#62. 懐かしい声がくれた、あの日のぬくもり
先日、見知らぬ携帯番号から電話がかかってきた。
料理中で手が離せず、後から掛け直そう、と思ったが、何度も電話が鳴る。
繰り返される電話に、緊急の連絡かも?!となんだか身を引き締めながら電話に出てみた。
受話器の向こうから聞こえてきたのは、どこか懐かしいおばあちゃんの声だった。
『あ、もしもし、
あなた、やっと出たわぁ。』とホッとした様子のおばあちゃん。
ふと過去の記憶を遡ると、思い出したのは、以前、病院で働いていた時に何度も会話を交わしていたおばあちゃんだった。
『あなた、何度も電話したのに、なんで出ないの。心配したのよ?』
とまるで家族にでも声をかけるような口調だった。
そのおばあちゃんは認知症を患っていたが、とても元気そうな声だった。
以前、家に送迎で送った帰りに、あなたの電話番号、教えて!もし何かあったら、連絡するから。と嬉しそうに聞いてきてくれたことを思い出した。
「あっ、もしもし。
以前お世話になっていた、〇〇です!
〇〇さん、お久しぶりです!
元気でしたか?」と、覚えていますか?という言葉を発しそうになりながらも傷つけてはいけない、と咄嗟に飲み込んだ。
すると、「あら、ごめんなさい。
これ、娘の電話番号って書いてあるのよ。だから連絡してみたんだけれど…間違えちゃったわね、もう一回かけてみるわ。失礼しちゃってごめんね」と心細そうな声で話した。
私はなんだか申し訳なくなりながらも、電話を切った。
もしかすると、あの時私は、彼女から娘だと思われていたのかもしれない。
そう考えたら、なんだか少し嬉しいような気もして、
だけど、娘さんじゃなかったことにショックを受けさせてしまったことを同時に申し訳なく思った。
彼女の娘さんは、すでに病気で他界していると、かつての先輩から聞いたことがある。
だからこそ、娘さんと電話が繋がることはもうない。
けれど、彼女は必死で娘さんとの繋がりを求めていたに違いない。
それからも電話が鳴り、私は思い切って電話に出た。
娘さんの代わりになりきって、彼女を安心させてあげたいという想いと、こんなことして大丈夫なのか?これって、オレオレ詐欺てきな、
ムスメ詐欺てきな感じに勘違いされてしまうのでは??という焦りと不安が混ざり合い、思考がアタフタしていた。
「私、〇〇さんとずっとお話ししたいと思っていて。〇〇さんが元気そうで何よりです。
最近はどうしてますか?」と話題を逸らす作戦に出た。
すると、嬉しそうに、
「あら、嬉しいこと言ってくれるのね〜。
私も元気してたわよ。最近はあんまり出かけなくなったけど、ちょっと外に散歩に出て歩いてみたりね。それくらいはするようにしてるわ。」と、電話越しに彼女の笑顔が見えるようだった。
私は少しホッとして、
そのまま少しの間、不安が和らぐまで会話をすることにした。
しばらく話していると、彼女はぽつりとこぼした。
「私ね、最近、何だかちょっとおかしいのよ。
自分の家のこととか、知らない人が沢山家に来たりとか。私がどうかしてるんじゃないかって、不安で。」
「そうなんですね。私もそういうことはしょっちゅうありますよ。
みんな、歳を重ねるにつれて、自分のことを疲れさせないようにって、ある一定の情報は忘れていくように、脳って作られてるみたいですね。
だから、不安に思うことはないですよ。」と、本当のような嘘のような、どちらとも言えない話をした。
すると、彼女は安心した様子で、
「あら。そうなの?あなたも一緒なら大丈夫ね。聞いてよかった。」と笑ってくれた。
彼女の娘さんになりきって、彼女を安心させることは出来なかったけれど、
たった数十分の会話の中で、彼女は安心してくれたように思った。
本当は消さなければ、と思っていたこの電話番号を消さずにいたのは、もしものことがあったら、仕事とかではなく、1人の人として身内のいない彼女が心配で、何かあれば駆けつけよう、と思っていたからだった。
話を沢山した後で、少し落ち着いて、『じゃあ、またね。電話できてよかったわ!』と元気な声で別れを告げ、電話が切れた。その後、彼女からの電話はもう鳴らなかった。
不安を少しでも消し去ることができたのかもしれない、という嬉しさと、
もう電話がかかってくることはないのかもしれない、という寂しさの間で心が揺らいだ。
私は彼女と笑い合って話をした過去の出来事をふと辿った。
私もいつか、歳を重ねて、
思い出したくても思い出せない大切な出来事ができるのかもしれない。
そんな時、出来事は覚えていなくても、その人と話した時の温かな感情や、手のぬくもりや、穏やかな気持ちは忘れずに覚えていたいと思う。
彼女が不安でかけてきてくれた電話が、
私の心をふとあっためてくれた。
誰かを救ったつもりでいて、実は自分が救われていたような出来事が、
私の人生には沢山起こる。
実にありがたいことだと思う。
与えることが、本当の意味で自分を救ってくれる力や生きがいに繋がっていくのだと、
あのおばあちゃんが私に教えてくれた気がした。
たとえもう会えなくても、もう一度声を聞けなくても、
ただ彼女がどこかで元気でいてくれたら。
そんなおばあちゃんに出会えたことが、嬉しくて、今もまだ私の心にそっとあかりを灯してくれている。