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<掌編>眠くなるまで


 ライターが火を付ける音。しばらくして、香ばしくて苦いにおいが届く。
 この間までは、バニラみたいな甘いにおいだったのに。
「眠くなるまで」
 と、言い訳のように言う。別に怒ってないのに。

 新月の夜、真っ暗な部屋。狭いベランダに続く窓とカーテンは開けられて、夏のぬるい夜風と湿気た街明かりを入れる。
 君の吐いた煙が夜風にのって、部屋の中で行き場をなくす。
 車の通り過ぎる音が聞こえる。
 ここから、いくつ灯りを数えることができるだろう。南北を走る県道に沿って並ぶ街頭と、向かいの板金屋の自動販売機、少し離れたところのコンビニの看板、遠くの鉄塔の灯りが見える。
 すごく近くに赤い光がひとつ。強く光った、と思ったらゆっくり暗くなっていく。
 ひとつ、ふたつ、と指差して数え始めると、訝しむ顔がこちらを向く。
 眠くなるまで。と、言い訳のように言う。
 赤い光がゆっくり明滅するのを、数える。ひとつ、ふたつ、みっつ
「あいえすえす」
 え?、と聞き返すと、君は部屋の中から空を指さす、「あの光の点」。
 ゆっくり天頂を目指して動く指先をみると、確かに動く光の点。飛行機?
「ISS、国際宇宙ステーション」
 苦いにおいと一緒に届く声。いまの光が?
「今日、夕方のニュースで言ってた。見えるって。本当だったんだ」
 その光は、狭いベランダへと続く窓枠の向こうへと去っていく。覗き込むように天を仰ぐ君。でもたぶんもう、見えてない。
「地球を90分で1周してるらしいよ」
 本当は、それを見たくて起きたんじゃないの。
 赤い光が強くなり、しばらくして、消える。香ばしい、苦いにおいだけが残る。

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