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#03 腹を割る

先日、米粉のスコーンを作りました。

使っている砂糖は黒糖で、
どうしてもダマになるから黒い斑点がついたけど
味はたぶん、変わらないでしょう。

米粉のあっさりさっぱりな仕上がりが
大好きです。
米粉にバターはよ〜く合います。

何度も作っているレシピだけど、
写真のときは
クリームをサンドしたくて
予め腹を割れさせておきました。

小麦粉を使うと、
グルテンのおかげで上に膨らんで
もっと大胆に、華麗に、
ときどきご機嫌ナナメに
腹が割れるんですけどね。

「腹を割る」
わたしは、そう簡単にできません。

心を開けるまでに時間がかかる人間にとっては、
これは、なかなか大変なこと。

そもそも、
腹を割って話したことになるのは
どういう場合なのかも
いまいちよくわかりません。

本音を話すことは良いことだ
と言われるけれど、
一方的に本音を投げつけることは
腹を割って話すこととは訳が違うし、
たんに腹を割れば良いってものじゃないし。

雰囲気とか話の成り行きとかで
自然と本音モード(?)に
移行していくものなのだろうけど、
どういうタイミングで
どういう腹の割り方をすればいいか。
なぜ腹を割らなければならないのか。
腹を割らなければ本当に深い話はできないのか。

と、
米粉スコーンの腹を意図的に割りながら
考えていました。

こうやって考えているうちは
私は腹なんて割れないんだろうな

筋道立てて計画的に割る腹は不自然に
なってしまいそう。

腹を割って話したくなる内容って
何を言うか考えたりしなくても
ぎこちなくても自然と、
言葉として出てくるような感じ
がします。
そうではないと言われれば
そんな気もするけど。

だけれど、矛盾しているようですが、
腹を割るってある程度は意図的な行為
だと思うんです。

腹を割ろうとしなくても出てくる本音って
悪口だったり、その人の性格や話し方の癖だったり。
だって、意識せずにできるような
簡単なことならば
もっとみんなたくさん本音で話しているし
腹を割る、という言葉がそもそも
本音を言う、胸のうちを曝け出す
という意味を持っていなかったかもしれないし。

それとも、
普段、本音を隠したり、ごまをすったり
取り繕ったりしているときを
意図的
というべきで、
腹を割るのは自然な、意図的でない行為
として考えるべきなのでしょうか

あるいは、
人間の行うことはすべて意図的
と考えれば
こんなこと、どうでもよくなるかな?


…さてさて話を戻しますと、

いまから腹を割ろう!
と思うタイミングは
たびたびあったのですが
いざ、話そうと思うと
つい、話を繕ってしまったりして
ほんとうの意味で
「腹を割る」
ということが、
まだできていない気がしてなりません。

「腹を割る」ことに
ほんとう
なんてものは、ないのかもしれないけど。

友人曰く、
お酒でも入れば、私は饒舌になって
意味のわからないことを
ベラベラと話しはじめるらしいので、
その時が、意識せずに腹を割っている
ことになるのかな。

あともうひとつ、割れない腹があります。
文字通り、腹。

そりゃあ、
バター香るスコーンを頬張っているうちは
腹筋も割れませんよね

ともかく、
私が腹を割ることができるのは、
ずいぶんと先のことになりそうです。

おかしなことばっかり考えていたら
縦に頭まで割れて魚の開きみたいになるかも。

では、干物になる日まで、また。


※インスタグラムの投稿を編集・加筆

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