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人生初の理不尽

「毎日毎日やかましい!黙って待っとき!その内出来るから!!」


これが多分、人生で一番最初の理不尽だ。
多分3-4歳の頃。
晩御飯を作る母に、毎日×2私と兄が順番に同じ事を聞くので、キレた。
悪意もなく、夕食を楽しみにしているからこそ聞くのだが、
たまに好きではないメニューの時もあり、その時に
「なーんだ」
と言うのも気に食わなかったのだと思う。

因みに、一度出された食事に対して、イマイチな反応をした時に全おかずを目の前から取り上げられた上に、即ゴミ箱に投げ捨てられ、
「文句がある人は食べなくて結構」
と言われ、その後数日間、白米以外何も用意されなかった事もある。
今では虐待と呼べるかも知れないが、そこは昭和の家庭。
大きな声で怒る親と、泣き喚く子供の姿はどこにでもあり極一般的だった。

なお、本気で母が失敗して塩味しかしない野菜炒めが出た際も、
「不味いから残してええで」
と言われるのだが、これは本音でそう言っているのか、
それとも罠
で、正直に食べないとまたキレられて数日おかずなしなのか、
大人でも相当難しい判断を迫られた。
結局は全部を食べきり、翌日もおかずがあったので、多分2択は正解を選んだのだと思われる。
きっとこの2択は、キューバ危機に感じたケネディ大統領の気持ちと同じだろう。

幼稚園前にして、大人に忖度する事を覚えた。


母の食事に対する基本的姿勢として、

「親に作ってもらったご飯に注文付けるなぞ、百年早いわ!出されたら食え!出て来るだけありがたいんじゃ!文句あんのか?黙って食え!ゴラァ!!」


である。
※あくまで「姿勢」優しい母です、ハイ。

これらの 虐待 のお陰で、食事を残すと言う考えが無くなった。
好きであろうが、そうでなかろうが出された物は完食する。
大人になってからは、どうしても食べると下痢をするパクチー等は、
自分から事前に避ける事も出来る。
そして、世の中にある食べ物は須らく、味の好みは分かれても食べられない、食べない物と言う物はない、となった。

昔、彼女が作った食事でも、一部はううん?って味も正直あったが、
「残す」と言う概念に欠けている為、困惑の表情をする彼女の前で、
完食する事になる。
そして昭和は貧乏な家も多かったが、お陰でご飯粒一つ残さない、残飯が出ないエコマシーンとして存在している。
ただし、加齢と共に食べられる量が減って行く為、作る量を調整しないとブクブク太る。
今のお母さんたちは優しすぎる気がする…

人生の理不尽に意味がある時もある。



自己肯定が爆上がりします! いつの日か独立できたらいいな…