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全米有数の“住みたい街”ポートランドで今、起きていること~家族も職もある白人女性、クリスティンが闘う理由とは?


 『フライデー・ブラック』に寄せられた反響から発展したブラックカルチャーを探る連載の3回目は、ポートランド在住の日本人写真家、柳川詩乃さんのリポートです。
 全米有数の“住みたい街”として日本でも一部知られているこの街では、この原稿をいただいた2020年8月下旬の現在でもBlack Lives Matter(以下BLM)運動が続けられており、つい先日(日本時間8月30日)もBLM運動のデモ隊とトランプ大統領の支持者らが衝突し、白人男性ひとりが銃撃により死亡したとのニュースが報じられました。人口構成では圧倒的に白人の比率が高く、今までこれほどの混乱が伝えられた記憶のないポートランドでは今、大統領の独断によって連邦政府軍が運動に介入、市民にガス攻撃を加えたり、不当な拘束を行っているとのニュースが。いったいなぜか、何が起きているのか? 騒然となった街から、アメリカの、そしてブラックピープルの素顔を見つめ続けてきた柳川さんのレポートをお届けします。
※銃痕が生々しい画像をそのまま掲載しています。レポートの内容を正しく伝えるためでもありますが、ショッキングな印象を与える可能性があります。注意してご覧いただけますようお願いいたします。


デモ隊 VS 連邦軍で騒然となるポートランド。その
背景にある人種的分断 

 この街では家やお店の窓ガラスに「Black Lives Matter」(以下BLM)のサインをよく見る。それを見た黒人の友人がつぶやいた。
「ジェントリファイアー(安価な土地に引っ越すミドルクラス)はこのサインを持って引っ越してくる。これを飾るのはほぼ白人、私たちの店を襲わないでという象徴にもみえる。サインだけ飾っても意味がない」
 プログレッシブな街であり、全米で住みたい街1位のポートランド(オレゴン州)では、60年代まで黒人は家を買うのも苦難であり、それでもやっと家を手に入れた黒人を街の開発のために追い出した歴史がある。それを免れた黒人も、ジェントリフィケーション(*1)による家賃の高騰で、その多くが中心街からの移動を余儀なくされている。少し車を走らせて郊外へ出れば、南部連合国旗(*2)がたなびき、白人至上主義者の集会も催されている。

 ジョージ・フロイド氏の死から連日この街のどこかでプロテストが行われ、ダウンタウンにある裁判所前では、その活動を阻止するためトランプ大統領が連邦武装軍を派遣した。この「占領軍」はファシズムの象徴であり、まるでドイツのグシュタポだと多くの市民は憤怒した。ユダヤ系の友人は母親がナチスに迫害を受けていたこともあり、プロテストに参加するためガスマスクを購入し、万が一逮捕された時のために、横腹にサインペンで自分の名前と住所を書いたとお腹を見せてくれた。「火に油を注ぐような行為」とオレゴン州知事ケイト・ブラウンは(連邦武装軍の)撤去を要求したが、それ以降も武装軍は、平和的に抗議活動をしている人々へ催涙ガスを幾度も噴射し、警棒で強打され病院へ運ばれる人も続出している。
 ウェブサイトの掲示板では、【プロテストに参加するのでゴーグルと防弾衣を探しています】というメッセージもよく見られるようになった。夏空にはヘリコプターの音が響き、各地にいる友人から安否を確認する連絡がくる。ニュースで見るポートランドは、憤怒の声と煙で燃えていた。黒人の人口比が6%にも満たないこの街で、人々は平等を声高に叫んでいる。

 ある朝、Facebookのタイムラインで白人女性がプロテスト中、政府軍にゴム弾で額を撃たれた、というニュースが流れてきた。血痕が痛々しい本人の写真も貼られている。そしてそれが友人のクリスティンだと判明したのは、その数日後に会った彼女の母親から「うちの娘が撃たれたのよ」という報告を受けたからだ。

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歴史を知ることで、見て見ぬふりをすることが
できなくなった

 数週間後、クリスティンが仕事に復帰したと聞き、彼女に連絡をとって会うことになった。
 彼女はカリフォルニア州のシリコンバレー出身。スティーブ・ジョブスと同じ高校へ通い(彼女はジョブスよりだいぶ年下だが)、大学卒業後は世界中を旅し、トルコで英語を教えていた際に出会った夫との間にもうすぐ5歳になる双子と8歳の娘を持つワーキングマザーだ。家族でカリフォルニア州ベイエリアからオレゴン州ポートランドへ移住するにあたり、選んだ地域は姉がすでに住んでいた黒人居住区だった。大多数のジェントリファイアーのように、元からいる住人を無視して生活することも可能だ。でも、彼女はできなかった。

