諦めメガネくんのお気持ち【雑記】

メガネ関連のモヤモヤを書いていたら、4000文字になってしまった。
読めそうな人だけ読んでくださいね。


類は友を呼ぶからか、周りに明らかにメガネが多い。
視力が悪い人は視力が悪い人特有の遊びをするからだろうか。

僕はバリバリのメガネ人間だ。もう文章からも滲んでる感じがする。
視力は多分0.02くらいで、9歳くらいからずっとメガネをつけている。
その頃はそこまでメガネの人間がいなかったけど、中学生になったあたりで急激にメガネの人間が増えて、社会に出るともっと増えた。視力は段々衰えるし当然なのかもしれない。

視力0.02と書いたが、0.1以下は計る必要がそもそもなさそうだ。ほとんどの場合、そこまで測れても告げられないしわからない。
知識欲で「0.1以下の位が知りたいです!」と聞こうものなら「はやくメガネかけて社会に出ろタコ」と言われるだろう。あんな必要以上にデカいランドルト環があれば測れるはずだけど、そこまでは告げられない。

0.1あれば見えるハズのものが見えなくて、フランクな接客のメガネ屋さんで一度だけ「視力0.1もないですね」と言われたことがある。
ほとんどメガネ屋さんコンタクト屋さん眼科でしかわからないことだ。その手の人がこの文を見たら、鼻で笑っちゃうかもしれない。
でも視力検査ポスター買って貼るまでの興味はない。
そういえば僕以外にも0.1も視力がないことを自称している人が沢山いる。視力がカスであること自体は、そこそこ告げられることがあるのかもしれない。



目が悪いからインドアになったのか、インドアだから目が悪くなるのか。常識的に考えればインドアが先だ。
僕もポケモンのダイヤモンドパールで夜更かしを覚えてから、グッと黒板の文字が見えなくなった。

遺伝も関係しているだろう。視力自体も当然遺伝するとして、育ちの環境や親の趣味・文化も影響する。
視力が悪い親の趣味を真似てか、結果としてインドアになるようなヤツも多い。僕もだいたいそんな感じだ。文学オタクの中学国語教師母、音楽オタクの中学英語教師父から生まれている。両親とも視力が悪く、音楽も人の文章もまあまあ好きだ。

3兄妹のなかでも、長男である兄はメガネをいまだにかけていない。視力が悪いかははっきりしない。掛け時計の時刻を聞いても答えられないので、ただ視力に対して意固地になっているだけだと睨んでいる。
実際ハッキリと「メガネはかけたくない」と言っている。

必要に迫られない人のなかには、視力矯正を意地でもしない人がいる。
というか一度メガネに慣れると視力は下がる一方だから、視力が不自由ないほどあれば賢い選択だろう。

コンタクトデビューをしたのは、13歳のはじめくらいだったと思う。中学生になってソフトテニスの部活に邪魔だったからだけど、結局はやい段階で学校に行かなくなった。
それから今まで、コンタクトはただ見栄えを気にする時だけつけてきた。

グレーの状態でメガネをかけずに裸眼の人も多いが、コンタクトをつけられるのにつけずメガネを選ぶ人もかなり多い。
前者の理由はメガネ自体が不快なうえに裸眼で不自由がないからだろうが、後者の大半は諦めが理由だ。

ほとんどの場合、度付きレンズを通したカス視力の瞳は小さく見えてしまう。ハッキリ言って見栄えが悪い。
あまりにも悪すぎるからあだ名で「クソメガネ」なんて言われてしまうのだろう。
というかそもそも顔面に何であれ物がくっついているのは、余程のことがないかぎり見た目のノイズになる。

日常的に度付きのメガネで過ごすというのは、見栄えへの諦めだと思う。

顔を覚えてもらえない人間だと、トレードマーク的な部分もあるだろうけど。
コンタクトをしたうえで伊達メガネをする人もいて、そういう人こそ真にメガネが好きな人だ。メガネの風貌が好きだからコンタクトにしてなくて……という言い訳は、見た目にこだわる人が聞けば諦めで甘えで邪道なんだろう。


僕はその諦めメガネくんのうちの一人だ。

メガネをかけること自体は不快だと思わないし、そこまでのこだわりがない。
遠出する時にコンタクトをして、窓ガラスに映った自分を見て「やっぱこっちの方が見栄えいいよね……」と思うくらい。

ということで、諦めメガネにしている理由を語る。
つらつらと、そうしてる理由を正当化するために意見とお気持ちを書く。まだまだ続くよ。クイックイッ

まずひとつ。コンタクトが長時間の使用に向かないこと。
製品にもよるが、目がカピカピになるしもちろん眠りについてはいけない。迂闊に目を閉じられない。
デスクワークや長時間モニターを見ることに向かず、そういった職の視力が悪い人はほぼ必然的にメガネのイメージがある。
僕が飲食店で働いていた時もほぼメガネだったのだが、これも勤務が長時間で昼寝休憩があったことが理由だ。
最初のうちは頑張ってつけたものの、休憩が明けてコンタクトを1日2回つける手間に耐えられなかった。

