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人生

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人生について徒然なることを徒然なるままに書いています。
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#体験談

「善意」という名の暴力について

 今日は、「善意」が暴力になりうる、善意「だからこそ」暴力になることに相手も自分も気づかないことがある、ということについて書こうと思う。  とある飲み会の席。私がそれなりに面識のあるAさんと、今まであまり接点のなかったBさん、そして私の3人での会話になった。最初は雑談だったものの、会話が進むうちになんだか風向きが変わってきた。Aさんは私についてBさんに紹介しようと思ったのか、やたら私のことをBさんに語り始めた。 「季世ちゃんって、XX出身で、こんなことやってて」 「こうい

自主練→交流試合→自主練→・・・

 ここ最近、将来のことだとか、今何をするか・できるか・するべきかだとか、もろもろについてずーっと自問自答していた。  そして、「あー、もう限界!」というところまで来たので、会う人会う人にいろいろと話を聞いてもらったり、意見をもらうことにした。  「ほほう!そういう風な考えもあるか!」という新鮮な意見もあれば、「あぁ〜、だよねえ」と、再認識させられるような意見もあり。そしてまた、「あー、もう十分!」というところまで来たので、またちょっと自分で咀嚼して考えてみることにした。

治らない傷はありますか?

 私の右手には20年以上経っても消えない傷跡がある。幼い頃、犬に噛まれて大出血し、2針縫った傷跡。たった2針だけど、傷跡は今でもうっすらと残っている。  正直、この傷を負ったこと自体、最近はすっかり忘れていた。当時は大泣きしながら病院へ行き、治療の最中も泣きわめいていたというのに。  その傷のことを思い出したのは、最近、心の古傷がかすかに疼くことがあったから。それは新幹線に乗った時。私は昔、新幹線で片道3時間以上かかる遠距離恋愛をしていた。相手は異性としてというより、まず

なんでもないような今を

 ここ最近、いくつかの同窓会的イベントの企画・開催側に関わっている。それにあたり、いろいろな人に久々に連絡を取っているのだが、数年のあいだに進学・転職・結婚・出産・引っ越しなど、それぞれの人生に変化が起きていることにいちいち驚く。時間は確実に流れている。  連絡を取る際に、当時の名簿や写真など記録を見返していると、「ああ、こんなことあったなあ」、「そうそう、この時はああだったんだっけ」と、記憶が次々と蘇ってくる。記録のチカラはすごい。特に写真や直筆の文字には、当時の空気がそ

心の鎮痛剤の処方箋

 数日前から喉が痛くて、思うように声を出したり、ものを食べたりすることができなかった。これが予想以上に心身を消耗する。いろいろとおしゃべりしたいのにできずにフラストレーションがたまるわ、炭酸飲料や酸味の効いた食べ物を摂取したくてもできないわ…。  加えて今日は空腹だったこともあって、夕方過ぎの私は手負いの動物のように神経がささくれだっていた。ここのところずっと曇天が続いているせいもあるかもしれない。病院で漢方を処方してもらい、帰宅してごはんを食べ、薬を飲んで、やっと少し気持

道の先に

 自転車に乗るのは久しぶりだった。毎日電車に揺られながら家と会社の往復。休日も電車移動が基本。そんな日々をずっと送っていた。  南国、竹富島。貸し自転車屋さんで自転車を借り、私はあてもなくペダルを漕ぎ始めた。鼓動が早まり、呼吸が荒くなる。「超」がつくインドア派の私にとって、それは久々に自分の体全体を駆使する運動だった。 ああ、自分は生きているんだな。  そんな当たり前のことを、自転車を漕いで思い出すなんて。なんだかおかしくなって、自然と微笑んでしまう。  赤瓦の家々の

あま、てらす。

 初日の出、というものを見たことがない。  私は、高い山々に囲まれた雪国で生まれ育った。新年の朝、凍てつく寒さの中、日の出を待つだけの辛抱強さは持ち合わせていなかったし、昇る太陽は、いつものように山々の間から遠慮がちに顔を出すようなそんな太陽だろうと思っていた。  だから、暗闇の中、広がる水平線の下から、まばゆい光を放ちながら威風堂々と昇ってくる太陽を人生で初めて目にしたとき、私は思わず息を飲んだ。  社会人1年目、一泊二日で訪ねた横浜。そこでの朝のことだった。その日、