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私にヨガの先生はできません!【第二十六話】準備する日々

第二十五話「電車に揺られながら」はこちら 
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 【第二十六話:準備する日々】

 翌日、ホットヨガスタジオ・ベガに出勤した私はすぐさま、片井かたいさんへと電話をかけた。
「お世話になっております。片井さん、今、大丈夫ですか?」
「はい! もちろんです」
「あのですね……」
 私は一週間後の祝日を含む三日間にわたって試飲会を開催したいことを伝えた。祝日だけだと来れない人もいるだろうから、あえて平日にもおこなうことにした。
「試飲会! いいですね。少し、お待ちいただけますか? 確認させてください」
「はい」
 保留音が流れる。きっと、先輩か上司かに対応できるかどうか聞いてくれているんだと思う。答えは、イエスかノーのどちらかだ。ちょっぴりドキドキする。
 想像していたよりもすぐに、片井さんは戻ってきた。
「お待たせしました! 試飲セット、あるみたいです。今回は、同じ種類のルイボスティーの業者向け商品二袋とカップをまとめてお送りしますね」
「いいんですか! ありがとうございます!」
 岩倉いわくら店長の言っていた通り、お金をかけずに準備してもらえることになった。聞いてみるもんだな、としみじみ思った。
「いえいえ。むしろ申し訳ないです。こういうのって、こちらからご提案するものですよね。僕、全然気が回りませんでした。ドリンク系の営業が初めてで……。先輩に前例でおすすめの訴求方法がないか聞いてもまともに教えてくれなくて……。あ、これはいいわけですね。すみません。笹永さんからご連絡いただけてよかったです」
 珍しく、片井さんの声は小さくなった。
 たしか、この物販は片井さんの先輩が担当するはずだったということを思い出す。実際のことはわからないけど、うまくいく見込みがなくって片井さんに投げたんじゃないかって、以前思ったこともある。
 正直、片井さんの先輩への印象はあんまりよくない。
 片井さん、がんばって!
 いちいち口には出さないけれど、私はひっそりエールを送った。
「こちらこそ、お手数をおかけしますがお願いします」
 私たちは、試飲セットやの発送日や到着予定日時などのすり合わせをして、電話を切ろうとした。
「あ!」
 すっかり忘れていたことを思い出す。
「どうされましたか?」
 片井さんが尋ねる。
「あ、えっと……。そのですね、片井さんって大学時代、バレーボール部でしたか?」 
 聞きながら、ごめんなさいと謝る。
 こんなプライベートなこと、聞かれたくないだろう。
「あ、そうですよ!」
 片井さんはなんでもないことのように答えた。
「ほんとですか?! あの、全国大会に出てました?」
「はい! ご存じなのですね。笹永ささながさんもバレーされるんですか?」
「あ、いえ。うちの店長の岩倉の親戚がしているみたいです。岩倉がどこかで片井さんのことを見たことがあるって思っていたそうなんです。たぶん、バレーボールの全国大会だとのことで、気になって聞いてしまいました。突然、すみません」
「いいんですよ。僕にとっての青春でもありますから。知られているのは光栄なことです」
 片井さんからは、さっきまでのしょんぼりした気配が消えてきた。
一瞬のうちに、スポーツ飲料のコマーシャルが似合うような、爽やかなトーンに切り替わっていた。早い……。
「なら、よかったです」
 私はあらためてお礼を言って、電話を切った。
 そういえば、片井さんは初めて会ったときから、青春漫画を地で行くようなタイプだったな、と思い出す。レンタルスタジオで必死に練習していても、悲壮感なんてなかったし、むしろ爽やかな光を纏っているように見えた。
 もともとそういう性格なのだと思っていたけど、学生時代の中で悩みながら身につけたことなのかもしれない。
 しみじみと思っていると、お店の固定電話が鳴った。
 ディスプレイには『アルタイル』と記載されている。
「お疲れ様です。笹永です」
「あ、笹永さん? たちばなです」
「橘さん! もう、大丈夫なんですか?」
 一日、休んだだけじゃないか。
「うん。もともと発熱もしてなかったから。ただ、昨日は頭痛が酷くて早退させてもらったんだ。緊急代行、ありがとうね」
 橘さんはいつもより、少しだけ柔らかな口調で言った。
「いえ! 私なりに出し切ったつもりですけど、橘さんの代行ですからね。プレッシャーが凄かったです」
 私が伝えると、電話の向こうで橘さんが笑った。
「昨日レッスン来てくれてた人、何人かと会ったけど反応よかったよ。私のレッスンとは違うけど、どこか似てる気がするって言ってた方もいたね。まあ、教えてくれている先生が一緒だからね」
「よかったー」
 心からの声が漏れだす。
「緊急代行、緊張するよね」
 橘さんが言った。
「はい! でも、やってみてよかったです。自分に務まるのかなっていう気持ちもあったんですけど、結果オーライです」
 私は答える。
「そっか。とにかく、ありがとう。助かったよ、本当に」
「いえ、こちらこそ。いい経験になりました」
「……前に笹永さんのレッスン受けたとき、自信のなさが伝わってくるって言ったけど、あれ、もう大丈夫そうだね」
「はい! おかげさまで!」
 私は電話の向こうに伝わりそうなくらいに、大きく首を振った。