ふたつ。当然裸眼では生きていけない。
一度だけ、仕事中に「情報量が減ったらストレスが減るのでは!?!?」と思いつき裸眼で一週間過ごしたことがある。その思考になるくらいには勤務が限界だった。
動作や動線は覚えていたから、作業としては問題なかった。
確かに頭痛も腹痛も減ったのだが、お客さんを睨むような眼をしてしまうし常連さんの顔が見えない覚えられないのでかなり支障が出た。
なぜか直接怒られることはなかったけど、自主的に戻した。
仕事でなくても、視力がないことで起きるトラブルやミスは視力を矯正しないと防げない。コンタクト関係なしに。

みっつ。ほとんどのタイミングで見栄えを気にしていない。
もしくは他のデメリットにコンタクトを続けるメリットが勝てない。
見栄えを気にするとしたら、他に手を付ける必要が出てくる。これはもうただただ意識の問題だ。今はほとんど外に出ていない。少し痩せつつ髪と肌をケアして毛や爪など処理するものを定期的に処理して……と思い始めると、メガネかコンタクトかどころじゃない。

見た目の全てを諦めているわけじゃないけど、仕事の時は付け替えで休憩時間が減り支障が出てしまうから諦めた。
「コンタクトを入れるなんてそう面倒じゃないだろ」ってよく言われるけど、僕は面倒だと思う。
お風呂に入るのも髪を乾かすのも洗濯も掃除も面倒じゃないわけない。社会生活送れなくなるから、仕方なくやるだけで。
化粧直しをする女の人を思うと、自分はそこまで見た目からのリターンを信じて時間のリソースを割けないよ~……と激キモビジネス同情オタクが完成する。
見た目を褒められることが自分にとってどれだけ活力になるか、みたいなのも関係するか。

ここまでがメガネでいる理由。


転じて言われがちなフレーズに思うことがある。
「メガネ野郎」「クソメガネ」「チビメガネ」みたいなメガネ悪口だ。
発言すること自体よくないのは当然として。ケアの難しい見た目を揶揄した悪口だから、かなり理不尽に感じる。

確かに、先に挙げたみっつ目の理由はナメられる正当な原因になるんだけど。
全員が全員、見た目にこだわれるほど余裕を持って優先順位をつけて生きてない。
出勤してずっと見た目を気にして表に立つのすらキツいと、僕は心から思う。書けば書くほどなんで接客やってたんだろう。
本当に語るべきは、この見た目への意識の齟齬なのかもしれないけど。

見た目に影響が出ようが、そもそも視力を矯正しないと生きていけない。
常にメガネ姿になりたいと思って自分から目を悪くする人はいない。


よく聞く言説だけど、目が悪いのも障害のひとつと言えばひとつだ。
車椅子や義足や補聴器のように、ひと手間かけないと生きるのもままならない。その例えの当事者からしたら同じにされるのはたまったもんじゃないだろうし、車椅子かつメガネの人もいるからギャーギャー騒ぐわけにもいかないんだけど。

どうしても生きるのにひと手間かかってしまう。
定期的に拭かないと見えなくなるし、耳と鼻の上はちょっとだけ重くなるし、寒暖と湿気の差で曇るし、食べ物の汁がハネても雨が降っても最悪な気分になる。体の一部だし、かけ続ければ全体的に汚くなる。
生きるうえでどうしても不満!とまではないが、不便は不便だ。

それでもメガネをかけなきゃ生きづらい。デメリットよりメリットが大きく上回っている。

コンタクトを諦めるのにも、相応の理由がある。長時間仕事をするとか、目の異物感に耐えられないとか。
見た目に影響が出ようとも、本人の不快だという感情を無理させてまで、そこまで言うことだろうか。そこまで互いに迷惑をかけているだろうか。
もっと言えば手術でもすればいいんだろうけど、たまに言われる悪口と不便さとお金と時間とを天秤にかけて、本人の気持ちはそれで吊り合うだろうか。

身体特徴であだ名や蔑称が生まれてしまうのは、僕だって面白いと思う。
でもそれを口に出すとしても、当人たちの距離が縮まってからじゃないか。蔑称が愛称になることもあるけど、それは関係性の問題だ。

どう説いても言う人は言うし、そもそもこんな長ったるい文を読む人に見た目で悪口言う人はいないだろうけど。
そもそもメガネの人間は母数が多くて、特別声をあげているって感じでもない。あるあるみたいな感じだ。
こんなこと書くより、車椅子や義足や理解されない精神障害の人が声をあげるほうが絶対大事だ。
もっとわかりあえはしないだろうか、というか。それを口に出さないことはできないだろうか、というか。勝手に思ってもらうのは構わないんだけど。
悪口って口に出すのは安い割に、当人がめっちゃモヤモヤするし傷つくんだよな。関係性によるよ。



大抵相手は気にしない人間だし、こちらも気にしなきゃいいんだけど、そもそも言われなきゃモヤモヤしない。
コンプレックスはほとんど変えようがないからコンプレックスなのだ。
優しくなれとは言わないが、言わない自制はできるはずだ。

僕はメガネの自分のこと好きだけどさ。人と仲良くなってバカメガネって言われたい。記事タイトルも自分でメガネくんって書いちゃったし。

なんか引っかかるんだよねっていう、愚痴で文句で共感してもらいたいだけの自己主張の強すぎる雑記になってしまった。
軽々しく多様性とか相互理解とか語りたくないんだけど、結果としてそうなった。
そもそも言うなよな、浅い関係性の悪口。

激しく同意(クイックイッ)の人間、きっといると思うんだけどなあ。
この擬音も、自虐以外だとホントはどうなんだろうね。

こなまるでした。


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