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絆。マグノリアの花たち

絆とは、自分にとってもっとも遠い言葉。

お墓屋さんのチラシなんかをつくってるとよく見るこの言葉。ピンと来ない。もっとも縁遠い言葉だなぁって思ってた。最近も書道教室でふとこの時期例えば贈る言葉、何がいいか話題にしたら挙がったのがこれ。自分ならまず浮かばねーなーって。

で、たまたまマグノリアの花という1989年の映画をDVDで観てて、こういう気持ちになったのは初めてかもしれないので書いておく。

自分は母が40歳の時に産んだ4人目の子。3人兄妹。自分の上の子は死んでいる。死産。水子というもの。お墓もあった。母は私を産んでから8年で当時でいう精神病、今で言う統合失調症で国立の病院に収容されてしまった。だから、どうして私なんか産んどいて放り出したのか、ってそのつもりはないと思いたいけど、とか身内に病人がいるあるあるだと思うけど、自分のせいじゃないかと責めたりもしたし。だし、まあ今、奇しくも母が発症した48になったのだけど子どもを持つ親の気持ちは多分この先も一生わからない。だろう。

安易かもしんないけど、マグノリアの花たちを観ていて、母がどういう気持ちで自分を産もうとしたのかって考えてた。一人産んだのか産む前に死んじゃったのか覚えてないけど、きっとつらい出来事。なのにもう一人なんで私できたのって父親に聞いたことある。母がもう一人どうしても欲しいと言ったのだそうだ。

映画の中で、腎臓を母からもらうエピソードがあったけど、そういう理由じゃなくたって、そしてそうだとしても、兄妹って、いたほうがいいと私は思う。助け合えるかもしれないという意味で。

産むことの不安だったり、心配だったり、喜んでくれたりって話をいっさい聞けないままいたから、まるでそんなもの初めから存在しなかったような気がしていた。ふおんとに馬鹿かも。自分が存在していることが証拠じゃん。何も苦しまずにつるんって出てきたわけじゃないだろうし、いろんな人が出てくるまでに関わってくれたことを想像すらできてなかった。こんなふうに思ったことも考えたことも感じたこともなかった。なんなんだ。

この映画では母と娘、コミュニティ、女の友情やら描かれているのだと思うけど自分が受け取ったものって計り知れない。それでも絆というものを理解できてるのは1%かもしれない。


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