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別れの涙が出ないんです

別れの場面で泣いた記憶がない。
どこかであるのかもしれないのだけど、
周りの人は泣いているのに、どうして自分は涙が出てこないのだろうと考えた記憶はある。
作品を見てすぐ泣くし、仕事が終わらなすぎて、なんでこんなにあるんやと泣きそうになることもあるのに。
ちなみに最近泣いたのは、ドラマ「エルピス」のラストの三浦透子さんがカレーとケーキ食べながら泣いていたシーン。リモートの仕事の用事を聞きながらテレビを無音で流していて泣いた。

まずは卒業式。
中学校の卒業式で、このことに関して一番いまでも思い出す言葉がある。
式の最後に卒業生が舞台に立って、学年全員で合唱をした。
体育大会とか、合唱コンクールとか、初めての部活動とか、それぞれの思い出があって、それぞれの決めた高校に進学する。
それでか、小学校の卒業式と比べて、歌いながら号泣している友人が多かった。
私は涙が全く出てこず、むしろ笑顔で歌っていたと思う。
その後の退場で、隣に並んだクラスの友人に言われた言葉が、
「なんで泣いてないの?」だ。
逆に「なんで私が泣くものだと決めてるの?」といまなら言い返したいところだ。
歌うのが楽しかったし、この頃の私は、とにかく高校生になるのが嬉しかった。
制服は同じようにセーラー服なはずだけど、
入部することが決まっていたバスケ部のリュックやウェアへの憧れとか、
地元の高校への進学だけれども、
住宅地と森ばかりの静かな場所にある、実家近くの中学校から、コンビニやスーパー、飲食店、本屋さんが集まる市街地にある高校にいくワクワク感。
はっきりとした理由は思い出せないけれども、
とにかく卒業の悲しさより、新しい環境への楽しみの方が上回っていた。

そもそも、早く卒業したいと思っている節があった。
部活の友人や幼馴染以外で、なんとなくクラスでも気を許せるような人がいなかったし、当時は仲良しグループみたいなのになんとなく所属していたものの、申し訳ないけど、正直その時の出来事が思い出せない。

高校生になってしばらくしてからは、
その友人たちと連絡を取り合うこともなくなった。
その人に「なんで泣いてないの?」と言われた時は、なんかもうこの人とは会い続けることはないっていう感じがあった。

ここまで聞いたら、まあまあ薄情な人のように思われるけど、
いまでも思い出す大切な出来事がたくさんある高校でも、別れで涙が出なかった。

部活の引退前、私はとにかく泣いていた。
試合前に怪我をして、引退まで完治できない状態になってしまった。
悔しさや申し訳なさ、色々な感情で、もう今後経験するかわからない、悔し泣きをしていた。
それでもできることをやろうと前向きに切り替えることができたと思うし、
周りのチームメイトのおかげで、大きな大会まで行くことができた。
そして最後の試合の後、後輩たちを含めたチームメイト何人かは監督の話を聞きながら泣いていた。
私は気持ちがすっきりしていた。もうこれ以上きついことはないと思うほどしんどいことがたくさんあった部活も、弱小中学から入部した時には想像してもいなかった環境までこれたことは嬉しくて、最後に全力で走ることはできなかったけど、それまでの時間を思い出して、やりきったと感じていたと思う。
むしろこんなに泣いてくれる後輩(プレーに悔しさを感じて泣いていたのかもしれないけども)を見て、もらい泣きはしていたかもしれないけど。

卒業式の後、私はすぐに熊本に引っ越すことになった。
入学前に、熊本に住んでいた姉に熊本のまちのこと、学校のことをいろいろ教えて欲しかったし、たまに遊びに行っていた熊本に早く行けるワクワク感がこれまたあった。
もうこの後引っ越すという時に、これまで部活の中でも、普段でもたくさん話して、話してなくてもなんとなく気持ちが通じているような気がしていた友人が涙目になっていた。
私も本当に胸いっぱいになった。涙は出てこなかったけど、また必ず会いたいし、実際いまでも手紙やメッセージでやりとりをしている。
もちろんその子と会う時間がほとんどなくなってしまうのは悲しいけれども、自分のこれからの生活に期待をしていたのか、またあった時にお互いの新しい話ができる楽しさもあると思っていた。

他にも誰かと別れる時、お世話になった所を離れる時、涙は出なかったと思う。新しい場所に行くことが好きなこともあるし、離れることを惜しむ必要もないのではと最近は思うようになった。

小さい頃は、なんとなく周りと同じような空気感でいなきゃとか、思うことがあったかもしれない。
「なんで泣いてないの?」と聞いてきた子は、その子が感じていたクラスでの時間の思い出は、みんなが同じように感じているものだと思っていたのかもだし、私が寂しがっていないことがショックだったのかもしれない。
それでも、今の自分ならその子に「これからもまた楽しみだから」と正直に伝えると思う。
あと、相手が自分と全く同じ感情で、同じ行動になるという決めつけは、されてたまるかと言うと強気感すごいけど、自分自身もそういった考えは気をつけなければと思う。

離れても話そうと思う人とは話すし、こうやって思い出して書き留めることも、誰かに電話をして思い出話をすることもできる。
もちろんいつも話せる人がそばにいることとか、友達が周りに住んでいることとかは嬉しいし、ありがたいことでもある。
でも、離れている距離を嘆く必要はないのではと思えるようになっている。
多分小さいながらにそういう気持ちがあったのかもしれないが、今こうやってはっきり考えることができている。
次会ったら何話そうかなとか、どこに行こうかなとか、考えている時間もなんだか楽しいものなんだよなあ。

これからも話したい人には自分から会いに行くし、もし連絡が来たら素直に嬉しい。そういった直感的なものがあるも、その人、その場所でのこれまでの良い思い出がどこかにしっかり残っているからだと思う。

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