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大阪市の神社と狛犬 ❾鶴見区⑤比枝神社~獅子舞顔の安永狛犬~
大阪市鶴見区の地図と神社
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大阪市には、現在24の行政区があります。鶴見区は、北西は旭区、西は城東区と接していて、大阪市でいちばん東に位置します。さらに、北は守口市、北東は門真市、東は大東市、南は東大阪市になります。
かつては蓮畑や蓮根畑が多いのどかな田舎町でしたが、1990年には花博が開催され、開発が進みました。花博会場の跡地は鶴見緑地として区のシンボルになっています。
「鶴見区」という名前の由来については、次のような話が伝わっています。鎌倉時代に、源頼朝が富士の裾野で巻狩をしたときに、千羽の鶴に金の短冊を付けて放したところ、この地に飛来して住み着いたといいます。その鶴を見物に来る人が多く、そのことから「鶴見」という呼び名がついたといわれています。
鶴見区には、神社が8社あります。5社目比枝神社は、かつての摂津国東成郡榎本村大字今津字中野および河内国茨田郡諸口村字徳庵の氏神で、JR学研都市線徳庵駅の西約200mの地に鎮座します。
比枝神社
■所在地 〒538-0042 大阪市鶴見区今津中5-5-23
■主祭神 天照皇大神・大山咋命・大己貴命
■由緒 創建年代は不詳。元禄4年(1691)に近江国坂本の日吉大社の分霊を勧請し、「山王権現」と称した。その後、神仏分離令により明治2年(1869)、神仏習合の神である山王権現は廃され、現在の比枝神社に改称した。
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狛犬1
■奉献年 文化十一年甲戌九月十一日(1814) 施主 大坂島之内高津町 播磨屋源右衛門
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 拝殿前
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台座に、「文化十一年甲戌九月十一日(1814) 施主 大坂島之内高津町 播磨屋源右衛門」の刻銘がある。石工銘は残念ながら見当たらない。
前回の八幡神社の狛犬と同様、ピンポン球のような丸い目をしている。しかし鼻と口の形が大きく異なる。特に口は、正面が山型で口角は上に切れ込み、太い眉とともに意志の強さを感じさせる。吽形の頭上には、小さく尖った角がある。表面の剥落が気になる。
狛犬2
■奉献年 安永五丙申年(1776)九月十一日
河内国茨田郡今津村 願主 遊佐三郎兵衛(他2名)敬白
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 三社殿(天満宮・大将軍社・歯神乃社)前
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日枝神社の拝殿・本殿の隣に、天満宮・大将軍社・歯神乃社を合社する三社殿がある。それぞれの祭神は、菅原道真公・須佐之男命・少彦名命である。この三社殿の前に、見るからに古そうな狛犬が安置されている。損傷がはげしく、かなり大雑把な補修がされている。
台座の正面に、「安永五丙申年 九月十一日」という紀年銘がある。安永5年は西暦1776年で、この年に本殿が建立されたという。奉献以来すでに250年近くの歳月が経っている。安永の銘が残る狛犬は、大阪府でわずか5対しかないが、そのうちの貴重な1対である。この獅子舞顔から、一見して上宮型の狛犬であることがわかる。
耳は横に開き、見開いた丸い目には瞳がある。上の歯がずらりと並び、口角が丸く空洞になっている。吽形の頭上には、はっきりとわかる角がある。尻尾は5房が立ち上がり、根元左右に巻き毛がある。
気になるのは、この安永5年(1776)の狛犬も、拝殿前の文化11年(1814)の狛犬も、奉献月日が同じ「九月十一日」であることだ。安永の狛犬は本殿竣工時に奉納されたものと思われるので、それに日を合わせて文化11年の狛犬も奉納されたのだろうか。
狛犬3
■奉献年 昭和四十六年十一月吉日(1971)
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 参道
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境内参道に設置されている昭和の狛犬。台座に「昭和四十六年十一月吉日」の銘がある。
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