受け手に、余白と信頼を。
絵画、音楽、文学、創作活動の末に生まれる
あらゆる作品やモノコト、サービス。
良いなと思うものに共通しているのは、
受け手側に「余白」をくれる、ということ、
だと、わたしは感じている。
例えば、メッセージを強烈に放つアートや音楽。じんわりと創り手の想いや背景が滲み出ているモノやコト。
それらは、受け手側に考えたり、感じたりするための「余白」をくれる。
放たれたあと、つくり手が、受け手側に裁量をくれ、委ねてくれる。
心地好い、美しい、清々しい、気持ちが凪ぐ。
時には、ざわつき、不協和音、カオス、淀み。
マイナスの感情も含め、人の心を動かすもの、
心の可動域を拡げてくれるものは、
受け手側を、信頼してくれているように感じる。
如何様にも受け取ってくれ、といった、ある種の潔さも。
他方、苦手なのは「余白」がないもの。
こう見て欲しい、こう聴いて欲しい、
こう使って欲しい、こう身につけて欲しい。
こう感じて欲しい。
こちらの捉え方や感じ方、想像の幅をも狭めるほど、創り手の想いが強く入りすぎていると、
息苦しくすら感じる。
というより、それらを限定されると、
何も感じることができない。
そこには「余白」がない。
こうしていま書いていても思う。
口から発した言葉だろうが、
書き起こした文字だろうが、
自分の手から紡ぎ出されたものだろうが、
自分の中から、外に放たれた瞬間、
もうそれは自分のものだけではななくなる。
そして、そのことに対して覚悟を決める、ということなんだろうなと思う。