おじいちゃん第九を弾く
今年の11月は、異常に暖かい。新聞の見出しの「小春日和」ならず「小夏日和」なんて書かれている文字が目に入った。
僕は、ヴァイオリン教室から帰ってきて、ダイニング・テーブルに楽器を置き、椅子に座って、ふうっと一息ついた。今日も今月26日に行われるヴァイオリン教室の発表会で弾く曲の練習をしてきたのだ。
先生からは、「もっと音の強弱を使って表情を付けてね」と再三言われる。しかし、そんなことは頭で分かっていても、なかなか技術が伴わない。ヴァイオリンを始めてから2年以上経ったが、難しい楽器だ。
ポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れ、隣の部屋の自分の机に移動した。明治チョコレート効果のCACAO72%を袋から2つ取り出す。
コーヒーと一緒に味わった。
ほろ苦い味わいが口に広がる。血圧が高めなので、それを抑える効果があるらしい高カカオポリフェノールを含むこのチョコレートを僕は気に入っている。
窓辺でひなたぼっこしていた猫のよしおが僕を見上げた。
背伸びをして立ち上がり、座っている僕の膝の上に、とん、とんと軽やかに乗ってきた。
暑い夏の間はけっして乗って来なかったのに、10月になってからは、僕が自分の仕事机に着くとかならずやってくる。猫は季節の変化に敏感だ。
冬毛になってもふもふしたよしおの背中を撫ぜていると急に眠気が襲ってきた。
2039年秋 ミューザ川崎シンフォニーホール
「おばあちゃん、早く!」
おじいちゃんが、初めてオーケストラのヴァイオリン奏者として第九のステージに立つ日、僕はおばあちゃんの手を引いて、JR川崎駅からミューザ川崎シンフォニーホールへ急いでいた。
僕が幼い頃は、颯爽と歩いていたおばあちゃんもさすがに最近は歩くのが遅くなってきた。歩幅も狭くなったようだ。
「よっちゃん、ちょっと待って。間に合うからもっとゆっくり歩いて」
「でも、自由席だからおじいちゃんがよく見える席を取らないと」と僕は息を切っているおばあちゃんの手を取ってホールへと急いだ。
2039年秋某日、僕はおばあちゃんと二人でおじいちゃんの出演する第九のコンサートを聴きに行こうとしているのだ。
3ヵ月程前、おじいちゃんから、お前が17才になる頃、ミューザ川崎で第九のコンサートがある。俺が奏者として出演するんだよ。こんな大曲を弾くのは初めてだからお前とおばあちゃんを招待するから来てくれ、というものだった。
実は、僕と第九は変な縁で繋がっている。
僕が生まれた2022年9月10日、おじいちゃんはちょうどミューザ川崎で第九のコンサートで合唱団の一員として歌っていたんだ。
後で聴いた話によるとおじいちゃんの出演直前に僕が生まれて、おばあちゃんがLINEで知らせたそうだ。僕はおじいちゃんとおばあちゃんにとって初孫だったからおじいちゃんは大喜びで、僕に届けとばかりに歌ったそうだ。
だからおじいちゃんは僕の名前をミューザにしろとか、ベートーヴェンにちなんでルードヴィヒの愛称ルイジにしろっとか言って僕の母を困らせたらしい。
おじいちゃんは第1ヴァイオリンの末席だからステージから見て一番左の方。僕らが着いた時は、かなり観客も入っていたけど、幸いにもステージ近くの席に座ることが出来た。
おじいちゃんが所属する都筑フィルハーモニー管弦楽団(架空のオケです)は、名前こそりっぱだが、近隣の音楽好きや学生時代から楽器をやっている人たちが集まって活動しているアマチュアオーケストラ。レベルはアマチュアオケとしてはそこそこで、年に一度は定期公演を行っている。
ハイドンやモーツァルトの交響曲や管弦楽曲、時にはソリストを招いて協奏曲など。最近はベートーヴェンやブラームスなどにも挑戦して熱心に活動するアマチュアオーケストラだ。
でもいくらアマチュアオケと言っても60歳を過ぎてからヴァイオリンを始めたおじいちゃんには、かなりハードルが高かったし、傍から見ていても無理に思えた。
それでも70歳になる数年前から「俺は70歳でアマチュアオケに入る」と誰彼となくしゃべりまくって、そして頑張って練習もし、なんとか入団だけはしたそうだ。
本人は、ヴァイオリン教室の教則本であるスズキメソードの4巻まで行ったら入団すると言っていて頑張っていたらしい。
でも心意気だけでは技術は付いてこない。入団して数年は、なんとか小曲の時だけ出演をさせてもらっていたらしい。
でも、孫の僕に第九を聴かせるんだという思いだけで入団から10年近く経ってやっと第九を通して弾けるようになり出演できるようになったそうだ。
