子どもから大人へ旅立つ時に持参するもの
子どもが小さい頃、大人にとっては(大人の)仕事が増えることを子どもがすることは多々あった。
延々に引っ張り出されたトイレットペーパー
一通り出した鍋コレクション
とりあえず出して確かめる引き出しの中身
ティッシュの山
今となってはただただ笑えるけれど
あの頃、状況によっては笑えないこともあったと思う
反省も込めて言いたい。
できるだけいっぱいやらせてあげたかった。
今思えば、多分世紀の大実験をしているかのように我が子の目はキラキラしていただろう。
多少家の中がひっちゃかめっちゃかで対応が追いつかなくても、当時彼らの「好奇心」はエネルギーに満ちていて、彼らの世界が拓ける瞬間の連続だったのかもしれない。
水たまりにばしゃーんて入る快感
砂場で作った山のトンネルが貫通する直前の感覚
彼らは大きくなるにしたがって常識なるものを身につける。当たり前の光景が増えていき、比例して増えていく素通りしていくものたち。
でも大きくなって何かあった時に効いてくる彼らの底力は、幼い頃、目をキラキラさせて爆発させたエネルギーが基盤になっていたりするのじゃないかと最近思う。
子育てを通して思う時がある
大人にとって不都合なことが実は子どもにとっては「大切な学びの場」であったり、大人にとっては側で耐えづらい子どもの試練が子どもにとって「飛躍のチャンス」だったりするんじゃないだろうか。
では親の私ができること、日々己の肝を鍛えることなのかな…