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あたまの栄養を(正しく)摂る

 お題「#推薦図書」にエントリー。
 先日読んだ「正しい本の読み方」橋爪大三郎/著を推薦。


この本を読んだきっかけ

 ここ数年、哲学や言語学について本を読もうと思うとヴィトゲンシュタインやソシュールに出会うことが多かった。その中で、橋爪大三郎さんの本をよく読んだ。
 宗教、キリスト教や社会学にも興味を伸ばすと、そこにも橋爪さんの本があった。
 なので私の中では「橋爪さんの本は、わかりやすいものが多い」「私の興味ある分野で橋爪さんの本があれば、まず読んでみよう」という指標があった。
 今回のこの本「正しい本の読み方」は、本屋でふと新書を見ていたら見つけた本。2017年9月20日発行ということで、わりと最近の本だ。
 ふと立ち読みをしてみると

本を書いた人が死んでも、本は残る。(略)だから、本は、ものを考えた人の死体です。

 なんて書いてある。なんとも私の好きな言い回しだな、と思って購入を決めた。


本を読むってどういうこと??

 何のために本を読むのか。
 これは、日常的に本を読まないという人も、読書家の人でも意外と思ったことがあるんじゃないかと思う。

「この本、好きだったな」と思って他の人のレビューを読んでみると、意外と低評価が目についたり。自分と違うところに注目している人もいて、感じ方や価値観は千差万別すぎて「あれ……」と、なんだか萎えてしまう。
 自分がさっきまで確実に感じていたはずの「好き」「良かった」がどこかに行ってしまう気がする。
 仕事と全く関係のない本を読んでいて、「それは何のためになるの?」とふと訊かれる。そして「えっと……」と考えてしまう。
 自分の興味関心があって、知りたいと思った知識がそこにあったからこの本を選んだはずなのに……「えっと……なんのためだっけ?」。

 というのも、私自身がそうだから。読書は日常生活の一部なのだけど、年に1回くらいは読書法の本を読みたくなる。で、自分の読書に対する姿勢とか求めていることが何なのかを知りたくなる。
 時々、自分が好きな読書に対して、道しるべが欲しくなる。
 そしてこの本は、私の道しるべのひとつになった。


推しの理由①「読みやすさ」

 圧倒的な「読みやすさ」。
 基本的には「です・ます」調。そして本書の中でも触れている「トピック・センテンス・メゾット」で書かれている。
 本書は基礎編・応用編・実践編に分かれ、さらに7章+終章で構成されている。各章の中にトピックセンテンス(主題)が書かれていて、1ページ満たない文章が並ぶ。
 淡々としたリズムがあり、その段落の中ではきちんと筋が通っているので読みやすい。理解しやすい。
 主題が変われば、さっき言っていたことと視点が変わり、同じテーマでも考えや主張が深まる。

 そしてこれは好き嫌いがあるかもしれないけれど、「語りかけるような文章」。
 橋爪さんの文章は、句読点が多い。

このように、自分が生きていることの像をしっかり結んで、それとつき合いながら生きていくためには、言葉の能力を高めることが必要。
言葉は、人生のありがちなパターンをとらえるようにできているから。
そして、言葉以外に、自分をつかまえる方法がないのだから。
(引用/「正しい本の読み方」p28 パターンから学ぶ)

 学校で句読点の使い方、なんとなく習ったの覚えている。
 けど橋爪さんの句読点の使い方は、話す時の使い方なのだと思う。
「、」の位置で呼吸をして相手の反応を見ているような。そんな感じ。
 言葉遣いもあってか、私は「おじいちゃんとお話をしているような感じ」を連想する。
(ちょっと頑固だな、と思うことも、「いいですね」と時々確認をされることも、うちのおじいちゃんに似てる気がする)
 社会学者、大学の名誉教授という肩書を見ればちょっと構えてしまうのだけど、この本にはたぶん、構えは必要ない。


推しの理由②「本を読むことの厳しさ」

 本書の中には、本の選び方や読むときの注意点も書かれている。
 具体的な書名や作家名も出てくるのだけど、本を読むことのちょっとした厳しさも書かれている。

 たとえば、「あまのじゃくを忘れない」(p47)。
 すべての本は間違っている可能性がある、としている。それは人間が書いたものだから。間違いや、無意識の固定概念が必ずそこに含まれているということ。
 ネット記事や掲示板なんかの情報を鵜呑みにしちゃいけないよ、なんてネットリテラシーでよく聞くけど、本に関してもおんなじなのだと。
 そういえば本を読んでいて「なんかこの考え方、古いなあ」と思うと出版がウン十年前だった……なんてこともある。物理的故に、情報を更新するには違う新しい本を読まなきゃいけないのも、読書の厳しさ。
「それは本当なの?」と疑いながら読むこと、そして対立する意見の本も読んでみることも進められている。

 橋爪さん自身も研究者として論文を書き発表する、書き手として思うことがあったんだろうな、なんて私も書き手のことを想像してみる。
 橋爪さんの本は好きだし、割と素直に読んでいるつもりだけど、やっぱり「ほんとかな?」と思うこともあるのだ。

 書名の「正しい」はグレーで印刷されている。
「正しい」ってどういうことなんだろうね? ちゃんとそれ、疑ってる?
 なんて、問われているような気もする。


推しの理由③「深み」

 本を読むことで得られる表面上のことももちろんだけど、第6章で本はなんの役に立つかが書かれている。

文字を読むと、その記録を残してくれていた人びとが生きていて、頑張っていたということが想像力の中でよみがえる。具体的な個人の名前や出来事として、記憶に刻まれる。その人びとと一緒に、今生きているという意味になる。この社会の意味が深まるんです。自分の生きている社会についてより深く、その意味が理解できる。
(引用/「正しい本の読み方」p200 歴史は何の役にたつ?)

 特にぐっときたのが、この部分。
 私たちは本を読むことで、すでに存在しない人と会話することができる。その時代を、私が経験したことないものを想像することができる。
 時間や場所、実生活を超えることができる。
 そうすることで、自分が今生きている社会に対して理解をすることができる。
 本って、そういう力があるのね。というのを気付かせてくれた。

 ただ「読んだことを忘れない」とか「どういう記録をつければいいか」ということだけじゃない。
 本を読むということ自体に、深みがあるのだと。
 そしてそれをいかに自覚して本と付き合っていくのか。
 いろんな試行錯誤をしていきなさい、と背中を押してもらう。


読書が好きでヨカッタ!!

本を書いたのは、必ずだれか他人です。だから、本を読むとは、他人に関心を持つ、ということなんです。
(引用/「正しい本の読み方」p5 他人に関心をもつ)


 本の読み方に、正しいも間違いも無いと思う。
 たくさん読書本が出てるし、レビューももちろん千差万別であるべきだと思う。じゃないと楽しくないし、コピペでいいじゃんってなる。
 それでも、私は数ある読書本の中でも「正しい本の読み方」橋爪大三郎/著を推薦する。

 本を読むってどういうこと? という問い。
 私も、これから本を読み続ける中でおんなじことを何度も問うだろう。
 そんなときに、またこの本を読みたい。
 私がもった関心が、本を通して他人や時代、社会、私自身につながるのをまた実感したいから。
 そして「読書が好きでよかった」と思いたいから。

 

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