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グリム童話「つぐみの髭の王様」にみる、女性の心の変容と成長  ~内なる異性アニムスについて~



アニマ、アニムスという言葉をきいたことがありますか? これは心理学者ユングが見出した無意識の中にある元型、自分の内なる異性です。

意識の世界で男性として生きているならば、無意識の奥深くには女性的な要素があり、それをアニマと言います。逆に女性として生きているならば無意識の奥深くには男性的な側面がありそれをアニムスと言います。

男性的、女性的というとジェンダーによるものと思われがちですが、意識に現れている性質と正反対の性質が無意識のなかに存在するというふうに捉えた方がよいかもしれません。私たちの意識が捉えている自分なるものは、まるで海面に現れた氷山の一角のようにほんのちょっとの部分です、そして海面下の氷山の塊がとてつもない大きさであるように、私たちの無意識の奥底には自分の知らない自分、さまざまなコンプレックスや未だ活かされていない可能性が眠っています。アニマ/アニムスもそうした無意識の世界にある元型的力です。

アニマ/アニムスは無意識の世界のイメージなので、なかなか意識で捉えることは難しいのですが現実の異性に投影される場合がよくあります。とても惹きつけられる異性がいるとしたら、そこにはあなたのアニマ/アニムスが投影されているかもしれません。また、男性の夢の中に現れる女性像、女性の夢の中に現れる男性像もアニマ/アニムスのイメージかもしれません。アニムスはロゴス的な要素(理性、合理的思考に基づく認識、判断)、アニマはエロス的な要素(性愛に限らず、愛、情の側面、関係性)であると言われています。

男女関係は、良くも悪くも人生のさまざまなドラマを生み出しますが、それはそれぞれのアニマ/アニムスを相手に投影し合って、意識世界の男女と無意識世界の男女が4つ巴状態になるからかもしれません。

一方で、異性との関係性を通して、私たちは自分の無意識にある内なる異性と出会っていくことになります。投影というのは、自分の無意識のなかにあるイメージを現実の相手に投げかけるわけですから、当然ズレが生じます。いざ一緒になってみると、あれ?こんな人だったっけ?と疑問や違和感が出てきて、こんなはずではなかったと関係がギクシャクすることもあるでしょう。相手に不満をぶつけたり、責めたりしても何も解決はしないものです。そこにはまちがいなく自分の無意識裡の問題が関わっているはずです。そのことに気付き、自分が相手に何を求めていたのか、どんなイメージを投影していたのかということに目を向けていかなければ、自己成長はありません。そして多くの人たちは、すったもんだしながら、実は無意識にそれをやっているのだとも言えます。

人々が紡いできた昔話や神話にユング心理学の光をあてて読んでいくと、自分の心のなかで起こっていることが多少なりとも俯瞰できて、自分のすったもんだしていることの意味がもう少し深い次元で見えてきたりします。自身の心の成長のために必要なプロセスを辿っているのだと感じることができれば、苦しい道のりもなんとか進んでいくことができるのではないかと思うのです。(私がnoteにこのシリーズを書いているのは、そんなふうに思うから。)

さて、アニムスに話が戻りますが、河合隼雄が「昔話の深層」(福音館書店)という著書で「つぐみの髭の王様」を女性のアニムスの成長の物語として取り上げています。20代の頃にこれを読んだときは今ひとつピンときませんでした。あれから長い歳月が過ぎ、再び読み直してみたら、目から鱗がポロポロと落ちる思いでした。

それでは河合先生の著書を土台にしながら、女性の心のなかにある内なる異性アニムスの成長についてみていきたいと思います。

お話のあらすじは下記をご参照ください。https://www.grimmstories.com/ja/grimm_dowa/tsugumi_no_hige_no_osama

このお話には、父王とお姫様、そしてつぐみの髭の王様(貧乏楽師でもあり、馬に乗った兵隊でもあり)の3人が登場人物です。お話を自分の心の内側のできごとして捉えてもらうとわかりやすいかと思います。

お話に母親が登場しないところをみると、お姫様は母との結びつきよりもむしろ父との結びつきがとても強いようです。父娘の結びつきが強い場合、父は自身のアニマを娘に投影し、娘は自身のアニムスの原型を父のなかに見ている場合があります。お姫様のアニムスのイメージは立派な父王。ゆえにどんな求婚者が現れようとも魅力的には見えません。

娘が父親から自立していくためには、父以外の新しいアニムス像を見出す必要があります。父親は娘の自立を望みながら、一方で手放すことへの葛藤が生じます。娘が彼氏や結婚相手を家に連れてくると、なんくせ付けたり、高いハードルを与えたりしますよね。娘が新しいアニムス像を見出すと起こる現象なのではないかと思います。

この頃のお姫様はまだ、父親のアニマの投影のまま、父の可愛い娘として生きています。年頃になり、女性としてのペルソナ(外側の社会的な役割りとしての側面)を身に纏っていく反面、彼女のなかの未発達なアニムスは徐々に力を持ち始め、自我に影響を及ぼします。父王はお姫様の結婚相手をみつけようと求婚者たちをお城に招き会わせますが、お姫様は悉く求婚者たちをけなし、バカにして切り棄てます。こうした辛辣さ、人を見下す態度は未熟なアニムスの現れです。未熟なアニムスは容赦なく相手を攻撃し、切り棄てるということを平気でやってしまいます。

