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災い転じて福と為す ~車の故障から考える

いつ自由というものを感じるかと聞かれ、運転する時と答えたことがある。車があれば自分の好きな時に行きたい場所へ行ける。お気に入りの音楽を聴きながらハンドルを握る車中は、さながら動く自室のよう。

ある日の午後、快適に国道を走っていたら、ハンドル横の表示画面に突然、見たことのない警告の文字が表れた。足下から小刻みな震えを感じる。どうやらエンジンから来ているようだ。何かがおかしい。ハザードランプをつけたまま、のろのろ運転で帰宅した。
 
表示された警告内容を車の付属冊子やインターネットで調べたが、原因がよくつかめない。ディーラーの修理工場に電話した。誰も出ない。何度かけても出ない。数時間後に大事なミーティングを控えていた。友人に連絡したら用事があってたまたま近くを通るというので、送り届けてくれて事なきを得た。夕方学校の迎え時間になった。親切にも別の友人が私と子供を学校から自宅まで送ってくれた。帰宅後すぐ、友人に勧められた町の修理工場に電話する。爽やかな明るい声で受付の女性が電話に出た。車の状態を事細かに説明すると、それは深刻だと彼女は答えた。しかも修理日は一週間後だと言う。台車も出してもらえない。移動の自由のない、車無しの生活が始まった。
 
翌朝、早起きしてバスで子供を学校まで送っていくと、校門前で偶然隣人に会った。事情を話すと、自宅まで送ってくれることになった。これを機に連絡先を交換した。それ以来、この隣人がことあるごとに手を差し伸べてくれている。「この町では車がないとhandicapé(不利な立場に置かれること)になるわよね」登下校時の子供の送迎のみならず、買い物の必要があれば手伝うとさえ言ってくれた。彼女とは普段、挨拶か世間話程度の仲だったが、車中、プライベートな話をするうち親密度が増した。スペイン人の彼女は、陽気だが真面目な一面もあり、話がよく合った。
 
不便な生活を強いられて、改めて、自分の生活が車という脆いインフラのもとに成り立っているということを自覚した。そして、車の故障から生まれた思いがけない人とのつながり。生命に関わるような困難ではないが、それでも困った時に次々と救いの手を差し伸べてくれた人々の善意に、しみじみと感動している。この恩は彼らが困っていたら返したいし、困った誰かがいたら彼らのように親身になって手助けしたい。お礼を兼ねて、近い週末、家に隣人家族を招こうと考えている。

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