僕は現在高校2年生。出身は千葉だけど、高校が横浜にある私立に入った関係で、千葉からは通えないので、去年からおじいちゃんの家に下宿している。
父の影響でバスケットボールをやっているけど、仲間には内緒だけどおじいちゃんの影響でクラシック音楽も大好きだ。
おじいちゃんから、CDを借りて聴くこともあるが、いつもはサブスクの配信で聴いている。
おじいちゃんはJ.S.バッハ、ハイドン、モーツァルトからベートーヴェン、ブラームスと言ったドイツ音楽が好きだけど、僕がラヴェル、ドビュッシーなどのフランス物が好き。あと北欧やイギリスの音楽も好きだな。
ベートーヴェンも嫌いじゃないけど、大上段に構えているとこがいまひとつ好きになれない。でも第九は好きだけど。
僕は観客席の周囲を見回した。数名のおじいさんたちが談笑している。多分、おじいちゃんが所属しているおじさんなんとかというコミュニティの仲間たちかな。17才の僕から見るとおじさんというよりおじいさんたちだけど(笑)。
でも、みんな生き生きしていて楽しそう。その中に素敵なおばさまと隣にきれいな大学生くらいのお姉さんもいた。あの方が、おじいちゃんがよく話しているみふみふとか言う人かな。ということは隣のお姉さんはお嬢さんかな。高2の僕は、同級生の女子より、ちょっと年上のお姉さんが好きなので、あとで挨拶でもしておこうかな。
開演を知らせるブザーが鳴った。オーケストラの人たちが、それぞれ楽器を手に入ってきた。また合唱団の人たちも入って来て、ステージ後ろの客席にパートごとに座った。
おじいちゃんもヴァイオリンを左手に持って右手に楽譜を持って入ってきた。足取りはしっかりしているけど、以前よりちょっと背中が曲がったように感じるし、少し小さくなったようにも思う。もっとも僕が大きくなったからかもしれないが。
おじいちゃんが入って来たのを見て僕は大きな拍手を送った。
おじいちゃんが、第1ヴァイオリンの向って一番左の席に座って、ちらっと観客席の方に視線を送った。僕は両手を挙げて手を振った。おじいちゃんは気づいたようで少しニコッと笑った。そして気づいたよという合図か、右足の爪先を3回トントントンと動かした。
奏者が全員入ったのを見計らってオーボエがAの音を鳴らした。それに合わせて各奏者がチューニングの微調整を始めた。
指揮者が向って左袖から入場してきた。拍手が沸き起こった。指揮者が指揮台に上がり観客席に向って背筋を伸ばした。それに合わせてオーケストラ奏者も全員立ち上がり、観客席に向かった。
指揮者は、観客席全体を眺めまわし、微笑みを浮かべ軽く会釈をした。僕の母くらいの年代の女性指揮者ですらっとした長身で舞台映えがする。
僕はおじいちゃんに目を移した。背筋を伸ばして観客席の2階の方を見ているようだった。周りはおじいちゃんよりずっと若い奏者ばかりで女性の方が多い。しかも小柄なおじいちゃんよりも身長が高い人が多い。
指揮者が、オーケストラの方に向きを変えた。それに合わせて奏者も席に座り楽器をいつでも構えられるように指揮者を見ている。指揮者は数秒、タクトを持つ手を組んで、少し下を向きながら目を閉じていた。そして「よしっ」とばかりに視線を奏者全体に送りタクトを構えた。
それと同時、全ての奏者が楽器を構え、指揮者の動きを待った。
会場は水を打ったように静まり返っている。
指揮者がゆっくりとタクト動かした。
ベートーヴェン作曲、交響曲第9番ニ短調作品125。
第1楽章Allegro ma non troppo,unpoco maaestosoが静かに始まった。
16小節の導入部は、調性未定の空和音により混とんとした響きを奏でている。
そして次第にふくらみをみせ高潮し、やがて巨人的な第一主題が全管弦により総奏を持って現れる。
おじいちゃんは、まさに必死の形相で指揮と楽譜を見ながら弾いている。おじいちゃん頑張れ!僕の心のなかで叫ぶように呟き膝に乗せたこぶしを握りしめた。
演奏は、第2楽章、第3楽章と順調に進み、最後の第4楽章となった。
有名なシラーの詩を歌う"歓喜の歌"のメロディーが、チェロとコントラバスで静に奏でられ始めた。
おじいちゃんの1日
おじいちゃんは、早起きだ。朝の5時には起きている。それは1年じゅう変わらない。そして2匹の猫たちにエサをやり、トイレ掃除をする。猫たちは5代目と6代目だそうだ。
おじいちゃんが、長年勤めていた会社を定年になった60才になった時に、よしおという猫がやって来たそうだ。穏やかで優しい性格の猫で、おじいちゃんはとっても可愛がっていた。でも、数年前に猫としてはかなりの高齢で死んだ。僕がおじいちゃんちにやってくる少し前のことだ。
おじいちゃんは、しばらく元気がなかったらしい。