 七月の祝日、海の日まで一週間を切った。
「いと葉、シフト伸びてもらって悪いわね」
 えりかさんが自身のレッスン前に、フロントに出てきて言った。
ここ最近は、シフトが不安定だ。
アルバイトスタッフのテスト期間によるお休みや風邪なんかが重なり、てんやわんやなのだ。
「全然、大丈夫ですよ」
「助かるわ、ほんと。ごめんなさいね、色々準備したいことがあるんでしょう?」
 私は通常業務にプラスして、試飲会の準備に追われていた。
 試飲会。
 たったの三文字だけれど、意外とやることがある。例えば、当日の流れや注意点をまとめた書類をスタッフ共有ファイルに挟むこと。
 伝える・伝えてもらう、ということがわりと大変だということは、インストラクター研修やレッスンを通して痛いほどに感じていることだった。
 今回の場合も「紙にまとめておいたから読んでね」だけでは、少し弱い気がする。紙に印刷した文字だけでは、私の熱はちっとも伝わらないだろう。それじゃ困る。
 私はアルバイトスタッフ一人ひとりに直接話して、疑問に答えていくことにした。
「今のところ、ちゃんと間に合いそうなので大丈夫です!」
 私は元気よく答える。
「ならよかったわ。当日の試飲会、楽しみね」
 えりかさんはそう言って、ホットヨガスタジオへと入って行った。
 時間には追われているが、今のところ順調に準備は進んでいる。
 さっきはペンタスガーデンの一階、カフェ・くじら座の隣にあるビルの運営室に行ってきたところだ。試飲会用に長方形の会議用デスクを借りられないかと、ビルのオーナーである光坂こうさかさんに頼んだのだ。
 快く貸し出してもらえることになり、一安心。これがあれば、フロント前に小さな特設会場を作って、気軽に試飲してもらえる。テーブルクロスを敷いて、その上にピラミッドみたいにいくつかルイボスティーの箱を積み上げて、せっかくだからポップもあともう一枚印刷して飾って……。
 うん。いい感じになりそうだ。
 なんてったって、絵馬さんが描いてくれたポップがあるんだから。
 緊急代行の翌日、私は岩倉いわくら店長に電話した。絵馬えまさんにベガで使うポップの作成を依頼してもよいかという確認のためだ。絵馬さんの時給がアルタイル付けになる点を気にしていたけれど、岩倉店長は、「それさ」といって、別のアイデアをくれた。
 時給内ではなく、外注という形式で依頼するのはどうかという内容だった。
 絵馬さんに聞いてみると、そっちの方が嬉しいとのこと。岩倉店長に伝えると、すぐに直接、絵馬さんとやりとりをした後、本社に連絡して契約書などの書類を用意してくれた。
 とんとん拍子にことは進み、ポップは雲井さん経由で送られてきた。時間が限られているなかで、急いでくれたのだと思うと、本当にありがたい。
 そして、そのポップは、デザインのことなんてちっともわからない私が見ても、プロ並みのスキルを持つ人が作ったものだと一目でわかる出来だった。
「笹永さん、こんばんは」
 ロッカールームの方から歩いてきた人に声をかけられて我に返る。いけない、ぼうっとしていた。この声は……。
夏川なつかわさん! 髪! 切ったんですね」
「はい。思い切ってばっさりと」
 夏川さんは、肩下のロングヘアから、内巻きのボブヘアになっていた。
 それに、初めて会ったときよりも、うんと軽やかな笑みを浮かべている。
「凄く似合ってます! それに、夏って感じです」
 変わったのは髪型だけじゃない。
 薄い緑色のロングワンピに白い鍵編みのショートカーディガン、ウェッジソールのサンダルも涼しげでとっても素敵だ。
「ありがとうございます。あ、笹永さんの祝日のレッスン、参加する予定です。予約とれたんですよ」
 夏川さんがはにかみながら言った。
「ほんとですか! 嬉しいです」
 いつも祝日は特別なレッスンプログラムになる。その月のイメージから『○○特別プログラム』と呼ばれる。『クリスマス特別プログラム』や『ゴールデンウィーク特別プログラム』って感じだ。
今回は『七夕特別プログラム』と名付けられている。当日は、すでに七夕を過ぎているが、細かいことは気にしない。
 私も午後の最終レッスン、十八時半からのキャンドルヨガを担当させてもらう予定だ。
せっかくだからと、構成を一から考えている。でも、バリエーションがありすぎて、まだ決め切れていない。
「キャンドルヨガ、楽しみにしてますね。では」
 夏川さんはチェックアウトをすると、銀色のエレベーターに吸い込まれるように去って行った。
 そろそろ構成をちゃんと決めないと。
 私は心の中で小さく呟いた。

第二十七話:「カフェ・くじら座で見る夢は」へ

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