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20××年 タイムマシンの旅

こんにちは、
こめまるです。

タイムマシンに乗って、僕の××年後を旅してみました。

現在から〇〇年後の20××年の横浜。

家族が僕が居なくなった部屋に集まってなんやら話しています。

僕のいない部屋ということは、つまり僕がこの世にいなくなった後ですね。
家族が集まってどんな会話をしているんでしょうか?

ちょっと覗いてみます。

何も残さない、何も負わせない

「これっぽっちかよ。ギターとヴァイオリン、それに腕時計だけ?
あっ、LPレコードが2枚。それにしてはプレーヤーがないけどね。
それと金澤美冬という人の本が何冊か並んでるな」と部屋を見渡し長男がつぶやいた。

「そうね、おじいちゃんが亡くなった後の遺品整理でコリてたからね。
おとうさんは、俺の時は、何も残さない、何も負わせない、とよく言っていたわ。」と妻。

「えっ?前の引越しの時そんな大変だったの?私もう家を出てたからなぁ」

「なに言ってんのよ、あんたの荷物も大変だったのよ。美大の時の絵とか作品が相当残ってたんだから。でもおとうさんは、あんたの絵は捨てないって。そのうち、有名になるからって。」

「へへ、残念でした。まあ、ちょっとはデジタル画像でおとうさんの仕事に協力できたけどね。でも、おとうさん、会社辞めてから、好きなことで稼ぐって、結構、楽しそうにやってたね。」と長女。

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「そうね。サラリーマン時代は、朝早くに出勤して、夜も遅かった。本人もよく言っていたけど、本当に過労死しなくて良かったって。

だから、会社辞めたらその反動でぐうたらになるんじゃないかって心配したけど。好きな仕事見つけたみたいで良かった。

おじいちゃん(妻の父)なんか、58歳で早期退職して、全く働かなかったのよ。好きな趣味も多かったのに、結局朝からビール飲むようになってね。
10年も経たない内に動けなくなってた。

そんなおじいちゃんを反面教師にしようってよくおとうさんと話したわ。」と妻

「ただ、おじいちゃんはお金は残してたわね。おとうさんは、自分の貯金は全くなかった。その代わりつみたてNISAを20年間していて、元本割れもせず残っていたから、まっいいかって感じ。」

雇われない働き方と生き方

「おやじ、音楽ブログやサイトをいくつも運営していてさ、最初はクラシック音楽中心だったけど、もっとジャズやロック、J-POPにまで広げるって、俺にも原稿依頼してきてね。

結局、それなりに収益も上がって、個人事業主から法人化していま俺が引き継いでる。

音楽ソフトは、一時期ほとんどサブスクになったけど、最近、またCDが見直されていて、結局サブスク化されない音源とかまだたくさんあるんだよね。

だからおやじが、昔アップした記事がまたアクセス集めてんだ。時代は繰り返すって感じで面白いね。

特におやじは第二次世界大戦下のドイツにいた音楽家たちが、どうやってナチに対抗したかまたは迎合したかを調べて、戦争反対と平和を訴えて行きたいとも言っていた。」と長男。

「令和になった時、昭和レトロが流行って、一時期LPレコードが売上伸ばしたけど、いまは平成レトロだからね。CDが、ジャケットをアート化してまた盛り返している。」と長男が続ける。

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「あと、おやじは雇われない働い方にこだわっていた。個人事業主というフリーランスになったからって自由じゃないって。
例えば、UberEatsや宅配業者、キャバクラ嬢なども形は個人事業主だけど雇われない働き方ではないって。
結局依頼主に頼らざるを得ないし、劣悪な条件で引き受けなきゃいけないこともあるからってね。

よくおやじが、例に出していたのが、2020年頃に流行ったアニメで「鬼滅の刃」があったよね。
アニメの第一話に出てくる柱の富岡義勇が、妹の禰津子を守ろうとする炭治郎に向って放つ言葉。"生殺与奪の権を他人に握らせるな!"だったり、

