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[短編] 記憶を消す、あつらも消す?

消去

消去

消去

「Backspace」を押すカチカチという音ともに消去する「忘れたい記憶」。

私の「消しさりたい記憶」を「消す方法」。

それが、「Backspace」を押すこと。

いつの間にか身についていた「消去方法」は私の精神を安定させてくれていた。

消して

消して

消してしまえば、何も恐れることはない。

今朝、友達に言われた

「君は逃げすぎだ。都合の悪いことばっかり忘れて。卑怯だよ」。

消去

塾の教師に言われた

「君はこんなこともできないのか」。

消去

「Backspace」を何回押したか。

一体何を消し去ったのか。

思い出すことなんてできない。

でも、それでいい。

それがいい。

おかげで今日も、昨日も、いい思い出ばかりだ。

これでいいんだ。

これで……。

不意に暗闇で炎が揺らいだような不安感に襲われた。

消去

消去、消去、消去、消去、消去、消去!

「ふぅ」

考えていたことがぽっかりと抜けて、喪失感に似た違和感が後に残ったが、私の心は静まった。

そう、これでいい。

疑う必要はない。

不安は消し去れ

全て忘れろ!






朝の匂いがする。

陽が眩しい。

起きて、消去中のまま固まった画面をのぞき込んだ。

あれからそのまま眠ってしまったらしい。

昨日の記憶は楽しいものばかり。

今日も笑顔で学校へ行ける。

時計を見れば、遅刻だということを悟ってしまうだろう。

知らないふりをした。

「どうせ、消去するんだ」

そう思えば、自然と心が穏やかに静まる。

電車は今に出ようとしていたが、急ぐことはなかった。

穏やかに、穏やかに。

どんなことも大丈夫に思えてくる。

プシュー

ドアが閉まりだすのと、私が車両内に足を踏み出したのが同時だった。

もちろん、ドアはすぐに止まって、私に通路を開ける。

そういうふうにプログラムされている。

だが、ロボットでない彼ら人間の視線は冷たい。

「どうせ消去するんだから」

その言葉はまるで一種のおまじないになっていた。

ドアにもたれかかり、携帯をいじっていれば、そのうち、彼らの視線は各々の手元に戻る。

「消去してやる。お前らなんて記憶から抹消してやる。」

心の中で呟いた。

「本当に……、お前ら自体を消去できたらいいのに」

思っても仕方のないことが頭によぎって、ぶんぶんと頭を振った。

そんなことは不可能だ。

イアホンを耳に当てて、YouTubeの再生ボタンを押した。

音楽が流れる。

そういうふうにプログラムされている。

女性の高い声を聴き流しながら景色をみていたら、桜が目に入った。

もうそんな季節か。

川にかかる橋の白さと、晴天の青。それから桜。

絶景だった。

桜が風に揺れる。

あ……。

一枚、散った。

花弁は綺麗にゆらゆらと落ちていく。

「きっと、そうして……」

突然、耳に低い男性の声が響いた。

驚いて、携帯に目を落とすと、いつ押したのか、自動再生になっていた。

曲名は「playback」。

歌っているのは「past」。

再生回数は167。

流行しているわけでも、特に人気なわけでもないらしい。

しかし、私の耳はその声を、音を捕らえて離したがらない。

口ずさめば、優しさで満たされるような曲だった。

「消去方法」以外に、心を静める方法があったのか……。

それでも、「消去方法」が与える穏やかさと、「playback」が与える優しさはどこか違っていて、私にはまだ「消去方法」が必要なようだった。

顔を上げればもう、桜はもう見られなかった。

橋も見られない。

だが、真っ青な空には、真っ白な飛行機雲が引かれていた。





今日も募ったイライラ。

でも、大丈夫。

始めよう

まずは、今日の消したい記憶を書く。

先生が私を見て吐いたため息。

いぶかしげに私を見ては避けて歩くクラスメイト。

下校中によく出会う散歩中のおじさんの私への嫌悪の眼差し……。

後は、

消去

消去

消っ……。

「Backspace」を叩く私の手が止まった。

下に出た広告が私の目を引いたのだ。

「なんでも消します!衣服の汚れ、家の汚れ、あなたの汚れた記憶、等々」

「なんでも消します!」……か。

私の頭に浮かんでいたのは今朝の電車の中で浮かんだ歪んだ考えだった。

そのときの私の呟きが遠くに聞こえたような気がした。

「お前ら自体を消去できたら」

カチ

マウスに置いた右手の人差し指に力を込めた。



「何の削除をお望みですか?」

プログラムされているのであろうメールが送られて来た。

「本当に何でも削除できますか」

送り返したメールへの返答はすぐに届いた。

「申し訳ありません。削除したいものについての返信しか承れません」

少しぐらいは質問に答えてもいいだろう。

私は心の中で舌打ちした。

「消してほしいのは」

キーボードを叩く手が震えた。

「あいつらです」

あいつら、で分かるはずがないと思った。

「申し訳ございません。もう少し詳しくお答えください」などというメールが返ってきたら今すぐこのサイトを抜けよう。

そう決めて返信を待った。

正直私は怖かったのだと思う。

さっきのようにすぐには返ってこなかった。

三分後

ピロン

メールが送られてきた。

クリックすると、画面が切り替わる。

×を押す準備をしていた私は一瞬息が止まって「ヒュッ」と変な声が出た。

「承りました」




朝の匂いがする。

陽が眩しい。

むっくりと起き上がった私の背中を冷汗がつたっていた。

何時ものような朝。

何時もと違うことは、「昨日の記憶」に気になるものがあることと、やけに外が静かなことだ。

時計を見れば時刻は6時。

私にしては早すぎる。

春が近い今月では珍しく肌寒い。

大きいジャンパーを被ると外に飛び出した。

ああ、どうか神様

私の予感が的中していませんように!

