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「普通」ってなんだろう(こっことルル子)

「なんで家族が増えるのは嬉しいんや?」

小学3年生の、こっこの質問。
この質問にあなたなら何て返しますか?


映画『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』を観ました。
原作は西加奈子さん。

今ではすっかり綺麗なお姉さんになった芦田愛菜さんが、まだ「芦田愛菜ちゃん」だった頃の作品です。(2014年公開)

芦田愛菜ちゃんが口が悪い役なのが新鮮。「うっさいわ、ボケ」なんて言っちゃいます。映画の中での一番のお気に入りは「あの5年の女、文句ばっか言うとんな」です。




充血した目ん玉のヘアゴム、短く揃った前髪、左右で高さがズレているツインテール。
好きな言葉は「こどく」。

普通が嫌いなこっこは人との違いを求めます。


こっこにとって、ものもらいになって眼帯をしていることは格好良い。在日韓国人であることも、日本用と韓国用に2つの名前があることも、不整脈で死にそうな思いをすることも、ぽっさんの吃音だって格好良い。

同じように学校に眼帯をしていっても誰も何も言わなかった。だけど、不整脈で倒れた朴くんの真似をして教室で倒れたら、先生に怒られた。

「違いが分からん」

格好良いから真似をしたい。だけど、真似をすると怒られる。どうして?真似をして良いものと、真似をしてはいけないものの線引きはどこ?


こっこと仲良しのぽっさんの出した答えは、本人がそれを嫌だと思うかどうかじゃないか、だった。
一理ある。でもそれはどうやって見分けたら良いんだろう。

吃音を真似されたぽっさんは、こっこが「かっこええ」と思って真似をしていると分かっていたからこそ嫌じゃなかったよ、と言う。

ぽっさん自身は嫌じゃなかったけれど、ぽっさんのお母さんは真似されていることを可哀想だと思っていて、それが嫌だなって思ったことはあった、と。

「可哀想って思われるのがなんで嫌なん?」

小学3年生の、こっこの質問はむずかしい。


こっこの質問に答えてくれたのは、祖父・石太。
その答えは、イマジンでした。

「想像するしか、ないんや」
「年とったら分かってくることもある」

今まで経験してきたことの積み重ねで学ぶことは多い。「習うより慣れろ」なんて言葉もあるくらいだもの。
ぽっさんの言っていた「本人がそれを嫌だと思うかどうか」も大事なのはイマジンだ。真似された相手がどう思うのかを想像する。


円卓を囲んだいつもの晩御飯の時間に、お母さんが妊娠したことを報告するシーンがあります。三つ子のお姉ちゃんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、みんなわあっと喜ぶ中、こっこは「別に嬉しくない」と言うのです。

そしてここで、冒頭の台詞。

「なんで家族が増えるのは嬉しいんや?」

こっこには分からない。
どうして家族が増えるのが嬉しいことなのか。どうしてみんなが揃ってあんなにも喜ぶのか。

その質問をぶつけられたぽっさんの回答に痺れる。

嬉しなかったら喜ばんでもええ

わたしだったら、なんて答えたのかな。
「逆にどうして嬉しくないの?」なんて聞いたのかな。それってまるで質問から逃げているみたい。それにその言葉には「どうして喜ばないの?」と言う気持ちが隠れているような気がする。

わたしこそイマジンが足りなかった。

今まで蓄積されてきた経験による世の中の「当たり前」は「普通」という言葉に言い換えられるかもしれない。
わたしは「普通はこう思うよね」を無意識のうちに自分の中に飼っているんじゃないのかな。そうだとしたらゾッとする。

普通はあくまでも普通であって、普通が正しいなんてことは無いのに。




先日放送された坂元裕二脚本のスペシャルドラマ『スイッチ』に、こんな言葉が出てきました。


この世の全てが三択問題で出来ているとして、人とサルで比べたらサルの方が正解率が高いらしい。サルは33%の確率で正解を選ぶが、人は大抵感情や経験に邪魔されて間違いを選んでしまう。人はサルにも劣る。

今まで経験してきたことの積み重ねで学ぶことは多い。同時に「普通はこう思うよね」が蓄積されて自分の中の「普通」が正しいものだと勘違いしてしまう。

「嬉しなかったら喜ばんでもええ」とこっこに伝えたぽっさんが、わたしには眩しかった。小3でこうもハッキリ言えるのか、とも思ったし、小3だからこそ言えたのかもしれないなとも思う。



「普通」が嫌いなこっこは人との違いを求めた。
一方「普通じゃない」が嫌いなのが、ルル子だ。

アニメ制作会社TRIGGERによる設立5周年記念作品『宇宙パトロールルル子』は7分×13話という面白い構成のアニメ。ジャンルはなんだろう。ハイテンションSFラブコメディ、って感じですかね。


※この先、宇宙パトロールルル子のネタバレありです。

ルル子は、この地球で唯一にして最も普通じゃない街、宇宙人と地球人が共に暮らす銀河指定宇宙移民特区・OGIKUBOの超普通な現役女子中学生。

(日本にお金が無くなってOGIKUBOを売っちゃったから宇宙人も暮らし始めているんですって。ちなみにこの後OGIKUBOがオークションにかけられたりします。音で聞くとさらに面白い。)

普通じゃない街で暮らすルル子は「普通じゃない」が好きじゃない。とにかく「普通」が一番だと信じて「普通」に過ごすことがルル子にとっての目標です。


ルル子は、転校生のノヴァくんに恋をします。
ルル子にとって、それは初恋。

ラスボスであるブラックホール星人は、宇宙のあらゆる価値のあるものを万引きしてきました。しかし何周か回って価値の無いものを欲するようになり、「後先考えない無知な中学生の浅はかな初恋」こそが宇宙で最も価値が無いものであるとし、その結晶である「ときめきジュエル」を万引きするために感情を持たないノヴァをルル子に近づけて、初恋を育てていたのです。

けれどルル子からの熱い想いを受けて、ノヴァくんに変化が訪れます。それまで感情が無くて空っぽだった、人形としてしか使われていなかったノヴァくんが涙を流すのです。「これが…感情…」と呟きながら。

いまの僕は…普通のノヴァだ!

感情が宿ることによってノヴァくんは「普通」になれた。このシーンにわたしはものすごく感動してしまったわけです。
それまでもルル子は「普通」が一番だと何度も何度も繰り返し言っていたけれど、ラストにこんなにも「普通」が尊いものとして描かれるなんて。



こっこの場合、周りは「普通」だから「普通」から抜け出したくて、ルル子の場合はその逆で周りが「普通じゃない」からこそ「普通じゃない」から抜け出したかったのかな、と思います。

2人に共通しているのは「普通はこうだよ」って決めつけられることに対しての嫌悪感

ノヴァくんを見ても分かる通り、本来「普通」自体は嫌なものじゃないはずなのに。


わたしの思う「普通」はあくまでもわたしの中での「普通」であり、「普通」は正しくもないけれど、悪いものでも無い、ということに改めて気付かされました。
「普通」や「みんな」のような曖昧な言葉は使用頻度が高い上に、安易に人を傷付けてしまいがちな言葉でもあるから気を付けないと。

わたしにはわたしの「普通」があるように
他の人には他の人の「普通」があるんだよ。

世の中の「普通」と自分の「普通」がずれていることもあるかもしれないけれど、一概に悪いわけじゃないんだ、きっと。

自分の「普通」を人に押し付けることはしたくない。


大切なのは、イマジンだ。
いつだって想像することを止めないように。



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