お風呂掃除で学んだ人生論
実家に帰省した時、小学6年生の時の日記を発見した。小学生の私は、お風呂掃除中に人生について考えていたようだ。
日記の内容:11月25日 日曜日
昨日、お母さんに「お母さんは、明日1日仕事だから、布団干しか、お風呂掃除か、どっちかお願いね。」と言われたので、私はすかさず「お風呂掃除やる。」と答えました。答えたとたんに暗い気持ちになりました。「あぁ、明日は洗濯物を干して、皿洗いして、家族の湯たんぽのお湯をはらって、鶏に餌をやって、おまけに風呂掃除かぁ、いくら1日あったとしても、イヤだなぁ。」と思いました。
いよいよ今日です。日曜日。10時まで、「イヤだー、イヤだー。」と、うだうだしていました。やっとの思いでコタツからはい出し、雑用をこなし、お風呂掃除にとりかかりました。お風呂掃除は、とても冷たかったです。足のしもやけはひどくなるは、手の感覚がなくなるは、鼻水は出るは、滑って浴槽にあごをぶつけるはで、とてもつらい思いをしました。つらい思いをしながらも、やっていたら、百人一首が思い浮かびました。
ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
訳:生きながらえていたならば、やはりこの頃のことが懐かしく思い出されるのだろうか。辛いと思った過去が、今は恋しく思われるのだから。
私は、心の中で何度も「ながらへば、ながらへば」と唱えました。
やっと終わらせると、震えながら、お湯で手と足を温めました。少しの間、「千と千尋の神隠し」の千尋になった気分でした。物語の主人公の気持ち、昔の人の気持ち、両方感じることができました。(終わり)
日記の中で出てきた和歌は百人一首のひとつである。藤原清輔朝臣の過去現在未来を見据えた諦観の歌だ。小学生の私は、家族の一員としての仕事をしながら、人生においてとても大切なことを学んだ。
大学生になった私は、このお風呂掃除よりももっと辛いことや、苦しいこと、悔しいことをたくさん経験した。でも、その度「あの辛い出来事が、今では笑い話なんだから、きっと今回も大丈夫。」「今の辛さも数か月後、あるいは数年後には懐かしい思い出になるよ。」と自分を励ましている。
この先、辛いこと、苦しいことはたくさんあるだろう。「でも大丈夫、数年後には笑い話だから。」小学生時の私がいつも励ましてくれる。
あの時、なぜ私は布団干しではなく、お風呂掃除を選んだのかは覚えていないが、お風呂掃除を選んでよかったと思う今日この頃である。
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