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困難を乗り越え、感じた使命

日常生活からの脱出


2度目の結婚をしてから6年がたったころです。初婚で生まれた長男は、当時の旦那からしたら他人です。
 そんな、間柄でもそれなりに家族らしく暮らしていました。
しかし、自分がこのままこの人と生涯パートナーとして生きていくことが、果たして自分にとって幸せなのかと思い始めたのです。
いざ、小学校3年生の息子を抱えてシングルマザーとして生きる道と、ここまま愛のない毎日をこのパートナーと一緒に歩むのか、どうすべきなのか?自分の心に問いかけ始めました。
私は、以前からナポレオンヒルの「思考は現実化する」という本を何度も読んでいました。

シングルマザーになる決意



そこには、現実は全て自分の思考から創造されていると書かれていました。
私は、自分の人生は自分で創っていける、創造できるのだったら、離婚という選択をしても、わたしの意志次第でいかようにも人生をクリエイティブしていけると信じたのです。
そして、2度目の離婚を決意し、自分の人生の主人公は自分なのだ、自分の色で人生をクリエイトしてゆこうと決意しました。

好転してゆく生活


離婚を決意し、仕事、住む場所を探そうとした矢先です。
当時、専業主婦だった私ですが、タイミングよく派遣会社から電話があり、「現在のお仕事状況はいかがですか?」との連絡をいただいたのです。
私は、「いまちょうどお仕事を探そうとしていました。」と伝えると、とんとん拍子に、正社員のお仕事が決まりました。
そして、住む場所についても、離婚を決意した日に、不動産屋さんを訪ね、
「子供の学区の変わらない、ここの地域で売り物件ありませんか?」
と尋ねると、「まだ公表していない案件が今日出てきました。よかったら内観しますか?」
とのこと。ちょうど、私が住みたい場所で、お値段も購入することができる金額でしたので、即決でした。
離婚を決意したとたん、私の前途を応援するかのようにタイミングよく、お仕事、住居が決まったのです。
そして、新しい職場、新たな住居で息子と二人の生活が始まりました。
私は、自分の人生を自分の意志のみで作り上げていくことに喜びを感じていました。


変化に対するおためし、ホメオスタシスな出来事


しかし、2度目の夫は別れた後、私が住んでもいないマンションの借金を私に押し付けてきました。当時シングルマザーで子供を育てていた私にとっては、青天の霹靂であり、怒り心頭でした。しかし、以前旦那と住んでいたマンションの連帯保証人の押印をした以上、私にも責任はあるので、残金を支払いました。

出会いで変化した私

そして、シングルになった私はある男性に恋をしました。私にとっては雲の上のような人でした。
しかし、私はこの人と必ず結婚するという思いだけは揺るぎのないものがありました。
その人に選んでももらえるような女性はどんな人なんだろうと考え、自分なりに出した答えをもとに行動していきました。
その方は会社を経営している方でした。それに関連して、秘書検定1級、簿記検定2級を取得。そして、女性らしさを身に着けようと、着物インストラクター、マナー講師、料理講師としての学びを深めました。

そしてついに私は


彼を思い続けて、2度目の離婚後、およそ15年の時を経て、彼と結婚をしたのです。私は、本当に幸せでした。私は彼にふさわしい女性になろうとずっと思いながら、一日一日を過ごしてきたのです。なんの疑いもなく彼と人生を歩むのだとこころに決め、そこに焦点をあてて日々を生きてきました。そして、結婚することが出来ました。
彼は私に仕事をしてほしくないといい、専業主婦でゆったりと家で好きな事をしていいと言ってくれます。生活するのに十分なお金もあります。
いままで、味わったことのない金銭的、時間的、愛情的な豊かさを全て手に入れました。

ところが、

とんでもない出来事が、、、


そんな生活の中、私は乳がんを告知されたのです。
告知後、がんの切除手術を受けました。しかし、その後ガンの標準治療を私は受けないと選択しました。自分で探した代替療法に取り組んでいましたが、術後1年半年後、再発してしまいました。そして、ステージ4、骨に転移し、起き上がる事、走る事がままならない体になってしまったのです。当時は灯油ストーブの灯油缶を持ち上げることが出来ないほど、病気の進行により腰骨が溶けていたのです。

私の決意


すでにスピリチュアルライフコーチであった私は、現実は思考の結果であることを知っていて実践もしていました。
絶対に治したい、絶対にもとの健康な身体に戻るんだ、大好きな人を見とってから私は人生を終えなきゃ彼に申し訳ない、との強い思いから、絶対にこの乳がんを克服すると決めたのです。
わたしは、必死で情報を探しました。なんとか、がんの標準治療に頼らず回復するすべはないのか、いままでやってきた温熱治療、針治療、食事療法をすべて見直し、何とか回復する方法はないのか懸命に探したのです。


有益情報を手にした?


すると、YouTubeでふと目にした動画が目に留まり、その先生ががんの方のための生活指導をしていたので、早速申し込みました。
なかなか予約が取れない様子でしたが、たまたま2週間後に予約をすることが出来ました。
そして、その先生の生活指導を受け、忠実に実行をしてきました。
当時は同時にホルモン治療も始めたばかりでした。
体は、薬の副作用もあり、白血球が激減し、疲れやすく、真夏の暑さに耐えられず、お昼はよくベットで横になっていました。
趣味の畑仕事もすることができず、夏野菜たちは水不足で生育がいまいちな状態でした。

変化してゆく体


そんな体でいるなかでも、生活指導の教えを毎日実行してきたなか、腰の痛みは日に日に緩み、7月にCT検査で溶けて空洞化した腰骨は12月のCT検査では空洞は小さくなり、確実に骨が形成されていました。
深呼吸すると、せき込んでいた胸も、次第にせき込むこともなくなり、毎月の血液検査では、異常値だったがん腫瘍マーカーは12月の検査結果では、正常値内になったのです。
そして、12月から断薬し、いまでは自然食品、天然成分でできたサプリを取り入れながら、ジョギングや畑仕事、孫を抱っこしたり、おんぶしたりできるまでに回復したのです。
一度は病気で死んでいくのかもしれないと恐怖を感じていましたが、いまは、脱出した思いです。
わたしは、生きられるのだという確信に変わりました。断薬してから、6か月が経とうとしていますが、体は目立った異常はありません。

経験して得た気づき


私は、大病を経験することで気づけたことが沢山あります。
人は沢山の人の愛情を受け取って生きていること
一人で突っ走っているように見えながらも誰かに支えられていること
結婚後、しばらくした頃、旦那の愛情に疑問をもった私は悲しみを心に抱えていました。
しかし、病気を通して、彼は私を絶対に病気から救い出したいとの思いを見せてくれて、本当に心から感謝をしています。思い出すだけでも、目頭が熱くなります。
また、医療だけに頼らず、情報収集することの大切さを感じます。
いま、私は、死を直面しながらも、自分の体をもとに戻しつつあり、そしてがんは回復する病気であることを体験しました。


使命


がんは治らない病気であるとの認識は薄れつつありますが、薬や医療行為のみに頼り切らず、多くの方が健康になっていく社会、そして、かつて私が母子家庭で生活していたような、行動するのにも窮屈な社会を変えて、どのようなライフスタイルであっても、個々人が容認されるような社会づくりに貢献していきたいと考えています。
いまは、使命を同じくした同志が集まる女性起業家コミュニティに属し、それぞれが持つ目標を応援しながら、同志の夢と自分の夢を掛け合わせた理想とする社会づくりを、小さな一歩からでもみんなで力を合わせて構築しています。


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