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「記憶」について思うこと

私たちは色々な記憶に彩られて生きている。
記憶は人を支えもすればときに苦しめもする。

認知症だった父は発症初期の頃、「頭に霞がかかったみたいなんだ」と、自分の記憶が薄れてあいまいになっていくさまを訴えた。以前の父からは考えられないような、頼りな気で不安な表情だった。家族の思い出話をすると「そうだったかね」とどこか困ったような心もとない笑みを浮かべていた。

記憶の欠損は、心の拠り所をなくすことであり、人を不安にさせるのだとそのとき強く思った。

父の元を訪れるときは、好物のイチゴ大福をしばしば持参した。そのたびに「こんな美味しいもの生まれてはじめて食べたよ」と満面の笑みを浮かべた。イチゴ大福は父親の記憶にはとどまらず、毎回が「初めて」のこととして、新鮮な喜びをもたらした。これは記憶のないことの数少ないポジティブな側面かもしれない。

記憶をなくすことで自分の心を守ってきた人もいる。あるクライアントは解離のメカニズムで辛い子ども時代の記憶の多くを封印して生き延びてきた。しかし子ども時代の途切れ途切れの記憶では自分の存在の拠り所がなく生きづらさを感じた。断片化された記憶を取り戻し、子ども時代の辛く悲しい感情を受け止めないことにはこの先に進めないと、失くした記憶のピースを拾い集め繋ぎ合わせる心の作業に取り組んだ。

辛く悲しい出来事も、幸せや喜びに満ちた事柄も、大切な記憶として、その人のなかに留まり、その人を形作っていく。アイデンティティーを成り立たせ、歩んできた人生に意味が付与され、今ここに在る自分を支えている。

ドットを繋げると一本の線になるように、その時々の記憶のドットの連なりによって、私たちは生きてきたことを実感する。

中学の同窓会で何十年振りに懐かしい友人たちと思い出話をしたとき、同じ空間、時間、出来事を共にしていたはずなのに、お互いに覚えているところが全然違うことに驚いた。相手が記憶していることは私には記憶のかけらもないなんてこともあった。

人によって目に映る景色は違い、受け取る情報も変わる。そして記憶される内容も異なるのだ。当然といえば当然なのだが、そのことを人はあまり意識してはいない。

人が変われば記憶も異なる。これは家族の間でも同様だ。親が何気なく発した言葉やふるまいを子どもは記憶に刻み付ける。

自己否定がとても強い、ある若い男性。そんな彼が子ども時代の忘れられないこととしてあげたのが母親の言葉だった。

小さい頃活発だった彼は、家でも母親のお手伝いをしたくてしょうがなく、ことあるごとに「それ僕にやらせて」と言っていた。そんな彼に母親は「なにもしないでおとなしくしていてくれるのが一番のお手伝いよ」と言ったという。

それ以降、彼は自分が何かをしたがるのは良くないことなのだと思うようになり、積極的に何かに手を出すことをしなくなったという。

多分、活発でやんちゃな彼に忙しい母親はときに手を焼いて、思わず言ってしまったのだろうと推測される。そんなやりとりがあったことなど、おそらく母親の記憶のなかには残っていないかもしれない。

記憶はある意味、残酷だ。個人のなかでネガティブに意味づけられ、その人を縛り付ける。

ふと雑記帳に書きつけていた文章をみつけた。(心に残ったから書き留めておいたのだけれど、すっかり忘れていた!)

記憶は、過去のものではない。それは過ぎ去ったもののことではなく、むしろ過ぎ去らなかったもののことだ。とどまるのが記憶であり、じぶんのうちに確かにとどまってじぶんの現在の土壌となってきたものは記憶だ。
記憶という土の中に種子を播いて、季節のなかで手をかけてそだてることができなければ、ことばはなかなか実らない。じぶんの記憶をよく耕すこと。その記憶の庭にそだっていくものが人生とよばれるものなのだと思う。

    長田弘「記憶のつくり方」あとがきから

私たちは、記憶を消化して、ときに昇華して、意味付けて生きている。それによって生きている実感を得ているのだろうと思う。

記憶力の衰えを感じるこの頃だからか、年齢を重ねるにつれ「記憶」についての重みが増している。そしてどんなささやかな経験も目に映る風景もしっかりと味わい、記憶にとどめておきたいという想いも強くなっている気がする。

たとえいつか忘れてしまう日が来るとしても。

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