アニムスの切断の力は諸刃の剣。ときに女性を孤独に陥らせます。自己主張が強すぎるとまわりから孤立してしまうわけですが、一方で、周囲に迎合せず、はっきり自己主張し、きっぱりとNoを言う切断の力は女性の自我を作っていく上では必要なものでもあります。

父王はおそらく求婚者のなかからお姫様が相手をみつけて、父の安心できる範疇のなかでの幸せを願っていたことでしょう。しかしそうならない娘に業を煮やし、戸口に現れた乞食と結婚させるという思い切った決定をします。そうでもすれば娘は心を入れ替えるかなと思ったかどうか・・・ そして実際貧乏楽師が現れます。父王は葛藤があったでしょうが、父の厳しい父性の側面がお姫様を自立の道に押し出しました。お姫様は観念して、この状況を受け入れ、貧乏楽師の男と一緒にお城を出て行きました。昨今、優しいお父さんが多くなりましたが、「いいかげんにしろ!出ていけ!」というくらいの厳しい父性はときには必要なのだと思います。兎にも角にも、こうしてお姫様は未熟なアニムスを成長させていくプロセスを歩み出したのです。

最初のうちは覚悟ができていません。 素晴らしい森や広大な牧場、大きな都がつぐみの髭の王様のものであると聞くたびに「あたしはほんとにかわいそう。あいつにしときゃよかったわ」と自己憐憫と偽りの反省を繰り返すばかりです。

けれども自力で生きていかねばならず、そのためにはなんでも自分でやらなければなりません。火おこし、料理、籠編み、糸紡ぎは母性を養う仕事。それが欠けているお姫様にまず始めに課せられました。お姫様にとってなかなか厳しい修行ですが、手を傷つけながら頑張ります。

自分で自分の世話をすること、自分を守り、慈しむことはいわば内なる母性の為せるわざ。それは生きていく上でとても大切です。そしてそれは健全なアニムスを育てる上でもとても大切なものです。

頑張ってもうまく出来ないお姫様にご亭主は「からきし、役に立たねえ奴だ」とけちょんけちょんに言います。なにをやっても上手くいかない時、自分の無能さを思い知り、へこみながらもなんとかそれでも頑張ろうとするのは、アニムスに向き合っている証です。未熟なアニムスに憑りつかれている人は、他人の無能さが目について、それについて文句を言ったり、非難したりするものです。

ちょっと前のお姫様なら、まわりにケチをつけていたことでしょう。お気づきかと思いますが、貧乏楽師の男と一緒になってから、お姫様は夫に文句をつけたり、憐れな境遇を夫のせいにして責めることはしていません。ひたすら目の前の仕事を必死でこなしています。お姫様は、いつしか自身のアニムスに真摯に向き合うようになっているのです。自分の内面の課題として向き合っていく姿にお姫様の成長が感じられます。

やがて、夫が品物を仕入れ、それをお姫様が市場で売るという共同作業が始まります。アニムスと自我が共同し、建設的に働き始めます。商売はまずまずうまくいきますがこれはお姫様の器量よしが幸いしただけであって真の力ではありません。いわば女性性の安売りをしている状況です。

束の間の安定に留まることは許されず、さらなる成長の道として、厳しい試練が課されます。ある日市場にいきなり馬に乗った兵隊がやってきてお姫様の品物を蹴散らしてしまうという事件が起こります。これによってお姫様はさらにどん底に突き落とされてしまいます。とうとうお城の女中として下働きを始める羽目になります。しかも、脇に括り付けた袋のなかの壺にお城の残飯を分けてもらって、それで食べていかねばならないというなんとも、惨めで、プライドもズタズタな耐えがたい状況です。

そして、こともあろうに祝宴の場で、自分があれほどバカにしたつぐみの髭の王様に再会し、残飯の入った壺の中身を大広間にぶちまけてしまうという醜態を晒します。この試練はアニムスの成長の最終段階にきたことを表しています。

昔話はおもしろいもので、究極の場面になると、そこで一気に場面が反転します。自己の卑小感をいやというほど味わった途端、ついにつぐみの髭の王様の正体が明かされ、お姫様は苦難の道を歩いた意味を理解します。そしてつぐみの髭の王様に改めてプロポーズされます。

こうして、最初は、物乞いと結婚したお姫様ですが、今度は、つぐみの髭の王様と本当の意味での結婚をしてこの物語は終わります。本当の意味の結婚とは、心の内で起こる聖なる結婚です。自己の内にある異質性を受け入れ自我に統合するということです。成熟した内なる異性アニムスは女性を内側から支え、力を与え、その人らしい自己実現に向かう良きパートナーとなります。

どんな状況も逃げずに向き合っていく逞しさと自分も相手も慈しむ優しさを身に着けた一段と成熟したお姫様の姿が目に浮かんでくるようです。


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