった。それでもあるとき、ひどく熱を出した。具合が悪くなると私がいつも以上に食べなくなるのを承知している母。

「何が食べたい?」

母に聞かれ、私は、とあるお店のオムライスが食べたいと半ば冗談で答えた。その後、母は外出し、私は一人リビングで眠っていた。目を覚ますと母が帰ってきていた。私が食べたいと望んだオムライスをテイクアウトして。

「ほんとに買ってきてくれたの?」

私は驚いた。お店は遠方にあり、それは子どものわたしにとって贅沢な食べ物だったから。母はちょっとあきれたように言った。

「食べたいって、言ったじゃない」

そうだけど。でもほんとに買ってきてくれるなんて。風邪をひいてちょっとラッキーだったな。当時の私はそんな風に思ったのだった。もちろん、このときのオムライスはありがたくペロリと平らげ、翌日には風邪もすっかり治っていた。その時以来、オムライスは私にとって「元気のもと」だ。

* * *

大人になった今でも、スーパーでオムライスを見かけたり、オムライス屋さんの前を通ったりすると、私はあの時の母とのやりとりを思い出す。今ではいつでも好きな時にオムライスが食べられる。なんだったら、不格好なオムライスを自分で作ることもできる。でも今のところ、「人生で一番のオムライス」は、あのとき母が買ってきてくれたオムライスだ。

進学を機に実家を出てから長い長い時間が経った。風邪を引こうがケガをしようが、仕事やプライベートで傷つこうがストレスを抱えようが、あったかいお風呂で心身をほぐしたり、友人たちと気の済むまでおしゃべりしたり、家族なしでもなんとか乗り切ることもできるようになった。できるようにはなったけれど、いつも平気なわけではない。

そんなとき、あのオムライスが恋しくなる。あのオムライスと、何よりそこに込められた母のやさしさが。思えば、それは子どもの私にとってわかりやすい「母のやさしさ」だったのだ。

大人になれば、家族に毎日三食ごはんを準備するということがどれだけ大変か、いやでもわかる。家族が健康でいられるように、献立を考え、食材を調達し、食器や調理器具を片付け…それが毎日のように延々と続くのだ。NHKの「プロジェクトX」ばりの一大プロジェクト。毎日台所を支える人は誰だって「情熱大陸」の主人公だ。

子どもの頃は、三食ごはんを作ってもらったり用意してもらえたりするのが当たり前だと思っていた。当たり前すぎて、母がそこにどれだけエネルギーを注いでくれているかわからずにいた。頭のどこかでわかっていても、気づかないフリをしていたというのが正しいのかもしれない。

だからこそ、母自身が作ってくれた普段の食事やオムライスより、「母がわざわざ私だけのために買ってきてくれたオムライス」の方が、私にとっては記憶に残っているのだろう。こんなことを言ったら、おそらく母はまたこう嘆くはずだ。

「あんたって子は本当に食べさせがいのない…」。

* * *

「だけど、ねえ、母さん、ごめんね。
毎朝作ってくれた具沢山のお味噌汁もお弁当も、春によく作ってくれた山菜のおひたしや天ぷらも、夏に家の庭で採れたシソやミョウガたっぷりの素麺も、秋に作ってくれた栗ごはんやサツマイモとりんごのコンポートも、冬の鍋や寝る前のはちみつ入りのホットミルクも、あのオムライスと同じくらい忘れられない味だよ。全部、今の私を作ってくれたよ。」

次の帰省では、勇気を出して素直にそう言えるだろうか。実家の台所に立って、不格好なオムライスを精一杯作りながら。母に「あの時のこと、覚えてる?」なんて冗談まじりに言いながら。

「人生で一番のオムライスよ」

なんて、母はきっと言ってくれないだろう。

「ちょっと何よ、このチキンライス」
「うーん、もう少し卵がとろとろだったらよかったなあ〜」

たぶん、そんな風に私の不格好なオムライスに注文をつけるのだろう。でも、そのオムライスが母にとってのこれからの「元気のもと」になったらそれでいい。たとえ「人生で一番のオムライス」には程遠くても。

ありがとうございます。いつかの帰り道に花束かポストカードでも買って帰りたいと思います。