自省録
いつかの自分が変化を感じるための備忘録、兼日記。
日々の出来事とか、考えたこととか、なんかいろいろと書いている。
今日は、お仕事の日。
学芸業務(補助)になってもうすぐ1週間経とうとしてるけど、特に大きな変化は感じられない。
というか、ここ数日が飛び抜けて抑うつっぽい、感情の起伏がない感じがして、変化に鈍感なだけかもしれない。
でもその鈍さが良い効果になってることもあって、深く考えたくないからとりあえず体を動かす、目の前のことだけをやるってことに集中できている感じ。
はやく梅雨終われ〜〜終わったところでこの感じに目処がつくかどうかは、わからないのだけど〜〜!
ひさしぶりにアザラシ動画をみて、ふふっとなった。
伊勢シーパラダイスのルン太くん。離乳後なかなか魚を食べずに強制給餌されてたときはコロコロしてたのに、なんか気づいたら大きくなってる。
大人アザラシになりつつあるのね。
伊勢シーもいつか近い将来、訪ねたいところ。
アザラシの陸上での移動の仕方、ほんと不思議な魅力だなぁと思う。
あんなにぼよんぼよんしてて、体痛くないのかなぁ。やっぱり皮下脂肪と毛皮がダメージ吸収してるのかなぁ。
今日もまた早朝に目が覚めた。
でも今日は、目が覚めてすぐ体を起こした。特に理由はなかったんだけど。
毛布にくるまって、窓の外を眺めてた。まだ4時過ぎなのに外が明るいなぁとか、この時間に走ってくる車はどこにいくんだろう、とか思ってた。
二度寝すると仕事に遅刻すると思ったので、キンリミで本を眺めていた。
おすすめに「超訳 自省録」が出てきた。
ドラマで取り上げられたのか、本屋で平積みされて帯もついてたなぁ。
岩波のほうだったけれど。
岩波の自省録も読みたいと思って立ち読みしたことがあったんだけど、優先順位が高くなくてほったらかしにしていた。
とりあえず超訳だったら概観できるかなぁと思って読んでみたら、ちょっとハマった。
まず序章で、アウレリウスが普段はラテン語で生活をし、夜に自省録を書くときはギリシア語だった、という話がぐっと気になった。
ギリシア語で思考・哲学する自分と、ラテン語で国を収める自分との対話だったのかな…と思った。
「超訳」とあって、テーマに沿って編集されているので、その編集が煩わしい。行ったり来たりの思考の変遷をたどりたい。やっぱ岩波のやつも買おう、読もう。
なんかちょっとだけ、ほんと恐れ多いし一緒にしたらいけない、超失礼だと思ってるんだけど、ほんとちょっとだけ、『自省録』と僕の備忘録、共通する部分があるんじゃないかな…と思った。いや一緒にできるものではないのだけどね。方向性は真逆だと思うんだけどね。言い訳いいわけ。
先日同僚に「読書家の人って、読む量もすごいけど購入する量もすごいですよね」と言われて、(うすうす感じてはいたけど)確かに…と思った。
僕が読書家の中に含まれるかは別として。
僕の場合、読書の密度や頻度に波がある。でも本を買うことは日常になっているので、明らかに読書スピードと購入頻度が見合ってない。
読了したら購入する、という思考がない。そもそも4〜5冊併読するので「読み終わった」という感覚もあまりないし。
ただ、本は好き。
明日は、お仕事の日。そしてイベントがあるので、朝からバタバタするんだろうな〜と思っている。
でも能動的になることが今できないので、ひたすら目の前のことをするんだろうなと思う。自分のことなのに、なんか他人事だな。
弟くんのところに、荷物が届いたらしい。喜んでもらえた。よかった。
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