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私にヨガの先生はできません!【第二十九話】祝日プログラム

第二十八話「七夕の夜に」はこちら 
第一話「無理です!」はこちら

 七月の祝日。海の日がやってきた。朝から開催している試飲会は反響の良いスタートだった。
 出勤後、すぐにポットにミネラルウォーターを入れて、そこにルイボスティーのティーバッグを入れておいた。そのまま一時間ほど置いて完成したものを、片井さんが送ってくれた試飲用の小さな紙コップに入れて会員さんにお渡しする。
 ルイボスティーは常温で用意することにした。
 冷やすのは、体のことを考えて却下。
温かくするのも避けた。夏という季節と、ホットヨガのレッスンの後という環境では、好まれないかも……。そう思ったのと、お湯を沸かすという工程を挟むことで、スタッフに手間がかかることを懸念したからだ。
「いと葉。試飲会、良い感じね」
「はい! 今日の目標三十個、いけるかもです」
 絵馬さんに描いてもらったポップのおかげもあったのだろう。当日までの一週間の間に興味を抱いてくれていた人が多かったようで、テンポよく売れ続けたのだ。
 ところが、そんな喜びも束の間、お昼を過ぎたくらいから売れ行きが悪くなった。
「目標まであと六個か」
 すでに、残るレッスンはラストのキャンドルヨガのみ。
 アプローチできるのは、さっき終了したばかりのレッスンに参加していた方の帰り際か、私が担当する最終レッスンに参加する方のチェックイン・アウトのタイミングのみ。
「六個、ですね」
「ここまで来たら、目標達成したいですよね」
 すぐそばで、アルバイトの天野あまのさんと川江かわえさんが言った。
「いと葉、そろそろ、レッスンの準備しなきゃ」
 えりかさんがスタッフルームから顔を出す。
「あ、はい!」
そうなのだ。なんとかしたい気持ちがあるものの、自身もレッスンに備えなくてはいけない。
 ここまできたら、もうあとは売れることを願って、キャンドルヨガのことに集中するしかない。
 私はそう思い、気持ちを切り替えた。
 ホットヨガスタジオの端、鏡のすぐ傍にいくつもキャンドルを並べて、火をつける。
 最近知ったのだけれど、ろうそくの灯りは『F分の一ゆらぎ』というらしい。
 このゆらぎに、人は癒しを感じるのだそう。キャンドルの灯り以外だと、波の音や川のせせらぎ、小鳥のさえずりなんかが当てはまる。
 ヨガとの相性もぴったりだと思う。
 よし。いいレッスンをするぞ! 
 この日のために、いつもとは違う音源を用意した。レッスンの構成も熟考したし、リハーサルだってばっちりだ。準備は万全。あとは、全部、出し切るだけ。
 私は七夕プログラムの最終レッスンであるキャンドルヨガに備えるべく、更衣室へと向かった。

