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シルバー新報「私の医療・介護物語」掲載していただきました。(第1回目)

介護の文化を創る専門誌、シルバー新報(環境新聞社)様の「私の医療・介護物語」コーナーにて、全3回のエッセイを連載させていただきました。

今回は、第1回目の記事を紹介させていただきます。(掲載元には許諾をいただいています)

ぜひご覧いただけると幸いです。

法にとらわれすぎず
家族の問題に支援を 

これを読んでいるあなたは”ヤング”ケアラーだろうか? 私はいまだにケアラーだと自覚することに葛藤する。私は現在、事業を営んでいるが、かつては家族の介護を担い、家族の問題に苦しんだ1人だ。

遡ること10年前、イギリスではヤングケアラーを社会的な支援対象にするよう法律で義務付けられた。現在、日本ではこども家庭庁が国や自治体による支援を広げる方針を決め、今年4月の通常国会に改正案を提出した。

私は問いたい。メディアや国があまりにも”ヤング”ケアラーと唱えるあまり、根源的な家族の問題をむしろ見えなくしてしまわないか。ヤングやビジネスなど言葉にとらわれる前に、家族介護や支援のありかたに目を向けてほしい。家族だけで支え合うには限界がある。

ケアラー支援の課題には、ケアラー自身に当事者意識がない点や、周囲がケアラーだと認めないという点もある。私が子どもの頃、家庭は崩壊していた。だが、周囲は専門的なケアの介入を勧めることはなく、「家族で支え合うべき」という言葉をかけるだけで素通りされた。

「お前は戦争経験がないから何でも辛く感じる」という祖母の言葉は、敗戦した影響が今も残っているのだと特に印象に残った。これ等の言葉は大抵悪気がないことが多く、家族が苦しくても、周囲が認めないこともある。「家族なんだから」と。

ある程度歳を重ねたケアラーなら周囲の言葉を取捨選択できるかもしれないが、子どもはできるだろうか? 自責の念で「家族の問題は家族で抱えるべき」という意識が刷り込まれるのではないだろうか。このような刷り込みも、ケアラー自身が当事者意識を持てない要因のひとつだと思う。

そして、大人でさえも当事者意識を持つことは難しい。私の夫が過去にビジネスケアラーだった時の話。

15年前、夫は父方の祖母を介護するビジネスケアラーであった。祖母は酸素吸入器が必要で、排泄などを夫が介助したり、ヘルパーに依頼することもあった。夫は朝7時から多忙に働きながら、介護と仕事を両立させていたという。夫がビジネスケアラーだったのは事実だが、本人は今もなお自覚がないと言う。

法改正によって支援を広げることも重要だが、法にとらわれすぎると零れる者もいるのではないか。
そして、より一層ケアラーが当事者意識を持つことが難しくなるのではないか。まるで自分事ではないような、蚊帳の外にいるような。

ケアラーが世間で注目される中、あなたは蚊帳の外のように感じていないだろうか。法がどうであれ、あなたの感じている辛さは真実だということを今一度伝えたい。


(続く)


~profile~
・社会課題をテーマに活動する映像グラフィック作家
・映像デザイン事務所CreDes代表
・ヤングケアラーや機能不全家族についてのドキュメンタリー監督

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