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自分には意見がないと思っていた【雑記】

自分のことを、自分の意見を持っていない人間だと思っていた。
どうやら違うみたいだ。

自分で自分の内面を掘ってみると、頑固な軸と曲がらない意見がある。
毎日日記を書くまではそれがボンヤリしていたというか、ひとつの話題に対して意見があるかないかで問われると「ない方」だと思っていた。

毎日のように自分の日記を読み返してみて、「コイツ自分の意見が多すぎる」「もはやワガママだ」って感想が出てきてしまった。

そもそもなんで意見がないと思っていたのか。
思い込みの理由はハッキリしない。

強いて言えば、意見を問われるタイミングが毎度不都合だったことにある。
集団生活のなかで、意見をハッキリ述べると不利になるタイミングはあまりにも多い。
具体的には学生時代のディスカッションもどきとか、事務的な説明会後の質問とか、「空気を読む」雰囲気そのものだとか。
僕も含めてだが、一度「意見ナシ」ってことにして後から1対1で質問する人間は多い。

意見は言えば言うだけコミュニティを作るときに不利になる。と思う。
もちろん、これはクラスの隅っこか枠外にいた人間のいち考え方として。もっとリーダー的な発言もあって当然。そういう人ってカリスマ的で大きく代弁してくれるけど、僕らが思いつくのは大抵しょうもない躓きだ。

意見を言うタイミングが1対1ならいいのかな。

でも完全な1対1って社会生活にはあんまりない。
たとえば「バイト先の店長と面談しました」ってタイミングで、その店長が誰にも言った秘密や意見を漏らさないだろう!って信用しきることは結構難しい。
たとえば「あの人とできればシフトをズラしたいです」って相談で、実際に信用して漏れなかったとして。
聞かなくていい意見を聞いた店長が、空気感やシフトの組み方・その表情や濁した会話で違和感を出さないのは無理だ。難しいですらなくて、無理だと思う。ロボットや詐欺師じゃあるまいし。

「できれば」くらいの意見なら、我慢して言わない方が有利なことが多い。と僕は勝手に思っている。

ここまでは例えの話だけど、正直なところコミュニティで波風を立てたくない。ギスギスしてる人を見ると物理的にお腹と頭が痛くなるから、ただ防衛反応的にそうしている。
意見をすることって、何かを動かそうとすることでもある。
良くも悪くも波風は当然立つし、意見を発さないうちに「自分には意見がないのかも……」と思ったんだろうか。

人にわざわざ聞かれたり、自分でこうやって書いたり、ひとりでに喋ったりするとわんさか意見が出てくる。



ちょっと前に、ネットグループ通話で「恋人がキツめの不倫をしていたらどう思う?」って会話になった。テーマは原文そのままじゃないし、もっと込み入った話だったっけ。覚えてない。
あんまり興味ないな~と思っていた。恋愛自体にじゃなくて、それを語り合うこと自体に。
知見を得るのは良さそうだけど、そんなので思想は揺れないし他人の一番勝手な部分じゃない?と。タイムラインを眺めながら聞き流していた。
よく思い返せば、そもそもこうやって変に頑固な時がある。意見がないわけない。

そこそこ親しい友人たちだから、話を振られる可能性だけ身構えて、結局話を振られた。

いいだろう、受けて立つ。

少し考えて、語り出してみたら言葉が思った以上に出てきた。

「経験がないし話に興味がないのを前提にして」「見える範囲じゃなきゃやってもらってもいいけど」「というか見える範囲でやられてもそこまでダメージはなさそうだけど」「他人同士の求愛行為を見せられたり、生々しい文面を見せられたりは、生物本能的にかなり気持ち悪いと思ってしまう……と思う」「想像でしかないけど」

お~。出るじゃん言葉。ベラベラベラベラと。

結果として、珍しがられたというか少し引かれたというか。たぶん多数派の意見ではないのだろう。
愛とかそれを奪われたとかの話は全く共感できなくて、僕が書いてもしょうがない。書いて触れるとしても、こういう形で小出しにするくらいだと思う。共感されないしできないし。
そのうちわかるまでは遠慮しときます、みたいな。

経験がないのにここまで語れるもんかね?と自分で思った。

「興味が薄いものに対しても、語れるだけの想いが聞かれて掘っていけば出るんだ!」って嬉しかった。
得るべき学びじゃない部分の学びを得た気がしていた。


そもそもいち雑記をこんなに書いちゃうくらいにはお喋りだ。
思いついたこと全部言っていれば、内容が薄くても思想が見え隠れする。

「意見や思想がない」なんてことはそもそもありえない。当然ではあるけども。

好きも嫌いも関心のあるなしも、知ってる以上は存在してしまう。
「関心がないです」「興味が持てません」もそういう意見のひとつだ。

関心や好みの値が軸で0から100まであるとして、「null」は「そもそも知らない」以外にない。存在しない点をマトリクス図には置けない。

その話題を知っていて、それに関して浅かろうが深かろうがいっぱい話せば意見になる。反論が出てしまう~とか筋が通っていない~とかはさておいて、お喋りな人ほど意見は出しやすいみたいだ。
見てみろ、スーパーでばったり会ったおばちゃん同士の井戸端会議を。喋りを聞くだけで偏見と意見のオンパレードだ。

意見がないのではなくて、語ろうとしなかったんだろう。

人の意見を見るのは楽しいし、それが小気味いい表現になっているのが気持ちいい。文を書く時も同じ。

Twitterとかブログとかnoteとかを見ちゃうのは、意見が見えない社会がどうしても窮屈だからかもしれない。こういう場所でも口を噤む時は噤むけどね。

だからなんだろう、語らせてください。
こういう小さな雑記くらいは。

こなまるでした。

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