 ろうそくの灯りに包まれた神秘的な空間の中で、三十人の会員さんがマットの上で仰向けになっている。両手は腰の横、両足は肩幅ほどに開き、目を閉じる。全身の力を抜いたこの体勢でゆったりとした呼吸を繰り返すのだ。
「吐く息とともに、身体がマットへと沈み込んでいくイメージです」
 ヨガのレッスンのラストは、必ずこのシャバアーサナ、屍のポーズをおこなう。レッスンの中で使った筋肉を休めて、リラックス。
 私も好きなポーズのひとつだ。
 とはいえ、インストラクターをしているときは、一緒になって寝転ぶわけにはいかず、立ったまま、一人ひとりの様子を見守っていく。
 七夕祝日プログラムのラストは、私のキャンドルヨガだった。
 フロントで顔だけはお見掛けしたことのある方がたくさん参加してくれた。もちろん、普段から私のレッスンに来てくれる人たちも。
 一番右の後ろにいらっしゃるのは、雪野ゆきのさん。最初にお見掛けしたときよりも、深く前屈できるようになっている。本人もそれが嬉しいのだと、以前、チェックアウトのときにフロントでおっしゃっていた。
 その隣にいるのは、宮前みやまえさん。右に比べて、左の筋肉が固かったことを覚えている。今はだいぶ左側の柔軟性もアップしている。
 そして、左の一番前側には、田村たむらさんがいる。バランス力が必要な木のポーズが苦手だったけれど、近頃はずいぶんと安定している。
 みんな、一回や二回で変化したのではなく、回数を重ねるうちに少しずつ体が変わっていった。
 その様子を見たり、聞いたりできることは、私にとって、やりがいの一つでもある。
 最近、そのことに気が付いた。
 ホットヨガの感想には色々ある。楽しかった、すっきりした、心地良かった、リラックスできた。
 どれもインストラクターとして嬉しい。
 そして、身体や心の変化を感じたという声。 
 これも最高に喜ばしいことなのだ。
 私は誰にもバレないように、小さく微笑んだ。そろそろ、シャバアーサナもおしまいの時間だ。
 ティンシャを鳴らすと、リーンという鐘の音が、スタジオ中に響く。
「それでは、体を右側に転がし、横向きの体勢になりましょう」
 私は会員さんたちに、手をついてゆっくりと起き上がるように促した。この後は、深呼吸をして、挨拶をして締め括りだ。
「キャンドルヨガ、すっごく癒されました」
「また、やってほしいです」
「いつもより集中できた気がします!」 
 ロッカールームへと続く扉のところでお見送りをする私に向かって、会員さんたちは口々にそう言った。
みんな、ニコニコしていて、楽しんでもらえたのだと、一安心。
「このレッスン、すっごく好きです。普段のプログラムにはキャンドルヨガはいれないんですか?」
 夏川なつかわさんも去り際にそう言ってくれた。
 キャンドルヨガのレッスン前には、スタジオの隅にいくつかのろうそくを並べて、一つずつ火をつけていく。どうしても、手間がかかってしまうから、普段のプログラムには入れにくい。
 祝日の特別プログラムならではってわけだ。
「いと葉、めっちゃよかったで! お金払ってきてよかったわー」
 最後に出てきたのは、詩丘しおかカレン。私の友人だ。
 彼女はホットヨガスタジオ・ベガの正式な会員じゃない。今日は単発利用者として、別途、三千五百円を支払って予約を取り、受けに来てくれた。
それもなんと、あと一人分の予約が埋まらない状態をもどかしく感じていたとき、店舗の電話が鳴ったのだ。
「あ、いと葉。あたし、あたし」
 そんな、オレオレ詐欺みたいな口調でカレンは言葉を続けた。「さっき、思い立ったんやけどさ、いと葉のキャンドルヨガ参加しに行くわ。ずっと、受けてみたいなとは考えててん。急やけど、空いてる? 無理ならいいんやけど」と。
 突然のことに驚いた。
 でも、嬉しかった。なんて、いいタイミングなんだろう。
 カレンのおかげでレッスンの参加人数が満員の三十人になったといっても過言ではない。
「ありがとう! カレンのおかげでレッスン満員になったよ」
 ホットヨガで汗をかいたからか、すっきりとした表情のカレンに向かって言った。
「へえ! そやったんや。なんとなくで予約取ったんやけど、それならよかったわ。あ、いと葉、ちょっと待っててな」
「え、うん」
 カレンは早足でロッカールームへと消えて行く。
「はい、これ、いと葉にあげるわ」
 カレンは戻ってくるなり、小さな茶色い紙袋を差し出した。
「これって」
 私は中をのぞき、はっと顔を上げる。
 そこにあったのは、以前、カレンが作ろうとしていたハンドメイドの小さなぬいぐるみ。完成していて可愛いネコの形をしている。
 頭のところには細い紐がついていて、バッグにつけられるようになっている。
「いと葉がさ、緊急代行でアルタイル行った日あったやん? あの後、なんとか仕上げようとしてみてん。ちょっと時間かかったけどできたわ」
「これ、もらっていいの? 私、買うよ?」
「あかん、売り物にはならんねん。迷いながらやったからあれこれ触りすぎてるし。でも、見た目的には悪ないって思ってる。それに、最初の一個は、いと葉にもらってほしい」
 カレンはそう言って、照れたように視線を逸らした。
「うん! ありがと。ヨガウェアとか入れてる通勤用のバッグにつけるよ」
