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センスとは何か、どう磨くのか

「センスのいい人になりたいのですが、どうしたらよいでしょう。そもそもセンスとは何でしょう」――『暮しの手帖』の編集長を務めた松浦弥太郎さんがそのような問いに対し、改めてセンスとは何かを考え、自分の思うセンスと、その磨き方について応えた一冊。

そもそも私は、「センス」という言葉をどのように使うか。そこに自分の考え方や生き方が表れるのではないかと思っている。「その服センスいいね」「センスのいいお部屋」など、身の回りや空間に対して使う言葉であるのはもちろんだが、「センスのある発言」「どう感じるかがセンス」という、人の内面を表現するときにも使う方が、個人的には好きだ。そういう風に言ってもらえるような生き方をしていきたい。

自分の周りに「そういう言い方が素敵だな」とか「そういう考え方で受け取るのか」と感心するような人はいないだろうか――。私の周りにはすぐに思いつく人が数人いて、その人たちに憧れている。でも、どうしたらそこに近づけるのかがわからなかった。そして自分の中に知識を溜めることで少しでも解決できたら、と思っている今出会ったのがこの本だった。

​1.「嫌い」という感情をどう活かすことができるか

松浦さんが唱える「センス」は、「選ぶ」もしくは「判断する」ということから始まる。「何を選択するか」「何をつくるか」「何を自分で決めるか」を見極めることで、その結果を見たほかの人が、その人を象る「センス」を感じるという具合だ。

「選ぶ」「判断する」の基準がしっかりしていないからこそ、自分のセンスに自信がないのじゃないか。そう思っても大丈夫。その判断基準は自分だけで見つける必要はない。たいていのことは、遠くない場所にお手本となる人がいるもので、その人を見つけて観察したり、選択や判断の基準を直接聞いてみるといいという。

しかし、気を付けなければいけないことは、人を観察する中で自分以外の人を否定してしまうことだ。それに対して、松浦さんは否定することでなく、活かすための方法を説く。

どんなものであれ、どんな人であれ、必ずひとつやふたつはいい所があるはずなのです。それは何だろうと考えたり、観察して見つけるくせをつけるということは、自分自身へのとてもよい訓練になりますし、つまるところ物事の本質を見極めることにもつながりそうです。

たしかに、嫌いな人を嫌いだと思う時間は不毛だ。しかし、自分の訓練につなげることができ、その結果その人の一つでも認めることができるようになるのであれば、とてもいい方法だと思う。

2.他人の目よりも、自分の心の中の蓄積を

また会いたいと思う人とはどのような人か――。松浦さんはこの問いにこのように応える。

僕の場合、また会いたいと思うのは、いっしょに何かを考えたいとか、その人から何かを学びたいとか、そう思わせてくれる人です。そして、その人たちのことを「センスがいいな」と思います。

私は人の目を気にして臆病になりすぎるところがある。「これをしている自分がどう見えるか」を考えてしまうことが多い。

しかし、松浦さんはこのような感情に対して、「他人の目を気にしていても、意外にみんな人のことを見ていない」と話す。自分の感情に対しても「こんなことで泣いたら恥ずかしい」「こんなことで笑ったら恥ずかしい」と臆病になって、自分を抑えてしまうと心の中には何も残らなくなる。自分で経験し、心を揺さぶられた経験はきちんと心のなかに蓄積される大事なものなので、大切にするべきだということだ。

そして、自分の感情を大事にしたうえで、他人に「自分を選んでもらいたい」「認めてもらいたい」と思ったら、まず自分が周りの人たちを認めるといいと言う。してもらいたいことがあったなら、自分が先にそれをしない限り、誰もしてくれない。

例えば、皆がいいというものや誰かが薦めてくれたものはできるだけ経験しておくこと。経験は情報から生まれるため、こういうことをできるかどうかが、センスを磨けるかどうかの大きな差となる。

