そういえば、オーストラリアのワーホリに来て3ヶ月経つかも、な近況。
本当に時間ってあっという間ですね。
4月始めにオーストラリアへきて、もう3ヶ月です。
そろそろ次の移動先を考えなきゃかなー。な3ヶ月です。
仕事について
同じ場所で働いています。
こちらの仕事が慣れてきたので、他にやりたいこともちょっとずつ再開しました。
閑散期に突入!?仕事がヒマ
田舎、閑散期です。
Facebookのオーストラリアに住む日本人グループでも変わらず仕事が見つかりませんが続いていますね。
それらに比べるとまだ田舎は選ばなければ(というか経験があれば)ありそうですが、やはり英語は必須です。
英語できなくてもいけるでしょ〜と、今思うとFacebookに投稿すれば何しに来たの?と袋叩きに合っていそうな考えを持っていた過去の私なら、ちょっと不安になるかもしれないような様子です。
簡単にクビにされる、それが私たち
親会社が比較的大きなうちのレストラン。
暇でも簡単にはクビにされなさそう…と思っていたら少し前、態度が(かなり)悪かったキッチンハンドのオージーがクビになりました。
マネージャーに、「私たちも次の日から来なくていいよって言われる可能性はあるの〜?」と聞いたところ、
「あなたたちの働きと、お客さんの入り次第ではあるかもね〜あなたたちはカジュアルだから。」とのこと。
ゾゾゾです。
基本的にワーホリでは働ける期限が決まっているので、カジュアルシフトです。
面接や募集されている時点で記載されている場合もありますし、ない場合は面接で確認しますが大体はカジュアルで雇われます。
当たり前のようにカジュアルなところが多いです。
福利等保証はされていませんが、時給が高いという点で田舎の若者はほぼカジュアル。
良いのか悪いのかはなんともいえません。
オーストラリアに住むって、お金たくさんもらえていいな、稼げていいな、という呑気なイメージがありましたが。
果たしてこのポジションはいいのでしょうか…。給料が全然変わらない日本の正社員制度と比べて、どちらが良とは言えない私なのでした。
英語について
リスニングは飛躍的に進化
伸び悩んでいたと思ったリスニングがつい先日進化した…!と思った出来事がありました。
オージーの同僚たちと普段通りに何の省略語だ????が飛び交う会話を潜り抜けたあとすぐ、何となく見ていたイギリスのドキュメンタリー番組。
何とまあ、あれほどRはもっと舌を巻け!(ごめんなさい。)と思っていたイギリス英語がとてつもなくしっかり話していると感じるくらいに聴き取れました。
少し前は若者の色々飛びまくっている言葉に脳がシャットダウンしていましたが、今ではおじいちゃんおばあちゃん(何だかモゴモゴしてるんです…)とものすごい酔っぱらい以外であれば大体わかるようになりました。
単純に”慣れた”とは言いたくありません。私もそれなりに聞き分けられるように試行錯誤して勉強していたと思いたい。ですが、
ネイティブたちとはほぼ世間話ししていただけのこの期間でも、アメリカ、イギリス、オーストラリア。大まかにそれらの国の英語の違いがわかるようになりました。
英語は”楽しい”を忘れなければ大丈夫
つくづく思うのは、”英語は楽しいと思えれば全く問題ない”です。
英語=勉強しなくちゃ話せるようにならない、というような印象がありましたが。
すでに学校を卒業している大人な私たちは、英語をちゃんと勉強せずとも人生なんともなりません。
いかに自分がやりたくてやっているか、続けるか、コミュニケーション取れるかが重要なので。
誰と比べる必要もないし、期限も、越えなければいけないレベルもない。
単純に私が、楽しくて、やりたいから、(勉強を)続けている。そんなスタンスで行こう。そう気づけたのでした。
とはいえ若者言葉はわからぬ
楽しいとはいえ、現代の若者のテンションにはやはりついていけません。
若者のテンションというか、興味のないジャンルの話し、というべきでしょうか。
すみません。それが私にとっては車と釣りとゲームで。
私の地域のオージー、それらが好きな人ものすっっごく多い。
最近はこれが流行っているよ!ここではこれが主流だよ!と言われても、あ、私このジャンル興味ない。といったことは一切脳が記憶容量を分けてくれないことに気づきました。
前述した通り、いかに自分が好きに学べるかが大事なのですね。
気持ちの変化について
外国人も同じ心のある人間だし、”日本人”の私に興味はない
日本人=シャイだけど礼儀正しい
オージー=雑だけど陽気で親しみやすい
(Googleより)
この表現は、あくまでも”ただのイメージ”。
オージーの知り合いが増えるにつれて、
自分がいかに国の、みんなが括る”イメージ”でジャンル付けていたことに気づきました。
私は純日本人で、シャイではあるけど気がものすごく強いように、
オージーにも丁寧で几帳面かつ、陽気で親しみやすい人もいる。
日本から出ると、日本に興味がない人ってたくさんいます。
日本にいるときは日本のことをとても褒めてもらえるけれど、
一歩外に出るとそうとは限らない。
日本と中国は一緒。そんな人だっている。
日本を日本として認識し、文化を褒めてくれる人は少数かもしれない。
オーストラリアの田舎では特に、日本がしてきた歴史を踏まえると、時によってよく思わない人がいることも知れました。(それは私にとって差別と受け取れるような言動だったけれど、その人が傷つけたい気持ちの矛先はきっと私ではなく、私の先祖がしたことに対してでしょう。)
その人が、私のことを日本という民族の一人としか見ていなかったことは悲しかったけれど。
上記をされて嫌だったから、私もそういう見方を、”オーストラリア”で見ることをやめてみようと思ったら、オーストラリアに住む人たちのことをもっと一個人として見られるようになりました。
そして同じように、相手も日本にさほど興味がなく、自然体に私を一個人として捉えてくれる場所だったんです。
別に私が日本人だろうと中国人だろうと関係なく、”私は私”。
髪と目が黒くて、背も低いし。全く大人には見えないkomeだよね、って。
本当のオーストラリアに住む人たちを知れたようにも感じます。
日本にいたときは、外国人=憧れ、というイメージがあったのですが。なんでだろう…?
でもここにいると、普通にいい人たち。同じ人間。いつも鼻歌歌ってる好きな上司。変で面白い同僚たち。クッキーをくれる顔見知りのお姉さん。
日本と変わらない。
同じ心がある人たちだった。
”日本は独特な文化を持つ島国で閉鎖されている”
英語や異国の文化に対して期待値とハードルが高い。
私はそんな日本のことも大好きなのだけど、ここにきて、ちょっぴり切なくなった3ヶ月目。でした。
P.S.
写真は最近お気に入りのパイ屋さんに行く途中の道なのですが、
ここ広大な牧場の真ん中を突っ切る道で、
人通りはほとんどありません。
チャリをのんびり漕いでいると時折ガサガサっと物音が。
ドキッと振り返ると100%カンガルーか牛がいます。
これぞオーストラリア。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。サポートのお気持ちはこの雄大な自然で生き残るために、カンガルーと共存するために使わせていただきます。