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アジア紀行~(続)ベトナム・ホイアン②~

ホイアン散策

ダナンからホイアンに移動した日の午後、古い伝統的建造物が多く残る旧市街を散策する。購入したチケットで5ヶ所の見学が可能ということなので、来遠橋で時間を過ごしたあと、「タンキーの家」に向かった。

タンキーの家(進記家)

ホイアンの旧市街を歩く。家々の壁は黄色く塗られているものが多い。

古い町並みの中に、「進記家」という200年ほど前に建てられた伝統家屋があった。「進記家」は「タンキーの家」と呼ばれていて、広東省出身の中国人によって建てられたもので、現在も7代目の当主が住んでおられる。

狭い間口の入口から中に入ると、太い柱と螺鈿細工の家具が目に飛び込んでくる。黒光りした重厚な室内の調度が、この家の伝統の重さを語っている。

正面の天井近くにある祭壇は、先祖を祀るものだろう。建物は二階建てで、思った以上に奥行きがある。家自体が博物館のようだ。

福建会館

タンキーの家を出て、次にどこを訪れようか決まらないまま通りを歩く。左右の町並みを見て歩くだけでも楽しい。
しばらく行くと福建会館があった。ホイアンの町には、この福建会館以外にも、潮州会館、廣肇会館、海南会館、中華会館など、中国出身の華僑の集会所がいくつもある。福建会館もその一つである。外観がとてもはなやかだ。

陶製のかわいい獅子が迎えてくれる。

堂内の天井には渦巻き型の線香がいっぱい吊されている。

正面に祀られているのは、航海安全の神様である「天后聖母」。さすが華僑の会館だ。

福建会館の庭でチェーを売っていたので、買って木陰で食べる。15,000ドン。氷が入っているので冷たく、甘くておいしい。

関公廟と歴史文化博物館

関公廟(クアンコン廟)は、三国志の関羽を祀る廟。ホイアンと中国との関係の深さをここでも感じる。この関公廟が建てられたのは1653年というから、日本では4代将軍徳川家綱の時代になる。

関公廟のすぐ隣にホイアン歴史文化博物館がある。名前は立派だが、もとはお寺だった建物を利用していて、薄暗く展示物にもほこりが積もっている。
たぶん古くて価値のあるものが置かれているのだろうが、この展示・保存状態には首をかしげたくなる。現在は旧市街から離れた北の方に移転したそうだ。

クアンタンの家(廣勝家)

さっきやって来た道を少し戻ったところに「クアンタンの家」(廣勝家)がある。「タンキーの家」と同じように、かつて中国本土からやって来た華人が建てた家だ。すでに300年ほど経っているという。

タンキーの家のような洗練された雰囲気はないが、古い民家がそのまま保存されているのがすばらしい。入口で椅子に腰掛けてタバコをすっているおじいさんは、古い家にそのままとけ込んでいる。
入口の柱を見ると、「1999」とか「2009」と書かれているので、何を表す数字なのか尋ねると、洪水に見舞われたときの水位だという。ホイアンでは、数年に一度という頻度で洪水に見舞われるという。町の人は慣れていて、大切なものは2階に移動させ、商店も高い土地に移って商売を続けるそうだ。

このクアンタンの家で、5枚綴りのチケットが終了する。
表に出て町の通りを眺めると、外国人観光客の多さにあらためて気づく。ブーゲンビリアが建物の黄色い壁に似合っている。

ホテルへの道

夕方の5時。まだ明るいが、ひとまずホテルに戻ろうと思う。ホイアン市場を通り抜けて川沿いの道を歩く。

野菜を売っているおばさんが、愛想のよい笑顔を向けてきた。写真を撮らせてもらうと、「1ドル」と言って手を差し出されたのでビックリ。冗談? 笑顔で応えてバイバイしました。

しばらく行くと、スタート地点の橋のたもとに到着。この橋の名前は「アンホイ橋」。ホイアンのアンホイ橋。ややこしいな。
日が暮れて夜になると、ランタンに灯がともるはずだ。

橋を渡って、川の向こう側から旧市街の町並みを眺める。このままでも十分に見応えがあるが、こちらも夜になると違った風景になるのだろう。

昼の部はこのあたりで終了して、一旦ホテルに戻り、夜の部に備えることにしよう。

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