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時間と音楽と記憶の棲まい

まだ、おはようの時間帯かな。

今朝起きた時に思ったことです。
夜寝る時、4ヶ月前に他界した猫が大好きだったクリスタルボウルのCDを流します。

なぜか、その猫はクリスタルボウルのしかもその演奏者の音楽を聴くと、あっけなくスヤスヤ寝についていました。

23歳という立派なご長寿で多少の病を体験したけれど、最期の検診では全く異常無しで、、、だけどその1ヶ月もしないうちに急に寝込み往生しました。

その最期の日々も、最期の瞬間もクリスタルボウルの音楽を聴きながら眠っていたので本人(猫)は、たぶん癒されていたと思えます。

その音楽をあれから毎晩、就寝のときに流します。あの仔と一緒の次元で眠れるかもとか、なんかそう思っているからかな。

それで今朝、目覚めて気づいたこと。
よく考えれば当たり前のはなしですよ。

音楽って、記憶を入れる入れ物みたいだなと。

昔聴いた音楽は、大抵、想い出が入ってますよね。だから、聴けば鮮明に思い出す。
あんなことこんなこと。
それは全て過ごした時間もそこにありますので、逆にもしかしたら【時間】と言うものに、私たちの生きた日々、思い、全て入れてるんじゃないかなと。

時間って不思議ですよね。
地球に生まれ、とりあえず地球から出たことがない私は、地球と言う条件の時間で生きています。

違う条件の星や空間に行けば1日が24時間ではない場所もあるから、ひとまず今はこれで。
時間が過ぎれば確実に、寿命と言う限られた時計も刻まれて終わりまで進みます。

それは個人的な時間。
私がこの世界からいなくなっても、地球がある限り地球は地球なりの時間を刻みます。
それは地球の時間。

宇宙では、いろんな条件で【過ぎる】と言う現象を見せているのでしょう。

そんなグローバルな話の隅っこの話をするのですが、思い出が含まれた音楽を聴くと、過ぎたはずの時間の残像なのか、残り香のようにリアルに感じたりできます。

脳がそう読み込んでるとは思うけど、あの仔がいた時間は過ぎたけれど、新しくあの仔を感じたり思い出す時間がここに生まれます。

まるで意識が織りなすファンタジー🎶

ここにいるけど、ここではない時間に行ける。
過去は思い出と言う見本帳があり、未来は想像と言う無責任が許される力で旅に出ることが出来るんですね。

私達は、意識しなくてもそんな不思議な現象を毎日、瞬間瞬間、ちゃんと受け止めているんですよね。

よくよく考えなくてもこの世界は、存在そのものが不思議です。
ちゃんと知ろうとすると、矛盾もあるから大混乱して、日常生活をリズムよく生きる人ほど、歩けなくなります。

だから、創作する人、ちょいと社会が苦手な人ほど、実は、不思議世界を読む許容スキルがあるようにおもいます。

だって、見えちゃうから(笑)
見えて直視出来るくらい、実は時間はゆっくりと世界を見せるムービーを見せてくれるから。

見えることが正解でも、わからないことが不正解でもないのがこの世界の不思議ですね。

とりあえず、私は、気になってしょうがなくなる人だったから社会が苦手でした。
立ち止まり疑問を問いかける事を許してもらえなかった社会では、私には呼吸も出来なかったからですね。

歳を取りいつの間にか、その社会が私を必要としなくなり、私も必要としない(ようは就職の必要が無くなる)となって、やっと、勝手な言葉を話しても、立ち止まっても叱られなくなりました(笑)

そんな私の今朝思ったこと。

時間には、いろいろ全部を引き受けたり入れる入れ物があり、それはいつか思い出しては役だったり慰めてくれたり、記録していれば誰かの役にも立つことは良くあるな、と。

自分が去った世界に。
決して本当の意味での去ることは無くて、誰かが必ず思い出す時、私が苦心して閉じ込めた思い出たちがパレードして、私の大切な方々を守ったり笑わせたりするんだろうとおもいました。

23年一緒に生きてきた猫。
今も毎晩、音楽の中からニャーんとやって来て、腕枕をせがみ、一緒に夢を見てると思っても良いんです。
だって、私がそれで彼女のくれた幸せでまだまだ幸せを感じているのが事実だから。

他にも無数のそういう感謝ありますね。
お気に入りの音楽に入り込んだ昔の彼との楽しい旅行の1シーンとか(笑)
彼もきっと思い出しちゃうでしょねー。
幸せでいてね、私は幸せだよ。

🐾愛しいあずき(2023/10.12🌈往年23