 まずこの国の歴史を再度自分で勉強すること、そして差別がなくなる社会をつくるために行動をすること、マイノリティーの声をきちんと聞くこと、それを子どもたちにも教育することなどを自分に課した。奴隷制は知っていたけれど、どれだけ残忍なことだったかは自分で調べるまでは知る由もなかったという。「この国ではブラックヒストリーを全く教えない」。黒人ですら、だ。学べば学ぶほど、White Privilege(白人への優遇)を認識し、白人であること自体がレイシズムの一部であり、それに貢献していることに気が付く。白人からみた歴史を自分で”Unlearn”する─自分の持っている価値観を捨てる─必要があった。
 白人が優遇されているという事実を受け入れられない白人は意外と多い。俺たちだって一生懸命に努力してここまできた、俺たちにだって苦労はあるんだ。黒人も文句を言わず働けばいい、奴隷制が終焉してもう何年も経つんだぞ? そして決めの一言、「All Lives Matter(すべての命が大事だ)」

 クリスティンは自らへ質問を投げる。白人として、自分の貢献はまだまだ足りない。もっと行動をしなくては。ある抗議活動での演説者のこの言葉で、彼女は決意を強くした。
「モントゴメリーのバスボイコット(*3)は381日続いた。その間、人々は歩いて仕事へそして学校へ通った。381日、381日だ! この運動は短距離走じゃない。長距離走だ。諦めてはいけない」

 そこへWall of Moms(母たちの壁─以下WOM)というグループから声がかかった。このグループの目的は、平和的に抗議活動をする人たちを守るため、前線に立ち連邦武装軍へ抗議することだ。
「ああ、やっと!やっと自分の体を使う機会がやってきた、と思った。支給された黄色のシャツは私の趣味じゃないけど」と笑うクリスティン。

 日に日にエスカレートしていく対立の中、参加してから四日目、横にいる友人たちとしっかりと腕を組み、クリスティンはその夜も前線に立った。後ろにいる黒人たちを守らなくてはいけない。プロテストたちを守らなくてはいけない。”Black Lives Matter”に続き、ジョージ・フロイド、ブリオナ・テイラー、シャイ・インディア・ハリスら、その他犠牲になった黒人たちの名前を大勢で唱えた。

 あなたはなぜそこまでするの? 幼い子どももいるのに? という質問に対し、彼女はこう答えた。
「黒人たちの状況を知れば知るほど、無視はできなくなる。白人の自分が”心地いい”と感じる場面は、だいたいにおいて間違っているから 」

10:45pm:いよいよ連邦武装軍がビルから総勢で現れた。その時点で数人は引き返して帰っていったが、クリスティンは何人かの友人たちと残ることにした。

10:52pm:携帯で自分のまさに目の前にいる武装兵を撮影、携帯をポケットに入れ、ゴーグル、ヘルメット、耳栓をしっかりと装着し、再び両隣にいる友人たちと腕をしっかりと組んだ。

右遠くに紙吹雪が空に舞うのが見えた。左方向でマーチングバンドが何かを演奏していた。

11:00pm :バン!!!! と音がしたと同時に前のめりに倒れた。自分の顔に何かを感じ、手で額に触ると、ヌメッとした温かいものが流れている。これは自分の血だ。自分はここで死ぬ、こうやって人生を終えるのだ。

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黒人たちが望んでいるのは、“復讐ではなく、平等”。
身をもって理解しようとする人たちの覚悟

 1961年、フリーダムライダーとしてジョン・ルイス(*4)とともに乗車し、アラバマ州モントゴメリーで白人として初めて暴徒に殴打され意識不明になったジム・ズワーグ(*5)は後日こう語っている。
「暴徒が襲ってきた時、やられる、と思った、裏切り者の白人はもっとひどい目に合うはずだ。俺はひたすら祈った。神よ、私に力を与えてください。非暴力を貫ける力をください。そして彼らをお許しください。その時、今までにない愛を感じた。ここで生きても死んでも、僕は神によって守られているとわかった」

 一命をとりとめたクリスティンは、このインタビューを応じることにも多少の躊躇があった。なぜなら、ここでより大事なのは自分が撃たれたことよりも、BLMというメッセージだからだ。
 実際に、WOMがここまでメディアに取り上げられることについて、白人女性が中心だからと批判も少なくない。クリスティンのFacebookのステイトメントには、「私は大丈夫です。助けてくれるのであれば、BLMを、黒人のお店を、黒人の両親をサポートしましょう。もっとお互いに学びましょう」と強いメッセージが書かれていたが、それでも「もう白人女の話は聞きたくない」というコメントもあった。

 クリスティンは持病の不安障害のため、コロナ自粛前から精神安定剤を処方され、かつカウンセラーにも通っていた。そこでこのインシデント。不安障害に加え、PTSDに悩まされる日々、撃たれて血まみれになり飛び起きるような悪夢も続く。
「(撃たれたのが)黒人女性やシングルマザーじゃなくて本当に良かった。私には家族や友人のサポートも、保険もある。あの夜、どうせ誰かが撃たれる予定であったのなら、私が最高の候補者だった。そしてすべての人がジャスティスを手に入れるまで、プロテストを続けるつもり」