3.完璧なものでなく、人間性が見えるものを

人は自分が気にしているほど、私の細かい部分までは見ていない。前述のように説きつつも、松浦さんは「絶対にすべてお見通しの人もいるもの」とも言う。その人は直接何も言ってくれないだろうけど、どこかで気が付いている、そういう人。

これは、「誰も見ていないから」という自分の心の隙に対しての注意喚起の考え方でもあり、一方で、誰も見ていないところで頑張っていることを、誰かがきっと見ていてくれるという意味でもある。

いつの時も努力は必ずしもすぐに報われるわけではないので、後者の考え方を支えに自分の気持ちを保つことも大事だ。しかし、今まで以上にもっと広い範囲に認めてもらおうと努力をすると、批判してくる人が出てくることもある。

批判する人は僕が何を考えているのか、何をしたいのか、わからないだろうから批判するのだろうと思います。でもそれを伝えようと思ったら、さらに僕はもう一枚、僕は服を脱がなければならないのです。素顔の自分を、自分の「変」なところを見せないといけない。

皆が惹きつけられるものは、きれいに完璧に作られたものではなく、人間性や人格が垣間見えるもの。そういうものに人の気持ちは揺さぶられると松浦さんは分析する。そのため、自分を批判する人に対しても、より自分の素顔を見せていく。

これは本当に辛いことだ。個人的にも、なぜ自分を否定してくる人に対してそこまで歩み寄る必要があるのか、そこまで努力できるものか、とも思ってしまうところもある。でもこのレビューを書きながら改めて考えると、1と2のような考え方と併せれば、この歩み寄りも結果的に自分の糧になるのではないかと思えてくる。

4.自分の琴線を読み解き、人の真似をする

センスを磨くには、「この人はセンスがいいな」と自分が感じる人が何を見ていたのか、何を読んでいたか、何を聴いていたのか、それをよく調べてみることも大切だと松浦さんは説く。

とにかくもう何かわかるまでよく読む、よく聴く、よく見る。わからないものも何回か繰り返すことで、自分が気になったところや心が動かされる場所がわかるようになる。それを見つけたら自分の仕事や生活の中で真似をしてみる。

ふだんから素敵なもの、美しいものを好奇心を持って見つけて、よく触れて、真似てみる――それしかセンスのよくなる方法はありません。

ポイントは、見つけたものを絶対に忘れないこと。自分が必死になって見つけた宝物のようなものだから、書いたり、覚えたり、どんな方法を使ってでも心の中に留めるべきである。

松浦さんは「書く」ということついても大切にしている。

自分の頭のなかでふわふわ漂っている、非常に感覚的なものをつかまえて、ひとつひとつ言葉に落とし込んでいくことが「考えること」だと僕は思っています。このつかまえてことばにしたものを文章にしていくと、さらにいろんなものが見えてきます。

自分で文章を書くことはとても集中力が必要で大変なことだが、そこから生まれるものは純粋な自己情報で、完全な自分のもの。この松浦さんの考え方についてはこのレビューを書く時に、私も実感したなぁと思う。

「書く」ことは「考える」こと

実は、この本を読み終わったのは20日も前のこと。読みながら気になった箇所はメモしていたので、それをまとめればすぐにレビューを書けると思っていたのが20日前。結果、全然書けなかった。

なぜならば、私が書きたいのは本の要約や抜粋というよりも、自分が何を感じて、何を自分の言葉にしきたいかということ。その視点で書こうとすると、何を軸にしてこのレビューを書くかを考え、メモした言葉も順番通りに使うのでなく、自分の感じた軸に合わせて組み替える必要がある。そして、自分が気になったこともなぜ気になったのかを考えるために何度も読み直す必要がある。

きっと、こういうことが「よく読むこと」「真似をすること」で、「自分のものにすること」の始まりなんだろうなぁと思う。

この20日間で、読んだ本、観た映画、ドラマなどインプットはたくさんあるのですが、それ以上にアウトプットを大事にすることを意識して。次のレビューも書いていこうと思います!

センス入門

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