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売れて変わっても良いよ【雑記】

楽曲を作るアーティストに対して、「売れてから変わってしまって、好みじゃなくなった……」という意見を耳にすることがある。

僕はこれがあまり好きじゃない。個人的にね。
先に書いておくと、アーティストの具体名がそこそこ出てきます。


主な理由を言えば、別にそれでも楽しめるからだ。それと、好きをやんわり否定されてるようで気に食わない。
途中でゴーストライターに変わったならまだしも、「昔こんな曲を書いてた人の後日譚の曲」として趣があるという考えだ。

それに根っこの部分は変わっていないことが多い。
新しい曲でパッと見のメッセージ性が変わっていたとしても、人間だからそれが当然だ。

ずっと一定の曲を作るような職人がいてもいいけど、そうじゃない人に対して同じ曲風を求め続けること自体図々しいと感じる。
たとえばFAKE TYPEやamazarashiなんかは職人だなと思う。一見ある程度一定なのに、飽きが来ない。逆位置だとサンボマスターとかWANIMAとか。

僕も気に入った曲に対してリピート再生をよく使うから、よりそう思う。

具体的には「暗い曲を書いているこのアーティストが好きでした」「でも売れ始めてさらに明るい曲を書き出しました、だから好きじゃなくなりました」という場合が多い。
別に過去のお気に入りの一曲を大事に大事に聴けばいいのでは……?と思う。

椎名林檎も、長渕剛も、aikoも、Mrs. GREEN APPLEも、Creppy Nutsも、星野源も、RAD WIMPSも、米津玄師も。
その時の一曲と最新の一曲で言ってることが違っても、どっちも良いものじゃん。
特に作詞作曲が同じ一人だった場合なんて、作風が変わっても全く同じ人が書いてるってだけで面白いと思う。

合わないなら極論言わなくていい。
「好きだったけど合わなくなった」じゃなくて「昔から好きな曲がある」「あの頃のアレが好き」って言えばいい。

好きだったのに合わなくなった話ってのは、どういう気持ちで聞いたらいいんだ。
特に自分が最初から最新まで好きなアーティストの場合が困る。
これに相槌をつく必要がある時に固まってしまう。


好き嫌いをハッキリさせないスタイルに「わかってないな」と思う人もいるだろう。
「嫌いだなんて、そこまで強くは否定してない」という人もいるだろう。

あくまで個人の感想だ。
雑食の人間に「あの肉の方が良いのに草なんて食べてんスかw」と言うのは傷つきますよ、という意思表示。

僕自身から進んで「音楽が好きです」って話をしないのは、ここが相容れず傷を付け付けられに行く結果になりかねないからだ。
相手からしてもそうであることが多い。深く語ろうとすると否定になる場合がある。

好きを否定されそうになるのは、自己を否定されるよりよっぽど傷つく人間もいるっていう一意見だ。
「お前はバカでクズで生きる価値もないカスだ」より、「お前の好きなコイツ、全然おもんない」のほうが慣れてないからか深くダメージを食らう。
いやこっちは好きだって言ってんだが。
自分自身よりも否定できないんだよ、好きなものへの感情は。
だからちょっと嫌いそうな素振りだけで過剰に反応してしまう。そうなるくらいなら音楽の話はしたくない。

作ってもらってる人に必要以上に寄り添いを求めるのって、そもそもが贅沢だと思う。
勘違いしてないか?受け取る側は溢れ出たソレをたまたま味として貰ってるだけじゃない?
合わないことなんて、わざわざ言わなくてよくない?
会話になったら最悪「あー…!」だけ言って濁してもらえればいい。

創作、特に音楽活動なんて続けてもらえるだけで得ってのが僕の基本思想。

そりゃ「コレジャナイ感」は新譜追い続けてたらほぼ必ずと言っていいほど発生する。
それでもいい。そのコレジャナイ感だけを指し拡げて「好きじゃなくなった・合わなくなった」と言ってしまうのは、なんか主語が大きいというか……。
どっちも良いじゃんよ……。と寂しくなる。

やっぱり音楽を好みだけで一蹴されるのは、僕の地雷みたいだ。
同じ考えの人がいたら仲良くなりたいけど、人として合わないリスクも飲み込むとそこまでの熱意もない。

そういう人もいますってこと、知ってくれたら嬉しいくらいかな。

こなまるでした。

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