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わたしが自分を”コミュ障”という時の本当の意味と意図。

「わたし、コミュ障だったんです」

というと
決まっていろんな人にビックリされます。
たしかに営業経験14年で
初対面の人となめらかに会話できる。

そういわれると決まって困る。

コミュニケーションが
「相手とスムーズに会話ができる」

という程度のものなら
私はコミュ障じゃないかもしれない。

にこやかに相槌をうち
「そうなんですね」と話題を拡げ
つつがなく場を収める。

いや違う、違うんだよ。
そんな上っ面コミュニケーションじゃなくてね。

私がコミュニケーションに求めているのは
もっと違うものなんです。

私がコミュニケーションを通して得たいのは
相手と価値を共創すること。

コミュニケーションとは、
自分の価値を明確にして、
その価値と相手の価値を交換する
クリエイティブな作業でありたいんだ。

それがしたいのに、
何者でもない自分はそれが出来なかった。

「自分が誰の役に立てるのか
** どんなお役に立てるのか」
**
10代も20代も30代も、
ついこの数年前まで
明確にならなかった。

「私はこういう価値提供をしたい」

と世の中に堂々と胸を張って
いうことが出来なかった。

本で学んだノウハウで
「そうですか~すごいですね」
とか、質問話法とか
話題の展開方法を駆使して
その場だけ盛り上がっても
何も生まれない虚しさばかり残った。


そういう訳で
コミュニケーションとは
相槌術のような瞬間芸にあらず。

本当に人と繋がるためには
自分がどこに依って立つのかを
どこに踏ん張るのかを
決めなくてはならない。

私はそう思うんです。

だから、意外!って言ってくるあの人も
「自分は違うよ」と素知らぬ顔をする人も
どこもかしこもコミュ障だらけだと思ってる。笑

年功序列も昇進も
時代のロールモデルも見えないなかで

「あれを目指しなさい」
という指標がなくなったなかで

「自分はこうするんだ」と決めるのは
とても辛い作業。

それを決められることが前提の風潮で、
昨今のSNSやメディアで取り上げられる人もそういう文脈で
私だって、好きを追求しよう、と言ってる。

これがある種の人には
”キツイ”ことも心得ています。

でも、それは自分で見つけるしかない。

私も10歳から模索して、
自分なりに納得のいくコミュニケーションを
身に着けられるようになったのは
会社を創業してからだから、試行錯誤25年。

やっと、
誰が活躍しても
誰がどんな肩書を発表しようとも

彼らは彼ら。
私は流行りに乗って初めた訳じゃない。

って思えるようになったのも
つい最近かもしれない。


こういうことは、
一人で考えて答えが出ることじゃないから

ぜひ、会社以外の誰かと一緒に過ごしながら
自分の好きや得意なポジションを見つけて欲しいです。

そういう意味で
コミュニティに気軽に参加する人を
増やしたいと思っています。

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