いつもの「穏やかな私」はもうどこにもいなかった。

アパートの鉄製の工事現場の足場みたいな薄い階段を大急ぎで駆け降りる。

カンカンと大きな音がした。

いつも癪に触っていた「五月蠅いぞ」と怒鳴る4階のおっさん。

お節介で煩わしかった「おはよう」を出会う度繰り返す3階のババア。

黒髪が美しい「今日も元気ね」がうざかった2階のお姉さん。

いつ見ても寝てる一階の大家さん。

誰の声も聞こえない。

誰の匂いもしない。

人の匂いがしない。

あの悪臭と雑音が消えた。

一歩、アパートの外に踏み出した。

私、一人。

車、自転車、会社員、酔っぱらった人。

あの日常はどこへ?

私の、所為で。

私が、一人で。

踵を返して階段を駆け上がる。

お願いだから、夢であって。

頬につたう涙の意味は分からない。

煩わしさのない世界を嘆く私の心理も分からない。


あの広告をクリックしたのと同じ人差し指が叩くのは「Backspace」。


もう何回目だろう。

朝、朝、朝。

そう、誰もいない朝。

死んだ目をする私。

携帯も、もうつかない。

この世界は止まってしまった。

通らない電気。

減らないスーパーの商品。

動かないお金。

生産が滞る工業。

私だけの世界は回らない。

誰かがそれぞれで回していた世界。

私一人では生きることなど不可能だった。

目を閉じると、涙がこぼれる。

あれから何度も、「Backspace」を押したのに、広告をクリックした一夜が忘れられない。

後悔も。苦しみも。

なに一つだって忘れられない。

消えてくれない。

今思えば、「Backspace」を押し続けていたあの頃も本当は苦しかった。

それを今更感じるのは、誰もいない孤独が私をむしばみ始めたからだ。

「みんな」でいれば辛いのに「独り」では生きることができない。

人はバカみたいな進化をとげていたみたいだ。

もう、終わりにしよう。

カン、カン

屋上へ上がる。

風が強い今日の屋上は、曇り空の下、孤独な私を乗せていた。

携帯を横に置いて、屋上の端っこに座り込んだ。

立っていると情けなく足が震える。

こんな世界になっても生きたいと望む本能はきっと、私よりずっと賢い。

下を見れないまま、体を宙に放り出そうとしたときだった。

「きっと、そうして……」

バッテリーの切れたはずの携帯から、あの日の音楽が流れた。

「僕らは、きっと、そうして、独りでも生きたいと願うのだろうか

 もしその時、君が一緒ならば僕は後悔しないだろうか

 君がいない世界も誰かが回す同じ世界なら、僕は君の死を純粋に悲しむよ

 君がいる世界でも僕だけが歩く止まった世界なら、僕はきっと苦しみに悶える

 人なんてそんなものだと許してはくれないだろうか」

耳に響く、優しい歌声。

涙は美しく、朝日に照らされた。

真っ青の空

白い橋

薄桃色の桜。

あの桜を見たい。もう一度。

この世界を回して。誰でもいい。

この世界は一時停止しちゃいけなかったんだ。

愚かな私を許してはくれないだろうか。

誰かが回す世界で良い。

その誰かに傷つけられようとも。


あの広告をクリックした人差し指が最後に押すのは「世界」の「再生ボタン」だった。


朝の匂いがする。

陽が眩しい。

下の階から「五月蠅い!」と怒声が聞こえた。






こんにちは

こんです。

実は一昨日、いつものようにパソコンの前に立ったのですが、いっこうにかけず、こんなに早くスランプとかあるの?と思っていました。

しかし、昨日から突然書けるように!

やっぱり日によって調子ってあるんでしょうか。

これは特に関係のない話なのですが、私は話を書くとき、音楽を聴きながら作業しています。

そうすると結構気分が上がる、というか、自分が書いている話にのれるのです。

私は、

「登場人物はこんな子で、こういうラストにして、始まりはこう。事件はここでこんな風におきて」

というような筋書きのようなものを作るのが苦手で、思いついたらとにかく書いてみて、そこから膨らませる感じなのでのれないと書けないのです。

しかし、このところ同じような音楽ばかり聴いていて、何かおすすめの曲があれば教えてほしいと思います。


さて、本編の話ですが今回の話は独りになった少女の話でした。

みなさんは独りになったらどうしますか?


「Backspace」はキーボードのエンターキーの上の文字を消すボタンです。

「playback」は日本語にすると「再生」、「past」は日本語にすると「過去」という意味をもちます。


面白いと思えていただければ幸いです。


最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました!








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