温泉は熱くてもぬるくてもよくない。古文書『温泉考』解読⑦
寛政六年(1794)の古文書『温泉考』の解読第7回目です。
かつて温泉は熱い方がよいと訴えていた説を真っ向否定し、なぜ、そうではないのかについて説明しています。さらに今回もおススメの温泉を挙げていますので、そちらもご紹介いたします。
温泉であまり熱いのはよくありません。
また、ぬるいのは言うまでもなく
よくありません。
気持ちの良い温かさが良いのです。
香川太沖の説では
温泉は極熱のものを良しとし、
その威力は元気を助け活性化させ
さらに隠れた病を覚醒させて、
弱まっていた病をもぶりかえさせると
言っているのには笑止千万です。
元気を助け活性化させるなど笑えるだけでなく、
いまだかつて元気という言葉の意味を考えた
こともなかったのが、
改めて考えさせられるのでした。
しかし、元気論をここで語るのは趣旨では
ありませんので、その説の詳細は
省略することとします。
温泉の能毒を知るには、熱いのもぬるいのも
関係なく、湯筋の違いによるのですから、
極熱の湯でも寒冷の性質を含む温泉もあり、
薬湯は熱湯であっても、石膏の薬湯などは
寒性を備えていたりします。
そこまで極熱でなくとも、ほかのものに
染まらず、ただ混じり気ない硫黄の気だけ
土中で生成された温泉であれば、
その性質は温かくて良いものでしょう。
ですから、温泉を選ぶには、ただ気の異なる
ものに染まるか染まらないかをよく吟味し、
自然天然そのままの水脈の湯で、
硫黄の気だけで生成された湯の
熱からずぬるからず、身体に触れてみて
気持ちの良い温かさであればよいのです。
入湯した後に、内臓や肌の表裏内外が
温かくなり、それがしばらく続く湯が
極上の良湯と思ってよいでしょう。
筑前(福岡県)の貝原篤信(貝原益軒)※も
熱湯には入湯してはならない、温かいのが
良いと言っていますので、このことからも
納得していただけるのではないでしょうか。
※貝原篤信=貝原益軒の本名。
江戸時代前期の儒学者。
筑前の国、三笠郡天拝山の麓に
温泉があり、村の名を武蔵といいます。
そこの温泉は先のような異なる気に触れず、
異臭・異味も帯びず、自然天然のままの湯で
硫黄の臭気があり、熱からずぬるからず
心地よい温かさを感じるのです。
入湯した後の内臓や皮膚の表裏内外は
温かくなり、温暖の気はしばらく持続します。
頻繁に入湯しても肌が乾燥せず、
皮膚感染症や梅毒などのすべての皮膚疾患の
ある人は、この湯に入れば皆邪毒を排出し、
膿を押し出し、ことのほか回復が早くなります。
そしてついに9日~27日、遅くとも37日
経てばすっかり全快します。
実に最上至極の良湯でしょう。そのため、
入湯する人も近くの地域から大勢訪れます。
けれど温泉の理のわかる人はあれこれと
評論したりして、有馬などの湯より格別だの、
劣っているような気もするがそれは違うかも
しれないだのと言います。
世間の人は、耳は大事にするのに
目は疎かになるのです。遠くに心を寄せ、
近くはないがしろになる。
これはこの世の常でしょう。
呆れ返ってしまいます。
【たまむしのあとがき】
ここに書かれている「天拝山」付近には温泉がいくつもあるようですが、そのうちの一つ、二日市温泉についてこのようにあります。
今では九州といったら大分の別府温泉ですが、それはこの100年の間に有名になったということで、それまではこの二日市温泉だったのです。
つまり、本文の中にあった「武蔵」という地名が、今の二日市温泉のことなのでした。
有名旅行サイト「じゃ○ん」でも、九州の温泉ランキングにはありませんから、おそらく、地元の人か、温泉マニアの人しか知らないのではないでしょうか。
近くにあればすぐに現地調査したいものですが、関東在住のこのたまむし、九州は行けそうにありません。
せっかくこうして古文書『温泉考』を訳したのに残念です。
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