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大学に行く価値があるのか?

おはようございます。
昨夜は飲み過ぎてしまった小松です。

というのも「次男が大学に合格」しました!
昨年の夏休みまで大学受験の勉強はせずにワンピースのカードゲームをしていた次男。
周囲の友人に影響されたのか、一転して大学受験に挑戦することに。

親としてはなにかに夢中になることはいいことなのでカードゲームでも大学受験でもいいのですが、自分の進路を真剣に考えたうえで彼の一生懸命に学ぶ姿勢は嬉しかったです。


が、、、
私は大学の存在意義がいまいち分かりません。
というのも自分自身が大学で学んだことにそれほど価値を感じていないから。
本当に大学へ行く価値ってあるんですかね〜



大学の価値とは

現在の日本では大学進学率が50%程度。
国立大学で年間授業料が約50万円、私立大学だと約100万円。
デフレ化で親の給料は上がらず、社会保険料や税金が上がって可処分所得が減っていくので子供のための教育資金がなかなか準備できません。
国はもう少し大学に進学する学生を支援する方法を考えて欲しいのですが…

さぁ、頭を切り替えて、
そもそも多額のお金を払って行く価値が大学にあるのでしょうか?
私は社会人になって自分の出身大学を外からみてても大学教授の授業にそれほどの価値は感じません。

私の周囲を見渡しても、大学卒と高校卒とで仕事ができるかどうかの差は全く感じません。むしろ高校卒の人で優秀な人も多くて国立大学をでてても仕事上使えない人も多いですね。
とはいえ、私は大学時代の様々な経験を礎にして今があるとも思っています。

大学受験の偏差値フィルターによって大学時代の自分の周囲の人間は同じような学力をもっています。
どうしても人間は環境に影響をうけるので周囲の人間関係は環境要因として重要になってきます。
「朱に交われば・・・」ってやつですね。

なので自分の人間性の育成という観点では大学に少しは価値がありそうです。


社会を構成する知識労働者を育成する場=大学

日本は成熟社会なので農林水産業など第一次産業は衰退し、製造業などの第二次産業か金融、サービス業など第三次産業がメインとなり経済活動が行われています。

社会はざっくりいうと1割の経営者と9割の労働者で構成されます。
あらゆる企業が経済活動の源泉として労働者を必要とします。
その労働者には大別すると2種類あって、エッセンシャルワーカーとナレッジワーカー(知識労働者)に分けられます。

労働市場が求めるナレッジワーカーのスキルは知識・経験から必要とされる価値を産み出すような学ぶ力です。
その学ぶ力を醸成するのが高校であり大学であるはずです。


モラトリアム期間を与える場=大学

私にとって大学の一番の効用はモラトリアム期間としての時間(4年間)でした。
高校3年間ではいろんな意味で社会人になる準備ができていなくて大学4年間は貴重でした。

大学では時間はどれだけでもあるので自分と向き合って、自分とは?人間とは?といった哲学的な問いに対して考えることもありました。

長い人生でそういった哲学的な問いを考える期間も私は大事なことと思います。
社会に出ると忙しい毎日の仕事に振り回されてゆっくり考える時間もありません。
自分のアイデンティティーを確立するために大学時代は大切な4年間でした。


まとめ

私が大学へ入学するときに学長から言われた言葉を今でも思い出します。

「大学4年間では、なんでもいいので卒業する時に”これをやった”ということを見つけてください。」

あっという間に過ぎた大学4年間でしたが、様々なバイトを経験できたことがその後の人生につながっています。
この言葉を次男が大学へ入学するときに教えたいですね。

以上、また明日。

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