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日記のタイトルをあとから決めている【雑記】

「知らんがな」と自分でも思う情報だけど、僕は日記のタイトルをあとから決めている。
手癖の解説というか、こういう書き方がありますよっていう自己主張の激しい記事。自分語りも自分語りだ。

僕は自分の日記のパッと見ふしぎなタイトルを気に入っている。
書いていて一番頭を悩ませるし、かつ一番楽しい部分だと思う。
誰に言われるでもなく、かなりこだわっている。
このタイトルのせいで読まない人が居てもおかしくないけど、別にそれでいい。内容がわからないし、タイトルから惹かれる人は少ないと思う。
それでいい。こだわりってそういうものだ。何かを犠牲にしてでも尖らせたい部分。


日記を書く時は、
「とりあえず書き出して→朝から順に思い出して→道中で思考にも寄り道しつつ→学んだことや印象に残ったことでなぞかけする」
みたいな感じだ。続けていて最近方法が確立されてきた気がする。

最後に読み返して「おあとがよろしいようで」と言えるかどうか、毎日チェックしている。もちろん「別におあとはよろしくないだろ」の日もある。実際に「おあとが~」とは書いてないし、たかが日記だから及第点はかなり下の方に設定している。

うまいこと言おうとしてるのを見てられない人もいるとは思う。
それでもまあ趣味だし、自分自身の楽しさが今のところ最優先だ。
なぞかけと比喩の要素を絶対に入れたい。それはもうガンガン意図的に優先してうまいことを言おうとしている。

ねづっちでさえ振られて初めて「整いました!」と言うのに、僕の日記は「え!整ったんだけど!聞いて聞いて!あのサ」みたいな厚かましさで書いている。
そのうえそこそこ長文で、「言わせて」と無理に振らせてから散々あるあるを引き延ばすレイザーラモンRGくらい厚かましい。
こういう比喩もヒットするかはまあまあ博打だ。説明的で長くてユーモアとして機能してない時がある。
でもギャンブルって勝つためでもあるけど、ギャンブルして「賭ける」楽しさのためにやるじゃん?それと同じよね。

比喩の釈明に比喩を使っている。比喩中毒みたいなところがある。


最初に書きたいことを決めてタイトルを先に置いてしまうと、それしか書けない気持ちになる。
従って雑記は先にタイトルを書いている。この記事も。
書きたい事がある程度決まっていて、それ関連しか書こうとしていない。それだけで1000字~3000字書けるくらい想いがたまっている時は、先にタイトルを決めて雑記にする。



日記を書き出すまで、その日のことは全く思い出そうとしていない。
「今日はこんな学びがある日だった、だからタイトルはこう」とは全く思っていない。
毎日夜に「こんな学びがあったなあ」って不意に思える人なんて、そもそもほぼいないと思う。日記に書くうちに反省しようって部分が出てくる。

思い出して書くうちに出てきたキラーフレーズや上手いことを、今回のハイライトみたいにタイトルにする。そうするとなぞかけと日記の整合性が取れる。そこまでしてでも、日々のなぞかけがしたい。

それこそnoteってサービス名だし、他の人みたいに日付だけタイトルにしてもカッコいい。でも読み返すのが難しそうだ。
タイトルを気取ってつけたいのは、自分で読み返す頻度が多い人間なのも理由のひとつ。
自分で振り返るうえで、タイトルは一瞬意味不明なくらいが思い出した時に感動する。自分の文が好きすぎて、安上がりな人間だな~と思うこともある。

日記を読み返さない日記書きも多いらしい。
日記の金字塔、古賀及子さんは日記のことを「神様への奉納物」と言っていたらしい。僕は「未来の自分への奉納物」だと思っている。
世界に向けての「元気してまっせ」の意味もある。お天道様見てますかマインドは確かにある。
僕の今の日記は「未来への奉納物」かつ「日々のなぞかけ」らしい。


最近の好きなタイトルは「やさしさを捨てられたなら」と「助けてタスク、怠けなまくら」。

前者はばっちりキラーフレーズだし、オマージュが効いていてオシャレ。
後者は内容に沿っているし、「たすく」と「なまく」で意味も語呂もうまく踏んでいて遊び心を感じる。
いやね、もちろんこういうの自分で褒めるもんじゃない。
あまりにも無粋だよ。


一ヵ月ほど前、ブラウザ画面をミラーで配信しながら日記を書いていた。
そこで「タイトル後付けなんだね」と知り合いにチャットされてはじめて自覚した。日記のタイトルなんて先に決めようがないだろと決めつけていた。

最近「タイトルを決めるのがダルすぎる」という理由で「タイトル」という名前の日記を見た。僕はそこが一番おいしい部分だと思っていたのに。子供の名前に「名前」ってつけるようなもったいなさを感じていた。

でも日記集の名前が「日記」だったら質素でオシャレだし、「音楽」って名前の曲はそれだけでカッコいいし、「アート」って名前のアートはメタ的に感じるし。創作物の題名はまたちょっと別かもしれない。

人の名前みたいに繰り返し呼ばれるためにタイトルってつけない。
固有名詞になるほど有名になるものならまだしも。
「ワンピース」が「麦藁帽海賊冒険記」だったら流行ってない。流行を目的にするなら「呼びやすさ」ってのがまたあって……何の話?

何かを形にした時、主張が一番出てしまう部分がタイトルだ。
漫画のタイトル回収、タイトルを含めて鑑賞に繋がる現代アート、ご飯すらタイトルで想像してから食べている。

こだわって決めてもいいけど、こだわらずとも大枠で「日記」ってタイトルがついているようなものだろう。

他人の命名に対して「そこが一番おいしいのに」って口を挟むのは、居間に永住するジジイみたいだよ。


たかがタイトル、されどタイトル。
こだわって語り出すこと自体、それこそ無粋かもしれない。

こなまるでした。

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