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「らしさ」ってなんだろう。

お昼頃のキャンパスは、授業を終えて、午前中に消費したカロリーを補給しようと食堂やカフェテラスに大量の学生が押しかける。行き交う人々をちょっと観察してみると、男子は大抵、センターパートのキレイめな奴が多い。女子は大抵、茶髪で、白やベージュを基調とした清潔感のある奴が多い。
かくいう僕も、誰にそうしろと言われたわけではないが、前髪長め、6ミリのツーブロックが入ったその辺によくいる二十歳、大学生の一人なわけで、実家に帰ると親からは嘲笑を含む「大学生らしくなったね。」という言葉を投げかけられた。

「大学生らしく?」

そういう親父の若い頃はなんとなく、2、3日風呂に入ってなさそうな小汚いシャツとジーパンスタイルで写真に写っていた気がする。彼が大学生だった約30年くらい前を考えてみると、尾崎豊が亡くなった頃だろうか。この間僕も没後30周年ということで各メディアに取り上げられていた日には名曲、「I LOVE YOU」を聴いていた。きっと親父の頃は、尾崎豊らがいわゆる「大学生の男らしい」格好だったのだろう。
今となっては、そんな男は顔がよほど良くなけりゃ「なんか汚い」と周囲から忌避されてしまうのではないだろうか。

「男らしさ」「女らしさ」なんてものはファッションや雰囲気に表れるように、数年単位で変わっていくのだろう。きっと、みんな感覚でわかっていることだ。

そういや、「らしさ」って誰が決めてるんだろう。

僕の、地元の友達と繋がっているSNSでは、車、煙草、酒の写真をひたすらアップしている奴もいるのだが、なんとなく「ワルっぽい(ワルらしい)」と感じてしまう。そういう奴が、仮に今すぐアメリカに飛んで、急に「はっぱ」のストーリーを投稿したとしても僕は「あぁ、なんだかあいつらしいな。」と思って終わるのだろう。でも、急にピシッとした服を着て、オペラを観に行ったなんて言い始めた日には、きっと僕は「お前らしくもないな。」とか言うのだろう。ここにおいて僕は「彼らしさ」というのを押し付けている気がする。
もちろん、こんな詳細な具体例だけじゃない。

やたらと「自分らしさ」を推し進めてくる最近の啓蒙書や、ありがたい本が出てきた。最近はTwitterの投稿にまで「自分らしさ」のおすすめが出てくる。
でも、僕はこのように思うのです。

そもそも「自分らしさ」って何だろう。「らしさ」というのは人から押し付けられるもののような気がするのに。


5/9(月)Onecafe哲学対話 「らしさ」ってなんだろう。
対話の前にぼんやり思うことでした。

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