見出し画像

阪神ファンと売り子とジェット風船

今をさかのぼること30年。

「姉ちゃん!そのビールみな買うたるからここで一緒に応援してけへんか」

甲子園球場ライトスタンド。阪神タイガース応援団ご一行様。

アルバイトに憧れた高校一年生。今は無きアルバイト情報誌を見て思いを馳せる。高校生OK・短期バイトに丸をつけ、休み時間に友だちと相談。

「これ、夏休みやったらできるんちゃう」

人生初のアルバイト、甲子園球場の売り子。

当時プロ野球ファンだった私は単純に『野球を見ながらバイトができて、運が良ければ近くで選手も見られるかもしれない』という不純な理由が決め手で売り子のバイトを選んだ。

随分昔のことなので記憶が定かではないが、確か登録制で当日は先着順でバイトに入ることができるシステムだった。今の売り子のような可愛いユニフォームを着た華やかさは無い時代だ。

給料は日払いで、固定給プラスビール1缶売っていくらかの歩合制。巨人戦は客入りが良く、その分売り上げも見込めるため、バイトの枠も争奪戦だったのを覚えている。

ビールサーバーではなく、缶ビールの入った総重量十数キロの重い木箱を首から下げて球場内を回り、ビールを売る。注文を受けてから缶ビールを開け、紙コップに注いで渡すのだがこれが意外と難しい。しかも指には千円札を挟んでいる。

狭い通路でバランスを取りながらの作業。

こぼさないように渡さないといけないというプレッシャー。うまく注げず泡が立ち、全部入りきらない時もたまにある。そんな時はお客さんの目がこわい。

「全部入ってへんやん」と文句を言われないために、最後はコップの上で缶を逆さにしてもう缶には残ってませんよアピールをすること

という指導まであったくらいなので、怒られ案件なのだろう。


通路に近い人に売る時はいいが、列の中央付近の人への受け渡しは困難を極める。売れずにもたもたしているとすぐにぬるくなり、その分泡も立ちやすくなるので冷えてるうちに売らなければならない。

冷たいビールと交換しに行くのは手間がかかって面倒だ。その分時間もロスして売り上げも減ってしまうので、補充以外でバックヤードに戻るのはなるべく避けたかった。嗚呼、あの時代に保冷バッグを届けたい。

ベテランで固定客がついているアルバイトのように効率良く売り歩くこともできず、要領悪くひたすら階段の上り下り。常に「ビールいかがですかー」と言い続けるので喉はカラカラ。これほどまでに体力勝負の仕事だったとは……

初めてのお給料は確か4000円くらいだったか。交通費は支給されなかったので、往復の電車代を引いて時給にすると500円にも満たなかった。

球場の雰囲気と初出勤のテンションでなんとか初日は終えることができたものの、帰る頃にはふらふらで翌日には熱が出た。今思えば熱中症だったのだろう。体力的に続けていける自信がすでに無かった。

◇ ◇ ◇


ある日のヤクルトスワローズ戦。

足取り軽やかに甲子園へ向かう。この日を待っていた。
私はヤクルトファンでブンブン丸こと池山選手が好きだった。

試合と選手を気にしながらだったせいか、その日の売り上げはさっぱり。そんな時、ライトスタンドのいちばん上のお客さんから声をかけられた。

10人ほどのグループの阪神ファンご一行様。

「姉ちゃん!そのビールみな買うたるからここで一緒に応援してけへんか」

「ほんまですか!」

あっさり誘いに乗る不良バイト。

(試合も中盤。今から回っても全部売れるか分からない。なにより疲れたし試合も見たい。もういいや。ビール全部買ってもらえるならラッキー。)

そんなことを思いながら腰をおろして野球観戦に興じる不良バイト。

「姉ちゃん、誰のファンや」

どこのファンとは聞かない。阪神ファンと信じて疑っていない様子。ここで本当のことを言ってしまうとビールを持って帰らされるはめになりそうなので

「新庄です!」

と元気良くこたえた。

「おお!そうか!ええな、新庄!」

おじさんは満足そうに言ってビールを飲んだ。その後もグループの人たちと色々話をしながら一緒に阪神の応援に加わった。

そして迎えたラッキーセブン。

ヤクルトファンであることを隠しての応援だったが、楽しすぎてすっかり忘れていた。7回裏、ジェット風船が飛ぶまでにバックヤードへ戻ってくるように言われていることを……。

風船と混雑に巻き込まれると帰れなくなる。

時すでに遅し。
まわりはみんな風船の準備を始めている。

急いで戻る準備をし、ビールを買ってくれたお礼を言って撤収。


ピューーーーーーーー

立ち止まり、ジェット風船が飛ぶのを見ながら
売り子は今日でやめようと思った。


#創作大賞2023 #エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?