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休職期間の記録15 休職中の過ごし方と時間の流れ/ 時間を無駄にした感覚について/「波止場日記」と島の人たち


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休職中の過ごし方と時間の流れ


休職したら退屈で時間がゆっくり流れることを期待していたけれど、案外そうでもなくて、結構すぐに1日は過ぎていく。

人と会う予定のない1日の過ごし方の、一例をあげるとこんな感じ。

7:50 
起床 
母と兄の写真の前で線香に火を灯す(兄は生きている。)
コーヒーを淹れるためにお湯を沸かしながら、洗い物の片付け
植物に水やり
朝食づくり、朝食
コーヒーを飲みながらLINEやメールの返事

9:00
ウクレレの練習
noteを書く

13:00
図書館で読書

16:00
スーパーで食糧を買う
軽食

17:00
近所の神社まで散歩

18:00
作業

20:00
夕食づくり、夕食
映画やドラマを見るなど

22:30
風呂
ベランダで涼む
読書

24:00
就寝


仕事をしていなくても案外することはたくさんあって、暇じゃない。
これに、洗濯や掃除などの他の家事、友人と電話をする予定なんかが入ると1日はあっという間だ。

人の書く文章を読んだり、stand.fmやpodcastなどを聞いたりしながらいろんなことを考えていると、人と会う予定のない1日も、すぐに過ぎていくし、いろいろ考えていると頭も使うしお腹もすく。

いろいろなことを以前より時間をかけて丁寧にできるようになって、自分の頭で考えることもちゃんとできているんだけど、そうなると日常で体験することの一つ一つの解像度があがって、結局使う頭のエネルギーは働いている頃とあまり変わらないかもしれない。

「仕事していても休んでいてもどうせ同じくらい頭を使うなら、そろそろ働こうかな」と思ったタイミングで仕事に復帰するのが理想だと最近は思っている。


ある日の奈良の夕焼け空


僕はstand.fmやpodcastを聞きながら散歩することをよくする。
奈良は空が広いから、歩くだけで開放的な気分になれる。

川沿いを少し歩いて、近所の小さな神社の参道を通るのがお気に入りのコース。開発されていない、田んぼばかりののどかな場所を通って帰る。

昨日は歩きながら友人の配信を聞いていた。
嘱託殺人の裁判の傍聴に足を運ぶ友人の、彼ならではの考察はじんわりと考えるきっかけをくれる。

時間を無駄にした感覚について


 今週は久しぶりに手帳に余白が多い1週間だ。畑仕事を手伝わせてもらっている家の草引きに行こうと思ったけれど、日程が合わず、そもそも雨も多い週だから、今週はおとなしく本でも読んで過ごすことにした。

昨夜家でお酒を飲んで(去年の7月に漬けた梅酒が1年たつ前になくなりかけている)少し遅くまでNETFLIXを見ていたせいか、朝目が覚めたあとも眠く、朝食のあとで二度寝をして10時半くらいに起きた。

時間を無駄にしてしまったと思ったけど、そもそも時間を無駄にするってなんだろうと考えた。休職中で、目の前にするべき仕事が大量にあるわけでもなく、受験を控えた身でもない。それなのに何か生産的なことや、意味のあることをした方が良いという感覚は、どこから来るんだろう。強迫観念というほど強いものではないとしたら、何かしらの欲求がそう思わせている。

社会の役に立つとか、価値のある人間になりたいという欲求かもしれない。それは、劣等感や承認欲求から来てるのかもしれないし、ちっぽけなプライドなのかもしれない。だけど、これだけ価値観が多様化した社会で、そのときの自分が思う、価値のある人間になるための努力なんて、単にどこか一つの方向に自分を変化させていくことに過ぎない。状況によっては、できないことが多い人の方が価値を持つかもしれないのだ。

それに、目標に向かってたゆまぬ努力をしたって、達成した目標にあとで価値を感じなくなれば、努力した時間を無駄に感じてしまうことだってあるだろう。

逆に、「時間を無駄にする」ということは、すごく贅沢なことなのかもしれないとも思う。カズオイシグロの「わたしを離さないで」の映画を最近見て、自分に残された時間の短さを思うようになった。程度の差こそあれ、誰にとっても、残された時間は有限で、決して長いものではない。

空気をたくさん吸うことを贅沢とは感じないけど、お金をたくさん使うことが贅沢と思うのは、お金が有限で価値のある存在だから。

それなら、決して潤沢にあるわけでもない、尊い時間を無駄にする、大して意義がなさそうなことに使うことは、実はすごく贅沢な行為なんじゃないか。

そんな、くだらないことを考えて、僕は時間を浪費している。



「波止場日記」と島の人たち

エリック・ホッファーの本を最近読んでいる。沖仲士として波止場で働いた1900年代のアメリカの思想家。

図書館に数冊置いている彼の本のうち、「エリック・ホッファー自伝」は、僕が彼の本を勧めた元職場の先輩が先に借りていて読めない。なので、「現代という時代の気質」を読んだあと、いま「波止場日記」を読んでいる。

エリック・ホッファー同様、僕も図書館の近所に住んでいて、図書館が休日の日も、借りた本をテラス席で読むことが多い。だけど今日は図書館の前の川で草刈作業をする音が大きく読書に集中できなさそうだったから、蔦屋書店のある複合施設の建物で読むことにした。雨だったけど、室内より屋根のある外の空間が快適だから、コンビニで菓子パンを買って、持参したコーヒーと嗜みながら、コンビニの外のテーブルで読書をする。


”Working and Thinking on the Waterfront”(原題)を「波止場日記」とした邦訳本のタイトルはセンスがあるなあと思う。

内容は、1958年から1959年のエリック・ホッファーの日記である。


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