温泉の湯舟の違いに隠された衝撃の事実!古文書『温泉考』解読⑥
寛政六年(1794)の古文書『温泉考』の解読第6回目です。
前回のページ以降、硫黄に関する記述が延々と続き、ほぼ論文になっています。そうして専門性がより高くなった反面、庶民性がなくなってしまったため、思い切って割愛することにしました。
ようやく少し身近な話が戻ってきたようですので、今回は湯舟が複数ある意味とその背景について、現在のどのあたりの温泉を具体例として示しているか、そのあたりも含めながら、ご紹介していきたいと思います。
各地の温泉には、一か所にいくつも湯舟の
ある所があります。土地はひとつなのだから
お湯に違いはないと思ってはいけません。
湯舟と湯舟の間のわずか2~3間
(3.6~5.4m)の間に、その湯の性質が
大きく変わっているのです。
これは、湧く地中の火が同じものであっても
その湯となる水脈に相違があるか、
もしくは土中ですでに湯となったあと
合流した筋に相違があるためです。
備前温泉山※には湯舟のたくさんある
場所があります。その湯舟の間
たった4・5間(8m前後)から
8・9間(15m前後)しかありません。
※備前温泉山=岡山県南東部の
備前市・和気町あたりか
わずか見渡せるほどの距離のところで
その湯に違いがあるわけがないと
思いがちですが、その湯の色は
米のとぎ汁のような白い湯もあれば、
青黒色の砥汁のような湯もあります。
その湯はみな極熱で、人が入れるような
ものではありません。ですから、
現地の人は名付けて地獄と言います。
入湯できないのでその効能は不明なのですが、
色がこのように大きく違うため、
その性質が別々なのは明らかでしょう。
この湯舟の土の質は同じなので、
地中で湧いている火も同じはずですが、
その湯舟ごとの水脈の違いか、土中で湯と
なったあとに合流してできる筋の違いで、
このような色に相違ができるのです。
但馬(兵庫県北部)の城崎温泉も
新湯と瘡湯とがあり
その距離わずかしかないものの、
新湯は瘡を発し、瘡湯は瘡を癒します。
また、曼陀羅湯※の東槽は瘡を発し、
西槽は瘡を癒すというのも同じ理由ですから、
その湯舟ごとの湯の筋が近いということであって
湧かす火に違いがあるわけではないのです。
※曼陀羅湯=元正天皇(717)の頃、道智上人の
曼陀羅一千日祈願によって湧き出た湯
【たまむしのあとがき】
温泉に石風呂とか檜風呂とかあるのとは、全然違う意味だったんですね。
岡山の温泉も城崎温泉も行ったことがないので知りませんでしたが、効能の違いを知らずに入ってしまって病気が悪化したら大変です。
文中に出てくる「曼陀羅湯」という言葉。これは城崎温泉にしかないもののようで、「まんだら湯」として現在も営業しており、これがそもそもの城崎温泉のはじまりのようです。
なかなかアクセスの大変そうなところですが、ご興味のある方はぜひ水脈の違う湯舟を体験してみるのもよいかもしれません。
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