「ええ? そこまでせんでも、家に飾っとくだけでええって」
「ううん。これは、仕事のお守りとして持っておきたいから」
 ぬいぐるみを両手で抱きしめるようにして、私はそう伝える。
「いと葉がええなら、いいけどさ。……あたし、決めてん。そっちの販売もやってみようって」
 カレンは、私の手元を指差した。
 かとおもうと、私が言葉を発する前に、すぐに「じゃ、あとでな」と言ってロッカールームへと歩いていった。
 そっか。ネットショップでハンドメイド作品、売ってみるんだ。その背中に心の中で語り掛ける。応援してるよ、と。
 スタジオの隅に並ぶキャンドルをそのままにして、音楽プレイヤーの電源だけ落とすと、私はスタッフ用の更衣室へと駆けこんだ。制汗シートで全身をしっかりと拭く。
 本当はシャワーを浴びたいけれど、今日はそこまでの時間がない。なにせ、試飲会イベントで人の手を取られている。
 なるべくすぐにフロントに戻りたい。
「いと葉、大ニュース」
 スタッフルームの扉を開けたとたん、えりかさんが歌うように言った。
「なんですか?!」
「目標個数達成よ。ルイボスティー」
「ほんとですか?!」
 大きな声が出そうになり、慌てて口元を押さえる。
「ええ。取り置き分も含めるとね。いと葉のレッスンに参加していた方が何名か、この後購入する予定よ」
「え? でも、さっきまでは……」
 私はそう呟いて、とにかく確認しようとフロント前にすっ飛んでいく。
笹永ささながさん、売れましたよ。三十個」
 天野さんが笑う。
「やった! でも、どうして?」
 私が言うと、ロッカールームとお手洗いの清掃から戻ってきたアルバイトスタッフ、川江かわえさんがひょっこりと顔を出した。
天野あまのさんが自宅から電気ケトルと耐熱ポットを持ってきてくれたんです」
「え?」
「もしかしたら、あったかい方がいいのかもって思ったんです。夏ですけど、エレベーターも館内も冷房が効いてるし。あ、笹永さん丁度、キャンドルの準備で忙しそうだったので、有栖ありすチーフに許可とって、とってきました。うち、家がここから徒歩五分くらいなので」
「凄い! それが好評だったんだ。でも、手間だったんじゃない?」
「ぜんぜんですよ! 電気ケトルですから。お湯だとお水よりも抽出時間が早くってすぐに用意できたのもよかったです。なんとか、間に合ってよかったです。あ、笹永さんも飲んでみてください」
 天野さんはそう言って、私をスタッフルームに連れて行くと、試飲用の小さな紙コップに温かなルイボスティーを注いでくれた。
「あ、まろやか。おいしい」
 私は一口飲んで呟く。
「あたしもさっき飲んでみたけど、あったかい方が好みだわ」
 えりかさんが言った。
「ほんとに! 常温だとすっきり感が強くて、温かいとまろやかな感じになりますね」
「天野さんのアイデア、ナイスね」
 えりかさんがぱちりとウインクしてみせる。
「はい! 天野さん、ありがとうございます!」
 私がお礼を言うと、彼女は笑いながら、そそくさとフロントへと戻って行った。
 その背中を見送った後、えりかさんが口を開く。
「天野さん、突然、ひらめいたぞって感じでアイデアを出してくれたの。家から電気ケトルと耐熱ポット持ってきますって」
「そうだったんですね。ありがたいです」
 フロントで接客してくれている天野さんと川江さんのことを思い浮かべる。
 数十分であったとしても、天野さんが抜けている間は、川江さんとえりかさんでカバーしてくれていたはずだ。ただでさえ、試飲会イベントでバタバタしているのに……。
 自分でいうのもなんだけど、この日に備えて、あれこれ考えた。レッスンも試飲会イベントもしっかりと準備をした。
 私なりにできることに励んできたつもりだ。
 だから、満員のレッスンも、物販で本日の目標個数を達成できたこともとっても嬉しい。労力も、時間もかけた甲斐があると思う。
 でも……。
 実際には、自分の力だけでどうにかできることは、限られているみたい。
 思っていたよりも、周りの人に助けられているのだ、と私はあらためて実感した。
「天野さん、川江さんもありがとね」
 もう一度、フロントに出てお礼を伝えると、二人ははにかみながら大きくうなずいてくれた。
「いと葉、ほんとよく頑張ったわね」
 スタッフルームに戻り、シャワーを浴びに行こうと思ったとき、えりかさんが言った。
「え?」
「レッスンも、試飲会も、大盛況ね」
 えりかさんが笑う。
「はい! でも、えりかさんや天野さん、川江さんのおかげです。ほんとに」
「それでも、いと葉が頑張ったからこそよ。その姿に、みんな何か響くものがあったのだと思うわ」
「そうだったら、嬉しいですけど」
 私が伝えると、えりかさんは目を細めた。
「あたしも、頑張らないとね。……あ、シャワー行くんでしょ。今日はそのまま上がりのシフトだったわね」
「はい!」
 私が扉の方へ向こうとしたとき、視界の隅で、えりかさんが大きくうなずくのが見えた。
 その仕草は、私ではなく、彼女自身に向けられているようだった。
 えりかさんの中で、今、何かが変わった。
 そんな気がした。

第三十話(最終話):「笹舟にのって」へ

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