これも昔の本だけど大江英樹さんという人が書いた"老後不安がなくな定年男子の流儀"に書いてある、"どんなに黄金を積まれても決して自由を売り渡してはならない"て言葉。
これは大江さんが、クロアチアの岸壁で見つけた、探し求めていた答えだと書いていたね。

とにかくおやじは、一度獲得した自由は絶対渡してはいけないってよく言っていた。」

社会問題と趣味と

「先日、神奈川県の犬猫の殺処分がゼロになったって報道があったけど、おとうさん結構犬や猫の保護施設に寄付してたよね。それでも足りず、最後は里親探しも手伝ってた。

私が寄付ばっかしないで美味しいもの奢ってよって言ったら、逆に里親探しを手伝わされた。よしおがいなくなってから寂しさを紛らわそうとしてたのかな。」と次女。

「そうね、よしおはおとうさんに懐いていたから。おとうさんの定年と同時に引き取ったからね。よしおの年齢が、俺の定年後の年数だってよく言っていた。」と妻。

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「あと、選挙には絶対いけってうるさかった。選挙前になると必ずLINEで絶対棄権はするな。自分の権利を人に委ねてはいけないってうるさかったよ。

じゃ、どの政党がいいの?って聞くと、それは自分で考えて投票しろだった。」

「そう言えば、定年後にヴァイオリン始めたんだよね。最初は、頭痛くなるからヤメテって言ったけど、その内なんとか聴けるようになったね。

確か、最後どっかのアマチュアオケで弾かせてもらったんじゃなかったけ?」と次女が妻に聞く。

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「そうよ、おじさん仲間にアマチュアオケの人がいて、頼み込んでちょこっと弾かせてもらったらしい。

あと、クラシックギターもまたやり直していたね。ギターは若い頃からやっていたからそこそこ弾けたけど、最後はなんとか"アルハンブラの思い出"も弾けるようになったね。

よしおが、よくギターケースの中に入って聴いていたよ。ヴァイオリンの時は逃げ出してたくせにね(笑)。」と妻が答える。

回想への旅

「そう言えば、数年前、おとうさんとおかあさんで海外旅行行かなかった?」と長女。

「そうよ、おとうさんが生きている内にモスクワとアントワープにもう一度行きたいって言うんで付き合ったわ。私の希望でパリも行ったけど。

おとうさん、モスクワには10数回行っていて、ただ仕事がらみだったからサンクトペテルブルクに行けなかったのを残念がっていた。だからサンクトペテルブルクに行って、コンサートにも行ったわ。
それに、モスクワではボリショイ劇場にも行ったし。

アントワープでは、現地のベルギーの人がおとうさんを憶えていて、良くしてくれたよ。ダイヤモンド業界の人は、初めて取引してくれた人を生涯大切にする風習があって、その人は、今では大手のダイヤモンドディーラーの会長だけど、"こめまるさーん"って懐かしがってハグしていた。

そして、最後に連れていかれたのが大聖堂のルーベンスの絵の前
フランダースの犬で有名な、ネロ少年とパトラッシュが最期を迎えた場所。
おとうさん、絵を観ながら"もう、いつあっちに行ってもいいや"でつぶやいていた。」

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「そうそう、最後に言っとくけどあんたたちももうおじさん、おばさんなんだから、これからのことちゃんと考えてる?

プロティアン㈱がやってるYoutubeの"おじさんの本音トーク"をちゃんと観なさいよ。登録者数〇百万件の人気サイトなんだから。」と妻が締め括った。

まとめ


人生は選択。

しかし、始まりと終わりは自分の預かり知らないものです。

つまりどうやって生きていくかを日々考え、選択しながら過ごしていけばいいと思います。

自分の空想の中で、タイムマシンに乗って自分がいなくなった後の家族の会話を覗いていました。

こんな会話が繰り広げられていたらいいな。

それまで焦らず、気負わず、たゆまず日々大切に生きて行きたいと思います。

ここまで長文を読んで頂き誠にありがとうございました。
なお、本文に書かれていることは、筆者の空想でフィクションです。

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