そんな時、僕が居候することになり、おじいちゃんは少し元気になったのか、ある時、「よっちゃん、猫を見に行こう」と言い出した。なんでも保護猫の譲渡会があるというのだ。僕も動物は好きだから、付いていった。
そして2匹の猫を連れて戻ってきた。
白黒のオスとサバトラのメス。年齢は不明だが、まだ若そうだ。
そして2匹に「アサリ」と「シジミ」という名前をつけて可愛がり出し、少し元気になってきた。
白黒の「アサリ」は、前に飼っていておばあちゃんにとっても懐いていた「コメ」にそっくりで、おばあちゃんは大喜び。「コメ」もそうだったようによくおばあちゃんの膝の上の乗っている。「シジミ」はメスだけどサバトラの模様がよしおによく似ているとか、いつもおじいちゃんの傍にいる。
猫の世話をしてからおじいちゃんは散歩に行く。80歳まで家具のお店でバイトをしていた。ベテラン販売員でしかもそんな年まで働く人は少なかったから、ちょっと名物じいさんだったらしい。
いまは30年以上続けているブログとポッドキャストで音楽関係や自分の生活ぶりなど発信しているらしい。それで多少の収入もあるらしい。収入は年金とそれだけだが、ぜいたくはしないし、おばあちゃんと二人だけなので、問題はないらしい。
おばあちゃんがまだ働いているので、洗濯物や掃除、ここ何年かは食事の準備もおじいちゃんがやっている。とにかく、じっとしていない。
昼間は、ヴァイオリンと合唱団の歌の練習。
毎週、オーケストラと合唱団の練習に行っている。
時々、新聞やテレビ、ラジオのニュースを聴きながら、「だから、日本はだめなんだ」とぶつぶつ言っている。
ミューザ川崎シンフォニーホール 第九
ミューザ川崎シンフォニーホールでは、最後のコーダに向って最高潮に盛り上がっていた。
指揮者は髪を振り乱していたかと思うとさっと前かがみになり、ppで8小節の前奏に入り、最後のffのPresstissimoに続く。それに合唱がなだれ込む。
そこからオケと合唱は、一気にテンポを落とし、荘厳なMaestosoで、歌い上げる。
そして最後は、Presrissimoの猛スピードのオケの強奏で駆け抜けた。
おじいちゃんは、顔を真っ赤にして身体を少し前後に揺すりながら必死にそのスピードに付いていった。
指揮者が天空を掴むように動作が止まり、オーケストラの響きはホールの隅々まで届き、そして消えて演奏は終わった。
少しの間をおいて、大きな拍手がわき起こった。
指揮者は、観客席にふり返り、乱れた髪をかきあげた。それと同時にオケのメンバーも全員立ち上がり、それぞれ楽器を手に、満足げな表情を観客席に向けていた。
僕は顔よりも高い位置で拍手を送った。おじいちゃんを見ると眼をしょぼしょぼされていた。泣いている?いや老眼が進んで疲れたのか。おばあちゃんを見ると、ハンカチで目頭を抑えていた。ドライなおばちゃんには珍しい。
エピローグ
はっ、ちょっと眠ったらしい。毎朝、5時には猫たちに起こされるので、昼下がりにはどうしても眠気が襲ってくる。でもインスタント・コーヒーからはまだ湯気が立ち上っているので僅かな時間だったようだ。
80歳を過ぎて、ベートーヴェンの第九が弾けるのかどうかわからない。僕が住む地域には、知っているだけで2つのアマチェア・オケがある。共に入団テストはないし、入会金と団費を払えば、辞めろとは言われないだろう。
でも演奏会に出してもらえるかどうか、いやその前に練習に付いていけるかどうかもわからない。
入るだけは入って、運営などに携われば仲間意識も生まれ、仲間と一緒なら上達も早いから、取り合えず入っちゃえば、とアドバイスをくれた人もいる。
一方、ヴァイオリン教室の先生は、教則本の4巻くらいまで進んだ方がいいわね、という。
先日、僕が所属していた合唱団の90歳の先輩が次の言葉を贈ってくれた。
“Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.”
「明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい」
Mahatma Gandhi(マハトマ・ガンジー)
その方は、昭和7年生まれなので今年で91歳。
2年後に公演が予定されているJ.S.バッハの「ロ短調ミサ」を合唱団で練習中だ。
それまで、元気でいられるか、わからない。でも、いつもガンジーの言葉を思ってやっているんだよ、と穏やかに語っていた。
よしおを撫ぜながら見た白昼夢。実現したいし、実現できたら最高にハッピーだ。
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