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インドにいる神様の話。


あの日、私たちは酷く疲れていた。


もう10年も前、私たち夫婦はインドとネパールをバイクで旅していた。愛車は、インドで買ったロイヤルエンフィールド。

その頃のインドとネパールはたしか雨季で、バイクで走っていると、突然雨が降ってきて全身ずぶ濡れになったり、目の前の道路がいきなり川になるなんてこともよくあった。

だから、ネパールから国境を越えてインドへ再入国するその日は、とびきり早起きをして、念入りに身支度をしていた。かなり長い距離を走る予定だったから、途中で雨に降られても大丈夫なように、防水のジャケットやらパンツやら、めちゃめちゃ着込んでいた。

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国境を越えて、バイクも私たちも始めは調子がよかった。

雨季も終わりかけなのか、雨も全く降りそうにない。快晴だ。いや、むしろ暑い。てか湿気・・・、やばい。

私たち夫婦は、完全に服装を間違っていた。でもまあ、走っていれば風もあたるし、気持ちいい。

国境を越えて約100km、ゴーラクプルという大きめの街で事件は起こった。

人生で経験したことも見たこともない、大渋滞。リクシャーとバイクと車(と牛)が入り乱れ、信号は確かあったけど動いてなくて、かわりに交通整理の人がいた。

だけど、誰も言うことを聞かない。みんな自由に自分の進みたい方向へ、自分の欲求のまま少しでも進もうとしていた。

なんと効率の悪いことでしょう。

さっきまで風を切って気持ちよかったけど、こう止まってしまっては、完全に服装を間違っている私たちの体は、暑さに耐えられない。

あ〜無理!これ熱中症になっちゃうなぁと思っていたら、バイクがオーバーヒートしてしまった。

そして、ついに旦那が限界に達して熱中症になり、ガソリンスタンドの隅っこでダウンしてしまった。

もっと早く気づいて休ませてあげれば良かったと、自分の判断力の無さを反省しながら、旦那が落ち着くまで様子を見ていた。

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目指しているのは、ここからまだ250kmもあるラクナウという街だった。

今日はここまでにした方がいいかという考えも浮かんだが、しばらくすると旦那が復活し、やはりラクナウを目指すことになった。

5キロの距離を移動するために、私たちが要した時間は4時間。その時点で16時になっていた。

ゴーラクプルの大渋滞を抜けると、さっきまでの大量のインド人はどこへ行ったのか、気持ち良く走れた。

ハイウェイみたいなキレイな道を横切る牛をかわしながら、ただただ前を見つめて走り続け、ラクナウに着いた頃は辺りも真っ暗で、二人ともボロボロだった。

とくに旦那は疲れ切っていて、判断力も鈍っていたし、運転がギリギリだった。

いつもはコントロールしているけど、重い荷物(と私)を乗せているため、何回かウイリーした。

私がしっかりしなければと思っていた。

とにかく今夜の寝床を見つけなければいけない。とりあえず最初に目にとまった宿を訪ねるが、かなり遅い時間に訪ねてきた、バイクありの外国人が面倒臭かったらしく、相場よりかなり高い値段で、交渉の余地が無かったため諦めた。

旦那が、一つだけゲストハウスの当てがあると言った。そして、そこが満室だったら、もう当てがないとも。

祈るような気持ちで、そのゲストハウスを訪ねた。

ゲストハウスのオーナーが、「フル(満室)」と一言いった。

途方に暮れた。

旦那はHP使い果たしてるし、私も疲れで思考停止していて、とにかくしっかりしなきゃ!どうにかしなきゃ!だけが頭の中で繰り返されている。

その時だった。

「ゲストハウス?」

この時の声は忘れられない。通りすがりの自転車に乗ったおじさんが、そう声をかけてくれた。

「イエス」

私たちは答えた。

おじさんは、ついて来いというジェスチャーをして、自転車で走り始めた。

少し走ったところで、おじさんはココだと指をさして、そのまま走り去っていった。

そのおじさんが指さしたところは、なんだか立派な門がたっていて、小さくゲストハウスと書かれた板が貼ってあった。

立派な門だったので、高そうだな〜と思ったけど、とにかくもうこれ以上動くことは出来なくて、そのゲストハウスに最後の望みを託した。

夜遅くに訪ねてきた、バイクに乗った排気ガスまみれの外国人に、優しく部屋を案内してくれた。

そこは昔、イギリス人のお金持ちの所有物だったらしく、めちゃめちゃ広くてお洒落な作りなのに、とてもリーズナブルだったし、立派な門があって庭が広いので、バイクを置いておくのにも文句なしの安全な場所だった。

色んなゲストハウスに泊まったけど、こんなに鮮明に覚えているゲストハウスは他にない。あのゲストハウスがあったから、滞在がとても楽しかった。

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私たちは、本当に心の底から、あのおじさんに感謝した。

あのおじさんが、あの瞬間あそこを通らなかったら、通っても私たちに声をかけなかったら、私たちはあの日あれからどうなっていたか分からない。

もちろん、どうにかはしたはず。でも、今考えても、そのどうにかは思い浮かばない。

それぐらいあの日の私たちは、あのおじさんに救われた。

私たちは、あのおじさんには会えない。あのおじさんに直接お礼は伝えられない。

だから、それは別の困っている誰かに返すことにした。そうして巡りめぐって、おじさんにもまた優しくしてくれる人がいたらいいな、と思う。

旅先でもらう、赤の他人からの無償の愛。それは旅人の心を温め、さらに旅を続ける力をくれる。

あの瞬間、あのおじさんは、私たちにとって神様だった。

私たちにとって、インドの神様は、シヴァでも牛でもない。

あのおじさんなのだ。


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