 吉田ルイ子(*6)著『ハーレムの熱い日々』の中で、著者の吉田が白人の夫ロバートとハーレム在住中の1964年に起きたハーレム暴動についての記述がある。ロバートは積極的に人種闘争運動に参加し、ハーレムの住人から”リンカーン”と呼ばれるほど敬われていた。しかし暴徒により車を大破され、それを見たロバートは吉田の前で、「Dirty Nigger(汚い黒ンボめが!)」と叫んだのだ。ロバートは「ハーレムの二グロから遠くへ離れたい」と懇願し、二人はビレッジへ引っ越した。そして離婚に至った。そういったリベラルな白人の行動に対し、「自己憐憫であり優越感の裏返しでしかないのだ。あくまでも、『あたま』と『からだ』が分裂してしまっている」と吉田は痛烈に批判する。

 クリスティンは言う。「自分がいかに優遇されているかを認めない限り、その『分裂』は回避できない。白人の自分はいつでも『カレン』を選択する可能性があるのよ。黒人に、白人である私を好きになれなんて期待していない。私が撃たれたからって黒人から賞賛や感謝の言葉を求めてはいない。そりゃあ人間だから、承認欲求はある。でもそこは重要じゃない」

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 WOMの新しいリーダー、黒人女性のディメトリア・へスター(*7)は、VICEのインタビューでこう答えている。
「黒人と白人の間に信頼が生まれれば、リーダーである私の決断にも従ってくれる。この活動の中で黒人女性の声を聞く耳がないのなら、参加する意味ないでしょ? ここではみんな平等。競争じゃない。白人によくある、”でも”や”私が”は通じない。なぜなら、”Black Lives Matter”なんだから」

 最後にアクティビストで作家のキンバリー・ジョーンズの言葉を残したい。
“They are lucky that what black people are looking for is equality and not revenge”.
「白人はラッキーと思った方がいい。なぜなら黒人が望んでいるのは、復讐ではなく、平等だから」



文:柳川詩乃
写真:Kristen Jessie-Uyanik



*1 ジェントリフィケーション:インナーシティや都心に隣接した低所得者層の居住地域を、再開発や文化的活動などによって活性化すること。インフラの整備や治安向上によって中~高所得者層が流入し、税収の増加や雇用機会の確保などのメリットが得られる反面、地価の高騰やそれまで居住していた住民を排除し、新たな不平等を生むなどの弊害も指摘されている。

*2 南部連合国旗:南北戦争時に奴隷制を支持した南部連合が掲げた旗のこと。現在では人種差別の象徴的な存在で、白人至上主義団体、KKKが儀式の際に使用するともいわれている。

*3 バスボイコット:1955年にアメリカのアラバマ州モンゴメリーで起こった人種差別への抗議運動のこと。この年の12月1日、市営バスに乗っていた黒人女性、ローザ・パークスが、人種隔離政策によって黒人優先席に座っていたところ、後から乗車した白人に席を譲るよう指示されたが、彼女がこれに従わなかったことから通報、逮捕されたことが発端。その後抗議運動、そして公民権運動へと発展した。

*4 ジョン・ルイス:アメリカの公民権運動の活動家、ジョージア州の米国下院議員(1940年~2020年)。1963年のワシントン大行進の主導者の一人で、公民権運動において多大な役割を果たした。
※ルイス氏については、その足跡を描いたグラフィックノベル『MARCH』(①~③の三部作。岩波書店刊 https://tanemaki.iwanami.co.jp/posts/795)も話題。

*5 ジム・ズワーグ:1961年5月20日にアラバマ州モンゴメリーで、人種差別に反対する「フリーダムライド(自由の為の乗車運動)」に参加して襲撃を受け、白人専用の救急車での搬送を拒否され、放置された。

*6 吉田ルイ子:1938年生まれ。写真家、ジャーナリスト。大学卒業後、NHK職員、アナウンサーなどを経てフルブライト交換留学生として渡米。ニューヨークに10年間在住した。『ハーレムの熱い日々』は1979年に刊行したルポルタージュ。アメリカやアフリカ、そして人種問題に関連した著作を多く発表している。

*7 ディメトリア・へスター:テネシー州出身のBLMの女性活動家。2017年に白人至上主義者に襲われた経験をもつ。現在は人種差別に抗議する母親たちの組織(WOM)をリードし、現在も続くポートランドでの抗議活動に参加している。


著者プロフィール
柳川詩乃…写真家。東京都品川区出身。スペインのアンダルシア、米・ニューヨークを経て、2017年からオレゴン州ポートランド在住。ニューヨーク市の低所得者団地、いわゆる”プロジェクト”の住人たちをインタビューした”We The People”という企画で個展を開催、その写真すべてがスミソニアン博物館に寄贈される。
公式HP http://www.shinoyanagawa.com/


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