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ふたつの「時」を生きる クロノスとカイロス

先月の勉強会では「クロノスとカイロス」について話をしました。いずれもギリシャ神話が元になっている「時」に関する言葉です。

クロノスは、いわゆる私たちが時間と認識しているもの。生まれた瞬間からすべての人に等しく流れる時間であり、量的に計測できる時間を指します。

カイロスは、個人の心が感知する質的な時間を指します。ギリシャ神話では、カイロスは男性神であり、絶好の機会を支配する神と言われています。この神は前髪は長いが後ろ髪はなく禿げているというちょっと変わった風貌。「チャンスの神様には前髪しかない」という言葉はここに由来します。カイロスはその人の人生にとってかけがえのない時間であり、また大きな変化や成就がもたらされる時でもあるのです。

ユング派分析家である河合隼雄氏は、「ユング心理学入門」のなかでクロノスとカイロスについて触れ、カイロスを大切にしないと自己実現の道を誤ることになること、一方でカイロスを大切にしすぎてクロノスを忘れてしまうと生きていくために必要なペルソナを破壊してしまう危険があることを述べています。

同じくユング派分析家であるジェイムズ・ホリス氏も、やはりクロノスとカイロスを取り上げています。

「ミドル・パッセージは人生行路上の時間軸に沿ったひとつの出来事というよりは心理的な経験である。時間を表すふたつのギリシャ語、クロノスとカイロスがこの違いを説明するのに適当である。クロノスが連続的で一直線上の時間であるのに対し、カイロスは奥行きをもった次元で示される時間である。・・ミドル・パッセージはその人が自分の人生を一直線上の年月の連なり以上のものとして眺めざるを得ない時に生じる。より長く無意識のままでいればいるほど、それだけ人は人生を、はっきりとしない結末に繋がる瞬間の連続体にすぎないものとして見なしがちであり、人生の目的はそのうちはっきりするだろうと思うのである。途方に暮れた状態から自覚へと転じるとき、垂直次元であるカイロスが人生の水平面と交差する。その時、その人の人生のスパンは深い視点から眺望される。」

ジェイムズ・ホリス著
「ミドル・パッセージ~生きる意味の再発見」

生れた瞬間、いや母親のお腹に宿ったときから私たちはクロノスの時を刻み始めているのですが、赤ちゃんの間は時を意識することはありません。しかしそれはほんの束の間であり、保育園や幼稚園、学校へと社会集団のなかで過ごすようになるとクロノス時間を意識して生きることを求められるようになります。 決められたスケジュールに従って行動すること、約束の時間や宿題などの期限を守ることなど、子どもの頃から社会の要請する時間の枠組みに沿って日々を送るようになるのです。クロノスを意識して生活することは社会で人々と共に協調して生きていくためには必要なことでもあります。

社会に適応して生きていくために意識の自分である自我は「自分は何者か」というアイデンティティ―を必要とし、なにかしらのペルソナ(社会に向けた自分の役割)を身にまとって、日々を過ごします。その一方で、無意識の領域を含んだ自己は、意識の表舞台では出番のなかった自身の要素、可能性や個性や能力のあれこれを内包したまま人生という旅を続けています。

その旅のなかで、出会う人や出来事によって、心が動くもうひとつの「時」を経験します。それがカイロスです。そのときにクロノスに縛られず、心の声にどれだけ純粋に耳を傾け、カイロスに身を任せることができるかということが、自己実現に大きく関わってくるのです。
人生の窮地に立たされたピンチの時にまさにチャンスと遭遇することもあれば、無意識の世界に押し込められていた情熱があるきっかけで突然溢れ出すようにして、人生の転機が訪れることもあるでしょう。

今回の勉強会の参加者のひとりは、最近の出来事として、友人の死をきっかけに自分の人生においても残された時間がそう多くはないことを自覚し、やりたいことをやるのなら今しかないと人生の舵を切ったという話をしてくれました。

カイロスを大切に生きるということは、「今、この瞬間」をしっかりと味わって生きるということに他なりません。今この時をマインドフルに生きることは、何を大切にして生きたいのかを意識することに繋がります。クロノスしか頭にないと、日々の忙しさに追われ、まさに心を亡くしてしまうことになります。まるでミヒャエル・エンデの「モモ」のお話に出てくる時間泥棒にどんどん大切な時を奪われてしまうみたいに。クロノスに縛られカイロスが希薄になると、かけがえのない大切な瞬間に気が付くこともなく、それらはただ通り過ぎてしまうのです。大切な人の笑顔、交わした言葉、丁寧に作られたご飯の美味しさ、目に染みるような空の色、頬をなでる風の心地よさ、新しい世界に触れたときめき、・・・ 出来事の記憶は残ってもその時の心の景色は跡形もなく消えてしまっているでしょう。

歳を重ねた今になって、日々の忙しさに流されて通り過ぎてしまったあの時、この時をふと思い、心に悔いと痛みを感じることがあります。「私はあの瞬間を心から味わって大切にしていただろうか?」と。

仕事や子育てに追われる若い頃はどうしてもクロノス中心の生活を無我夢中で生きてしまうものなのかもしれません。しかしやがてクロノスに縛られた生き方を空しく感じるようになり、なにか大切なことを見失ってはいないかという思いに駆られて、人生を見つめ直すような時期がやってきます。先ほどのジェームズ・ホリスはそれをミドル・パッセージと表現しています。

クロノスとカイロスのふたつの時を心に留めておくことは、ますます加速化していく現代社会に生きる私たちには、とても大切なことのように思います。


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